バークレーの MSRI

アメリカ,バークレーのカリフォルニア大学(UC Berkeley)キャンパスのすぐ隣の東側の丘の上に Mathematical Sciences Research Institute (MSRI) がある.1982年に開設された数学の研究所である.所長以外に教授などはおらず,常に数か月単位の研究プログラムを実施しており,世界中からビジターが集まっている.最初はカリフォルニア大学キャンパス西側の建物に間借りしてたが,1985年に丘の上の現在の位置に移動した.財源は全米科学財団(政府資金)その他から出ており,研究所はカリフォルニア大学付属の機関ではない.

私は1991〜1992年に UC Berkeley 数学科で Jones のポスドクだった.この時に MSRI 側で行われるセミナー,談話会などに何度か行った.特にドイツ人の友人で専門も同じだった Bisch は同時期に MSRI のポスドクだったので彼のところにも何度も行ってみた.MSRI は丘の上にあり,数学科から距離は遠くないが歩いていくのはかなり困難である.数学科の前からバスが10〜15分おきに出ており,これに乗って行くことになる.数学科はビルの上層にあるのでゴールデンゲートブリッジやサンフランシスコの街並みが見えるのだが,MSRI はさらに高い丘の上にあって一段とよく見える.海抜400メートルだそうだ.(バークレーはサンフランシスコ湾の内側にある.西側に湾の出口と太平洋を結ぶ海峡があり,そこにゴールデンゲートブリッジがかかっている.) この丘の上には Lawrence Berkeley National Laboratory などいくつも研究所群がある.

その後2000〜2001年には MSRI で作用素環のプログラムが1年間にわたって行われ,私も全期間滞在した.(ただし東大での仕事などもあったので,1年間に東京との間を5往復した.) 1週間の国際研究集会が4回あり,世界中から多くのビジターがやって来る大規模プログラムだった.私のオフィスは MSRI にあり,アパートから数学科まで自転車で来て,そこからバスで MSRI に上って来るというのが基本パターンだった.自転車はしっかり鍵をかけて数学科前に停めておくのだが,私の鍵のかけ方が甘く,最初の自転車は買った翌日に盗まれてしまった.アメリカの治安には慣れていたはずだったのに愚かである.また MSRI には食堂がなく,普段は昼食を持参する必要があった.私はたいていスーパーで買ったサンドイッチ(アメリカ式の巨大なもの)を持って行っていた.研究集会などがあって,外から人がたくさん来ているときは,外部の業者が昼食を売りに来ていた.

私がいた頃は MSRI の住所は 1000 Centennial Drive という平凡なものだったのだが,ある時 17 Gauss Way というもの改名になった.数学の研究所だからそれにちなんで前の通りの名前を Gauss Way に変えたのである.また番地の17というのは,Gauss が正17角形を定規とコンパスで作図したことにちなんでいる.丘の上で近所に何もないので簡単に改名できたということもあるだろう.

研究所の建物は3階建てで,ほとんどの部屋はビジターのためのオフィス(基本は二人部屋)である.私がいた頃にはなかったが,今は Simons 財団の寄付による大きなレクチャーホールがあり,研究集会などはここを使っている.私が出た研究集会でも,2006年のものはこのホールで行われた.これのおかげで私がいた頃に研究集会に使っていた部屋よりずっと多くの人が入れるようになった.そのほかに1階に図書室もあるがこれはかなり簡便なものである.もっと本やジャーナルを見たかったら,丘の下の数学科の図書館に行けということであろう.ただし数学科の図書館も日本の感覚ではあまり充実していない.私の個人的印象ではアメリカの数学科はあまり図書館にお金をかけない気がする.なお最近のジャーナルはほぼすべて電子化されているのでもちろんネット上で見られるが,数学では本やかなり古い雑誌も必要となることが多い.

2020年春に再度 MSRI で作用素環のプログラムがあり,私も久しぶりに行くことになっていた.コロナウイルスがどんどん流行してきて,本当にアメリカに行くんですか,と色々な人に聞かれたが私は最後まで行くつもりだった.しかし出発予定当日の3月10日の朝,すでに飛行機のオンラインチェックインも済ませたあとに,MSRI は閉鎖になる,まだ出発していないなら来るな,と言うメールを受け取った.疑問があれば電話するように,と書いてあったのですぐに電話したが,やはり出張をキャンセルせよ,ということだった.しかたないのでその通りにして,その後現在までずっと海外出張はできていない.このバークレー出張でオーガナイザーの Jones に会うはずだったのだが,彼はその後2020年9月に急病で亡くなってしまい,そのまま会えずに終わることになった.たいへん残念なことであった.

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