アジア数学史セミナー


Seminar for the Mathematical Past of Asia


会場: 東京大学大学院数理科学研究科(駒場キャンパス: 地図はここをご覧下さい。)

趣旨: 一般の数学者を対象として、おもに近代以前の北東アジアにおける数理科学の発展について一次史料に基づいたお話をしていただきます。定期開催する公開セミナーです。 奮ってご参加下さい。

世話人: 岡本和夫, 河澄響矢 (kawazumiアットマークms.u-tokyo.ac.jp)

Last updated June 25, 2007


これからのセミナーの予定:

第21回, 07 年 7 月 19 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

李 佳女華(東京大学大学院総合文化研究科)

幕末・明治初期の日本における西洋数学の導入と漢訳西洋数学書籍

幕末・明治初期の日本における西洋数学の導入、受容と、中国で翻訳、刊行された漢 訳西洋数学書籍との間には、密接な関係があったということが、先行研究で指摘され ている。今回の報告では、19世紀半ば頃に中国ではじめての漢訳西洋数学書のシリー ズ『数学啓蒙』(1853年)、『代数学』(1853年)、『代微積拾級』(1853年)が日本においてそれぞれどのように利用されたのかについて、系統的に調査した結果を紹介する。さらに、幕末・明治初期の知識人たちが、漢訳書を頼りにしながら西洋数学を学ぶという初期の段階を終え、どのようにして自らの努力で西洋数学の翻訳書や教科書の作成する段階に至ったのか、その経緯を明らかにする。




本セミナーは

文部科学省科学研究費補助金特定領域研究(領域番号 610)
「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成  ──寧波を焦点とする学際的創生──」(愛称「にんぷろ」)
計画研究班「近世東アジア海域に於ける数学の交流と展開」 課題番号 17083006, 代表者 河澄響矢 (東大数理)

の事業として開催されています(平成17年10月より)。


過去のセミナーの記録:

第20回, 07 年 4 月 26 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

公田 藏(立教大学名誉教授)

明治前期の日本において学ばれたユークリッド幾何学

わが国において西洋数学,特にユークリッド幾何学が本格的に学ばれるように なったのは明治の初期である.
日本人にとって,論証幾何学との出会いは異文化との出会いであった.論証幾 何を学ぶのは,代数や三角法よりははるかに困難であった.代数や三角法の有 用性は認識されたが,論証幾何の価値はなかなか理解できなかったと思われ る.明治初期の邦文数学書のいくつかでは,幾何学は論証よりも図形の計量と 結びつけられて受けとめられている.これは英語のGeometryという言葉も影響 していると思われるが,西洋数学を学ぶ際に,和算の枠組みからなかなか脱却 できなかったことを示している.また,幾何の書物の邦訳では,訳語ももとよ りであるが,数学的内容の翻訳に苦労したと思われるものが多い.
わが国で明治期の前半に中学校(尋常中学校)などで教授された幾何は,大体 において,ユークリッドの『原論』に準拠した英国の伝統的な流儀のものでは なく,ルジャンドルやルーシェ・コンブルースなどのフランスの幾何学書の影 響を受けた英米の書物を教科書としてであった.




第19回, 拡大アジア数学史セミナー
07 年 2 月 3 日(土), 4 日(日)--- 大講義室

プログラム:

2月3日(土曜日)

13:00
開会の挨拶

13:10-15:10
シンポジウム「東アジアの伝統的数理科学─その形成と展開─」
13:10-14:40
パネリスト3氏の講演
宮島一彦(同志社大学理工学研究所)「東アジア天文学の概観」
川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科)「朝鮮半島から見た東アジア数学史」(仮題)
矢野道雄(京都産業大学文化学部)「中国に伝えられたインドの天文学」

東アジアの伝統的数理科学(数学や天文学など)をめぐるさまざまな話
題について、パネリスト3氏に、主に大局的な視点から語って頂きます。

14:40-15:40
自由討論(司会: 渡辺純成(東京学芸大学教育学部))


15:40-17:10
講演: 安大玉(東京大学大学院人文社会系研究科)
明末におけるユークリッド『原論』の東伝
─『幾何原本』の翻訳について─



2月4日(日曜日)

10:00-11:30
講演: 斎藤憲(大阪府立大学人間社会学部)
「忘れられた資料:ギリシア数学文献の図版をめぐって」

今回は,『原論』のギリシア語,アラビア語,ラテン語写本の図版の
検討結果を報告するとともに,これらと大きく異なる場合のある Heiberg
の校訂版の図版がどこに由来するのかということもお話したいと思います.
まだ完全に調べがついたわけではありませんが,中世でもっとも普及した
Campanus 版の図版が,16世紀のコンマンディーノ版などを通して,
19世紀前半のPeyrardやAugustの校訂版に影響を与え,これが結局
Heibergの図に取り入れられていると思われる例をいくつか見つけま
した.となると,写本とは独立の,近世・近代の図版の伝承の系譜が
たどれるのかもしれません.


13:00-14:30
講演: 三村太郎
(日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院総合文化研究科)
「イスラム天文学の成立―インド天文学とギリシャ天文学のはざまで」

イスラム数学・天文学史の概観の後,イスラム天文学の形成において,
ギリシャ天文学とインド天文学が,いかなる影響を与えたのかをお話
します.とくに,イスラム天文学でもっとも一般的な著作スタイルで
あるジージュ(天文表)の形成過程を中心に扱います.


14:40-16:10
講演: Agathe Keller
「A landscape of mathematics in VIIth century India:
Bhaskara I's commentary on the second chapter of the Aryabhatiya.」

Bhaskara I's commentary on the Aryabhatiya, is one of the first
prose texts handed down to us in Sanskrit and concerned with
astronomy and mathematics. As such it enables us to follow his
reasonings and conceptions on all sorts of technical problems
and objects. In my paper, having situated him in the general
history of mathematics in India, I will try to give an overview
of the questions he has tackled in the mathematical part of his
commentary: from arithmetics to trigonometry, including algebra
and indeterminate analysis, and observe the way his reasonings
involved oral explanations, drawings and handwritten tabular
dispositions.





第18回, 06 年 12 月 21 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

楠葉 隆徳(大阪経済大学人間科学部)

インド数学における証明

(1) インド数学史の位置
 歴史を題材とした科学教育のための科学史ではなく、歴史学としての科学史のなかでインド数学研究をどのような目的・手段で行うべきかを考察したい.歴史学研究のためには一次史料を分析することが必要である.原典を読む文献学のアプローチによってなにがわかるかを検討する.
(2) インド数学における証明
 インド数学書には証明がほとんど見られない、という通説がある.この見方はサンスクリット数学書の特徴を理解していないことから生じる誤解である.数学書に書かれる術則と例題は覚えるためのものであり、証明は注釈で与えられることが多い.サンスクリット数学書における三平方の定理と方程式の解法の証明を説明し、ユークリッドの論証数学と比較し、インド数学の思考法を考察する.
(3) インド数学のいくつかのトピック 
 インド人は物事をある規則に従って並べることに関心を抱き、韻律学や音楽など様々な領域でそれを実践した.その理論化の一つに順列組み合わせ論がある.その事例を『数学の月光』(1356年)から時間の許すかぎり紹介したい.




第17回, 06 年 11 月 18 日(土) --- 123 号室, 16:30 -- 18:00

安 大玉(東京大学大学院人文社会系研究科、東アジア思想文化)

17 世紀西洋実用幾何学の東伝と徐光啓の数学観
─『測量法義』『測量異同』『句股義』を中心として─


『測量法義』『測量異同』『句股義』は、いずれも 1607 年イエズス会士宣教師マテ オ・リッチ(漢名:利瑪竇)と徐光啓によって刊行された『幾何原本』に続いて刊行された測量法および句股術に関する実用数学書である。『幾何原本』が演繹論理 にもとづく“度数の宗”といわれる理論書であるのに対し、これら三部作は、いずれも実用レベルの応用数学の範疇に属するものである。

(1)『測量法義』は、西洋の測量用の観測機器である象限義(geometric quadrant)による測高・測深・測遠の方法を中心に西洋の測量術を紹介した書物である。
(2)『測量異同』は、呉敬の『九章算法比類大全』から六つの類型の問題を抽出 し、その解法を通じて西法と中法の異同を論じる小論である。
(3)『句股義』は、中法と西法の比較を経て、中法の欠点として「ただ解法を知 るのみで、その義は知らない(第能言其法、不能言其義也)」ことを取り上げ、選別 された 15 問について、その“義”を論じたものである。

今回の報告は、かかる三部作の内容分析を通じて、徐光啓の三部作構想の狙いがどこにあるかを明らかにし、また三部作のもつ意義を考えてみたい。


曜日、時間、場所、すべて通常と異なります。ご注意下さい。
当日は土曜日につき数理棟は閉鎖されていますが、16:00 から 17:00 まで正面玄関を開けておきます。



第16回, 06 年 7 月 6 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

斎藤 憲(大阪府立大学人間社会学部)

ユークリッドをめぐる最新の研究動向

ギリシア数学史は1970年代に始まった見直しによって,大きな変容をとげた分野である.残念ながら,一般読者向けの解説記事などでは,その著者が最近の研究動向を把握していないことが多く,19世紀末から20世紀前半の定説が繰り返され,とっくに否定された俗説が再生産されている.

従来の定説は以下のようにまとめられよう.

1)ギリシアの論証数学の起源については「タレス−ピュタゴラス起源説」をとる.
2)初期の発展を非共測量(無理量)の発見によって,数値を用いる代数的数学が,表面的に幾何学に書き換えられたという「非共測量史観」をとり,ユークリッド『原論』にこの書き換えの痕跡を求める.
3)したがって,ギリシア数学の本質は近代以降の数学と同じく代数的なものであり,単にその表現が異なるだけということになる.

しかし現在では大多数の研究者はこのような見方全体に否定的で ある.ここに至る過去30年間の経緯をまず説明する.

最近の研究者の関心はむしろ,『原論』の成立以降の,テクストの編集・校訂や伝承に向かっている.実は我々が所持している『原論』の写本はかなり大幅な編集を経たものであるが,その編集過程は十分に知られていない.

一言で言えば,この30年で研究者は,同じ『原論』を前にしてユークリッド以前の,はるかな過去に関する想像に耽ることをやめ,ユークリッド以降の,現存写本が成立するまでのプロセスの探求を始めたのである.

また,現在のすべての翻訳の基礎となっている19世紀の校訂版が,図版に関しては写本を無視して「数学的に正しく一般性のある図版」を創作し掲載していることが指摘され,写本の図版が新たな研究対象となっている.

本日の報告の後半では,このような最新の研究動向を紹介し,構築されつつある新たなギリシア数学史像を提示したい.



第15回, 06 年 5 月 25 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

佐藤 健一(和算研究所)

和算の遊び

日本には飛鳥時代から数学が伝わり、律令制の中で多少の学習はされていたので あろうが、ほとんど発達する事もなく、ソロバンが伝わるまでは一部の計算を職 業とする人を除けば無いに等しかったと思われる。数学が芽を吹き出したのは江 戸時代になってからで、それ以前のソロバンのマニュアルとも考えられる『算用 記』の類から脱却したのが『塵劫記』からと言われている。『塵劫記』は寛永4 年(1627)が初版であるが、ここでは、生活数学の本で、ソロバンを実生活での数 の処理にどのように使うのかを丁寧に書いている。遊びは入っていない。それ が、『塵劫記』の海賊版の刊行に対抗して次々と生活数学ではないものを取り入 れていった。遊びもいくつも入ったのである。「入れ子算」「まま子立て」「ね ずみ算」「からす算」「百五減算」「油分け算」「薬師算」「目付け字」などで ある。その後数学は遺題の継承が流行し、数学は発達する。関孝和や建部賢弘の 時代では一般の人では全く理解出来ないレベルに到達した。関や建部は江戸で活 動していたが、ほとんど同じ時代に関西では別の数学を考えて、書物にして発表 していた。著者たちは関や建部と較べてもそれほど劣るという人ではなく、興味 が違っていただけである。
江戸でも興味が無かったというのではなく、同じようなことを書いているのだ が、それ自体の本としては刊行しなかった、ということは考え方に違いがあった と、言えるであろう。
江戸時代の数学の特徴として、遊びの気持ちの現れも一つの要素であったと考 え、今回は取り上げることにした。
同時代のヨーロッパでも同じような遊びが残っているが、これも和算の誕生は キリシタンと決め付ける材料になっている。




第14回, 06 年 4 月 27 日(木) --- 152 号室, 17:00 -- 18:30

川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科、 東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)

九数略──17・18世紀の朝鮮数学

『九数略』は,当時の代表的な政治家兼経学者、崔錫鼎 (1645- 1715)が著した数学書。内容自体は伝統の実用算術のレベルを 超えていないけれども、形而上学的な易学思想をもって、朝鮮の 計算術と実用数学の構造を理論的に位置づけている。また数学の 基本的構造自体に西洋の3数法の深い影響があることも、この数 学書の特徴の1つである。
 今回は特に『九数略』の思想史的な意味に注目してその内容を 紹介したい。




第13回, 06 年 1 月 26 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

木村欣司(立教大学理学部数学科)

"計算機代数はどこまで進歩したか?
-日本数学史の難問に挑む-"


日本数学史、特に関孝和先生の時代には非線形連立代数方程式の 難問が数多く存在する。具体的には、文字を消去して1変数の問 題に帰着させるという問題である。難問という言葉を使ったのは、 あまりにも途中計算あるいは最終結果の式が大きくなるためであ る。途中の式の係数には、たくさんの文字が入っているあるいは 長い桁の整数が現れる。そのような問題を正々堂々と正面から突 破する技術を紹介するのが本講演の趣旨である。
もちろん、最高性能のグレブナ基底の計算プログラムを用いれば 容易に解くことができるがそれではつまらない。グレブナ基底は、 江戸時代には存在しない。関孝和先生は、行列式による終結式の 計算を世界で初めて提案されている。関孝和先生同様に終結式を 計算して問題を解くことを試みる。終結式は互除法の拡張によっ て計算できることが今日では知られており行列式を計算する必要 はない。しかし、この算法の高速化のためには関孝和先生の行列 式による終結式の表現が必要となる。世界最高性能の終結式計算 プログラムを利用して日本数学史の難問に挑む。 n式からn-1文字を同時に消去する理論も存在する。 一つは、Gelfand, Kapranov, Zelevinsky multipolynomial resultant (Sylvesterの行列式による終結式の表現の拡張)であり もう一つはDixon multipolynomial resultant (関孝和先生 が導入された行列式による終結式の表現の拡張)である。 この二つの比較もしたい。
さらに、消去した結果の1変数代数方程式の係数がすべて整数の 場合には実根の個数を数える方法も紹介する予定である。 また、精度保証付き数値計算を用いて文字を消去すること無しに 非線形連立代数方程式の実根の個数を数える方法も紹介したい。



第12回, 05 年 11 月 24 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

小松彦三郎(東京理科大学理学部第一部数学科)

デカルトの幾何学と関、建部の数学

「方法叙説」(1637)の付録として発表された「幾何学」はヨ ーロッパの数学を一変させた。以後今日に至るまでほとんど全て の数学者はデカルトがここで導入した記号法に従って数学を表現 してきた。しかし、その数学的な内容は、今日われわれがデカル ト幾何学として理解しているものとは、全くといってよいほど違 う。むしろ、江戸時代の和算に直交座標を用いて幾何学量を表現 し、次いで座標を消去して幾何学的結果を得るというデカルト流 幾何学の最初の試みが見られる。佐々木力氏は、デカルトがこの 本を書いたのは日本人に読ませるためであったという仮説を立て られている。1637年は島原の乱が起こった年で、以後洋書の輸 入は禁止されたから、デカルトの直接の影響を証明することは難 しい。しかし、デカルトが東洋の数学を意識してこの本を書いた ことは間違いないように思われる。数学的真理は普遍であるから、 同じ事実が別の場所で記載されているからといって、一方から他 方への影響を証明したことにはならない。むしろ、筆の走り、ち ょっとした間違いが証拠たり得るのではないかと考える。



第11回, 05 年 10 月 29 日(土) --- 大講義室, 13:00 -- 17:00 (予定)

拡大アジア数学史セミナー「易と数」*)

講演者(講演順)
小島 毅(東京大学大学院人文社会系研究科)
木下 鉄矢(総合地球環境学研究所)
川原 秀城(東京大学大学院人文社会系研究科)

コメンテータ
渡邉 純成(東京学芸大学教育学部)

講演題名および概要

小島 毅 氏 「宋代の数神秘主義」
 科学的精神が芽生えたともされる中国宋代だが、そこには「近代的」思惟とは 異質な現象も多く見られる。易学における象数の復活盛行もその一例と言えよう。 本報告では河図洛書の聖数をめぐる議論や、漢代の揚雄太玄易への注目、さらに は徽宗政府による礼制改革で天地の数が重んじられたことなどを紹介したうえで、『周礼』にもとづく官僚制度における聖なる数と易学との関連について、 報告者の現時点での見通しを述べて批評を仰ぎたい。

木下 鉄矢 氏 「朱熹の易数理解」
朱熹の「易」についての考察を概観し、特にその「数」についての思 索を紹介する。その思索は中国において伝統的に「象数」と謂われ て来たレベルを超える深度に達しているのではないか。そのことを 話題として提供する予定です。

川原 秀城 氏 「皇極経世学と数」
邵雍『皇極経世書』観物篇にみえる歴年表は、壮大な気宇のもと、気の生成から 消滅 にいたる宇宙と地球と人類の歴史を記したものである。時間の単位には元 (129,600年)と会(10,800年)と運(360年)と世(30年)が もちいられるが、四単 位はそれぞれ神秘数の12と10の単純な組み合わせに よってつくられたものにすぎな い。今回は、邵雍の歴年表の意味するところ およびそれ以後の皇極経世学の発展について、簡単に紹介するつもりである。

*) 今回は
文部科学省科学研究費補助金特定領域研究(領域番号 610)
「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成  ──寧波を焦点とする学際的創生──」(愛称「にんぷろ」)
計画研究班「歴史書編纂と王権理論に見る東アジア3国の比較」 課題番号 17083004, 代表者 小島 毅 (東大文) および
同計画研究班「朝鮮思想と中国・ヨーロッパ──東アジア海域交流のなかで」 課題番号 17083005, 代表者 川原 秀城 (東大文)
との共同開催です。




第10回, 05 年 6 月 30 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科、 東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)

中国の楕円積分

清代中後期の数学書『象数一原』所収「楕円求周術」について、基本的な考え方を 紹介したい。楕円求周術の完成には二人の当時を代表する数学者が関係した。 まず項名達(1789-1850)が明安図以来の割円連比例術による円の無限小解析 を完成に導き、それを拡張して楕円の周長を計算した。だが病気のため絶筆。戴煦(1805-1860)がその遺稿を校補し、図解を完成した。楕円求周術は楕円の離心率をもちいる級数展開式のかたちに書く(翻訳する)ことができ、わたしには中国(伝統)数学の到達点の一つを示していると思えてならない。



第9回, 05 年 5 月 26 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

渡邉 純成(東京学芸大学教育学部数学教室)

清代前期における西欧科学の受容と拒絶 −−満洲語医学書『格体全録』から暦算を見る−−

清康煕年間に、満洲語などによる解説書が、西欧の数学・天文学や解剖学に関 して著されたことは、よく知られている。前者は東アジア全域の学術に大きく 影響したが、後者を代表する『格体全録』は公刊さえされなかった。本講演で はこの『格体全録』について、従来未検討であった思想的背景と医学的内容を 日本所在の諸写本の本文(約8割を検討済み)に即して解説し、それらに基づ いて表題の内容を論じ、日本の蘭学との比較にも触れる。



第8回, 05 年 4 月 7 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

公田 藏(立教大学名誉教授)

明治期の日本における高等数学の教育

わが国で西洋数学が本格的に学ばれるようになったのは明治初期以来である.ここで は,明治の中頃までの「西洋高等数学」の教育について,主として東京大学とその前 身校の場合を取り上げて考察する.取り上げる数学的内容は,四元法 (Quaternion),微分積分,高等代数などである.



第7回, 05 年 1 月 20 日(木) --- 156 号室, 17:00 -- 18:30

川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科、 東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)

明の朱載の音律論──世界最初の十二平均律

平均律とは、隣同士の音の距離が等しい音律のこと(計算には2の12乗根をつかう)。今日の音楽の調律はこれにもとづいている。だが平均律を最初に発明したの は、西欧のバッハ(1735-82)でもラモー(1683-1764)でもなく、中国明の朱載(1536-?)であるが、このことは残念ながら、あまり知られていない。マックス・ウェーバーにいたっては、平均律の発明使用について西洋固有の合理主義を示すものなどととらえており(『音楽社会学』)、誤りも甚だしい。今回は最初に朱載の平均律の計算法をのべ、つぎに朱載がなぜ転調が容易なこの音律を発明することができたのか、考えてみたい。

当初のおしらせから教室が変更になりました。ご注意下さい。



第6回, 04 年 12 月 2 日(木) --- 152 号室, 17:00 -- 18:30

田辺寿美枝(聖心女子学院高等科)

関孝和の翦管術

和算家関孝和の『括要算法』は関自身が 1680年〜1683年 に書いたものを関の没後 1712年、関流の門弟達によって編集、 出版されたものである。元、亨、利、貞の4巻 からなる『括要算法』 の亨巻(第2巻)で論じられている「翦管術」、連立一次合同 式についての関の解法を検証し、中国の幾つかの算書との照応を試みたい。

場所がこれまでと異なります。ご注意下さい。



第5回, 04 年 10 月 28 日(木) --- 056 号室, 17:00 -- 18:30

川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科、 東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)

天元術と四元術

中国宋元数学の代数記法である天元術と、4元連立方程式の代数記法兼解法 である四元術の歴史について、概観する。天元術とは何かがわかれば、和算 の傍書法がいかに優れているかがわかるであろう。



第4回, 04 年 7 月 22 日(木) --- 123 号室, 17:00 -- 18:30

渡辺 純成(東京学芸大学教育学部数学教室)

満洲語のユークリッドとヴェサリウス−−東洋文庫所蔵の満文自然科学文献 について−−

清の康煕年間には、西欧の数学・解剖学の解説書が満洲語で編まれた。言語の 壁が大きいためか、これらの文献が本文に即して研究されたことはほとんどな かった。本講演では、東洋文庫所蔵の数学書『算法原本』と解剖学書『格体全 録』について、まず前者の内容を紹介し、ついで両者を比較して論じて、これ ら満文自然科学書の特徴を考えてみたい。



第3回, 04 年 6 月 17 日(木) --- 056 号室, 17:00 -- 18:30

川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科、東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)

中国剰余定理と易筮法

南宋の秦九韶『数書九章』は、中国剰余定理が説かれていることで名高い。だが その数学の定理は同時に、易筮法としても使用できるという奇妙な性格をもって いる。その定理の分析をとおして、中国数学の特質を考えてみたい。



第2回, 04 年 5 月 27 日(木) --- 056 号室, 17:00 -- 18:30

安 大玉(東京大学大学院人文社会系研究科、東アジア思想文化)

『天学初函』器編と西洋天文学の東伝ーー17世紀中国における西洋天文学 の受容をめぐって

1628年に李之藻によって編纂された『天学初函』は、マテオ・リッチをは じめ初期イエズス会士宣教師らが著した「西学」書を収めた代表的な書物であり、理 編と器編に分かれ、器編には『幾何原本』など西洋の数学・天文学の書物が収められ ている。本セミナーでは、主として『天学初函』器編に収められている暦算書の内容 分析を通じて、明末清初における西洋天文学受容の経緯を概観してみたい。

曜日、時間、場所、すべて第1回と異なります。ご注意下さい。



第1回, 04 年 4 月 23 日(金) --- 122 号室, 16:30 -- 18:00

川原秀城(東京大学大学院人文社会系研究科、東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)

漢字文化下の数学――中国・朝鮮・日本の数学の歴史を概観する

19世紀以前の東アジアの数学は、籌算である中国数学(中算)を核として、論証に重きをおく西洋数学とは異なった発展の道をたどった。本セミナーでは簡潔に東アジアの数学、すなわち中算と東算と和算の歴史を概観し、あわせてその特徴を考えてみたい。


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