Simons 幾何学物理学センター

2019年ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の Simons 幾何学物理学センターに行った.この研究所はその名の通り,James Simons が創設したものである.Simons は伝説的な人物で,最初は普通に数学者として活躍していた.特に Chern (陳省身)と共同で研究した Chern-Simons 形式が有名である.1976年にアメリカ数学会の幾何学の賞である Veblen 賞を受賞している.この頃のこの賞の他の受賞者を見ると Thurston, Gromov, Yau, Freedman といった超大物が並んでいる.その後40代半ばだった1982年にヘッジファンド,ルネサンス・テクノロジーズを創始し,これが驚異的な大成功をおさめて世界有数の大金持ちとなった.1994年に科学研究を支援する Simons 財団を創設している.論文データベースで見ると,彼の最後の数学ジャーナル論文は2010年のもので,所属はルネサンス・テクノロジーズになっている.最近では,私がチーフエディターをしている International Journal of Mathematics の Chern 生誕110周年記念号(2021年)に "My friendship with Chern" という記事を寄稿している.Simons 財団は,MSRIIHES に建物を寄付したり,さまざまな研究費を出したりしている.オンラインの科学マガジン Quanta Magazine を出しているのも Simons 財団である.

Simons センターの活動は2010年に開始した.Simons はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の主任教授を長年務めていた関係で,同校に巨額の寄付を行い,このセンターができたのである.建物は数学科のビルとくっついて建っている.深谷賢治氏や Donaldson がここの教授である.私は2011年にネットでこの研究所が「深谷獲得」のニュースを大々的に宣伝しているのを見て驚いたことを覚えている.深谷氏は私が東大数学科3年生に進学した時,助手になりたてで幾何学の演習の担当だった.10年くらい東大で教員をしていたが,京大に移り,そこから Simons センターに移ったのである.日本ですでに教授になっていた大物数学者がアメリカに引き抜かれた例は,現役ではこの深谷氏と,シカゴ大学に移った加藤和也氏である.日本の大半の国立大学では定年が65歳だが,Simons センターでは70歳までは研究に専念できる,その後も数学科の方に移って授業をすれば定年はない,という条件だと聞いた.(アメリカの大学教授の定年制は憲法違反で無効と判断されたため,どの大学でも定年はない.)

私は1985年にアメリカ大学院に留学するにあたり,4年生セミナーで当時ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の教授であった Douglas の本を読んでいたこともあって,同校を留学先の候補として考えており,実際に願書も出して合格した.結局 UCLA に行くことにしたので同校に行くことはなかったのだが,同校に行っていたらどうなったのかはずっと気になっていた.今(コロナ前)なら実際に同校のキャンパスに行って決めることもできたかもしれないが,当時はそんなことは考えてもみなかった.ニューヨーク州立大学という名前から何か大都会のような印象を受けるがニューヨーク市からは程遠い田舎なのだという話は当時すでに聞いていた.実際に行ってみると確かにすごい田舎で近所にはほぼ何もなかった.私はキャンパスに隣接したホテルに泊まったのだが,そのあたりには店もなく,キャンパスの反対側に行ってもコンビニその他の店がごくわずかあるだけだった.隣の駅のポートジェファーソンという町にも行ってみたが特に何も見るものはなかった.

ニューヨークの空港と言えばジョン・F・ケネディ空港が有名だが私は飛行機の関係でニュージャージー州のニューアーク空港に着いた.こちらの空港はマンハッタンへはまあまあの近さだが,ストーニーブルックとは反対側にあり,かなり遠い.私は電車を乗り継いでストーニーブルックまで行ったが,ニューヨーク中心部のペンシルバニアステーションから鈍行電車に2時間ほど乗る必要があり,ストーニーブルックに着いた時はもう夜もかなり遅くなってしまっていた.実際は駅から簡単に歩ける距離だったのだが,よくわからないまま Uber に乗ってホテルに着いた.ホテルはきれいで広い部屋だった.

このセンターにはいろいろな美術作品があり,入り口の外には巨大な円環状のオブジェがある.メビウスの帯かと思ったが,ちょっとねじり方が違い,アンビリック・トーラスというものだそうだ.YouTube に Simons 本人が登場するこの作品の紹介ビデオがある.また入ってすぐのところにはカラフルな蝶のオブジェがある.壁にいろいろな数式が彫り込まれており,Jones 多項式もその中にある.2階には小さなしゃれてカフェレストランがあって,研究集会中はここで無料で食べることができる.ここのシェフは有名な人を引き抜いてきたものだそうだ.

上に書いた通り,ストーニーブルックはニューヨーク市中心部からはだいぶ離れているのだが,週末と帰り際にニューヨーク市に立ち寄ることができた.私はニューヨークは大昔に一度経由したことがあるだけで全然詳しくないのだが,さすがに魅力にあふれた世界的な大都市である.コロンビア大学とニューヨーク大学は市内中心部にあるのだが,私はこの二つの大学には知り合いはいない.大昔は,最近93歳で亡くなった作用素環の長老の Kadison がコロンビア大学にいたのだがその後は残念ながら作用素環の人は誰もいない.

私の滞在は作用素環と数理物理学のプログラムのためで,Jones がオーガナイザーの一人だった.彼は2020年9月に急死してしまったので,これが彼にじかに会った最後の機会となった.私はたまたま彼と同じオフィスになっていたのだが,上に書いた壁の数式の中に Jones 多項式があることを喜んでいたのを覚えている.偉大な人物を失ったことは我々にとって大きな損失であった.

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