アジア数学史セミナー

過去の記録 ~02/05次回の予定今後の予定 02/06~

開催情報 木曜日 17:00~18:30 数理科学研究科棟(駒場) 123号室
担当者 岡本 和夫, 河澄 響矢
セミナーURL https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kawazumi/asia.html
目的 一般の数学者を対象として、おもに近代以前の北東アジアにおける数理科学の発展について一次史料に基づいたお話をしていただきます。定期開催する公開セミナーです。奮ってご参加下さい。

2006年05月25日(木)

17:00-18:30   数理科学研究科棟(駒場) 123号室
佐藤 健一 氏 (和算研究所)
和算の遊び
[ 講演概要 ]
日本には飛鳥時代から数学が伝わり、律令制の中で多少の学習はされていたのであろうが、ほとんど発達する事もなく、ソロバンが伝わるまでは一部の計算を職業とする人を除けば無いに等しかったと思われる。数学が芽を吹き出したのは江戸時代になってからで、それ以前のソロバンのマニュアルとも考えられる『算用記』の類から脱却したのが『塵劫記』からと言われている。『塵劫記』は寛永4 年(1627)が初版であるが、ここでは、生活数学の本で、ソロバンを実生活での数の処理にどのように使うのかを丁寧に書いている。遊びは入っていない。それが、『塵劫記』の海賊版の刊行に対抗して次々と生活数学ではないものを取り入れていった。遊びもいくつも入ったのである。「入れ子算」「まま子立て」「ねずみ算」「からす算」「百五減算」「油分け算」「薬師算」「目付け字」などである。その後数学は遺題の継承が流行し、数学は発達する。関孝和や建部賢弘の時代では一般の人では全く理解出来ないレベルに到達した。関や建部は江戸で活動していたが、ほとんど同じ時代に関西では別の数学を考えて、書物にして発表していた。著者たちは関や建部と較べてもそれほど劣るという人ではなく、興味が違っていただけである。
江戸でも興味が無かったというのではなく、同じようなことを書いているのだが、それ自体の本としては刊行しなかった、ということは考え方に違いがあったと、言えるであろう。
江戸時代の数学の特徴として、遊びの気持ちの現れも一つの要素であったと考え、今回は取り上げることにした。
同時代のヨーロッパでも同じような遊びが残っているが、これも和算の誕生はキリシタンと決め付ける材料になっている。