数学図書室

東大数理の図書室に初めて行ったのは1976年,中学2年生の時だ.それ以来長い間ずっとお世話になっている.最近はネット時代になって紙の本や論文を見る機会は大幅に減ったが,数学においてネット上も含めた図書室の重要性はまったく減少していないと思う.理科系の中では数学は古い論文を読むことが多い分野である.私は1970年代くらいの論文は普通に読んだり引用したりする.私の専門の作用素環論は数学の中では新しい方の分野なのでこのくらいだが,もっと古い論文を見る人たちも数多くいることと思う.また研究書も重要であり,こちらも数十年前のものを見る必要があることはしょっちゅうである.数学の本や論文は時間がたっても正しさに変わりはないので,価値が減ることがあまりない.時代を経て流行テーマが変わるとか,新しい形に理論が整理された本を読むようになるといったことはもちろんあるが.

東大数理,さらには日本の主要大学の図書室は伝統的にお金と人手をたくさん書けて充実したものになっており,国際的にも最高レベルで優れていると思う.読みたいと思った雑誌や本がないことはごくまれである.日本の人文系の人が欧米の大学図書館の蔵書がすばらしいと言っているのをよく見かけるのだが,数学での私の感覚とずいぶん異なっている.UCLAUC Berkeley も数学の図書は全く貧弱である.これらの大学は歴史が比較的浅いということもあるのかもしれないが,アメリカの古い大学のことをよく知っている人に聞いても大したことはないという話だ.(ハーバード大学は何度か行ったことがあるが,残念ながら図書室を見たことはない.) ヨーロッパの古い大学はこれよりましだが,コペンハーゲン大学(1479年創設)とかローマ大学(1303年創設)とかでも,確かに古い本はあるがそれでも特に立派ということはなかった.もとからあまり図書にお金をかけるつもりがないのだと思う.ジャーナルも,取っていないので読めないということがよくある.数学で世界最高峰の研究所であるフランスの IHES にいたってはそもそも図書室と言えるレベルのものはない.ちょっと本が並んでいるだけである.一方日本ではたくさんの予算をつぎ込んでおり,Springer や Elsevier の主要研究書シリーズだと同じ本を2冊も3冊も持っていたりする.欧米の大学図書館ではこういう本でもないことがよくあった.

私が初めて東大数理の図書室に行ったとき,責任者だったのは羽鳥浅子さんという方だった.その後も長い間図書室の主のような方であり,私もたいへんお世話になった.長年にわたり日本の数学界に深くかかわっていたため,知り合いの数学者の数もとても多かった.UCLA の竹崎正道先生が1990年ごろ東大に客員教授として来た時,羽鳥さんは「竹崎さん,お久しぶりです」とあいさつしたので,竹崎先生がどうして自分を知っているのかと尋ねたところ,「だって前に東工大にいらしたでしょう」と答えたのだが,竹崎先生が東工大にいたのはその頃から見て30年以上前のことであった.

東大数理の図書の配置の特徴として,内容による分類ではなく著者名のアルファベット順に本が並んでいることがある.これは唯一とまでは言えないがかなり珍しい本の配置法である.上述の羽鳥さんはこの並べ方の方がよいのだ,という自信を持っているようだった.よい点は探す本をはっきり知っているときにはすぐに見つかるということである.一方でよくない点は,なんとなく○○理論についての本を探したいと思って本棚を眺めても見つけられないということである.通常は内容別に分類してあるので類似の本が近くに並んでいるのだが,ただそのように分類しようとしても,数学の進歩に従って適切に分類しがたい本がどんどん現れるというのが難点である.今はネット上の様々なデータベースで本や論文を探すのは容易なので,本を本棚で早く探せることを優先させるのという意味で著者名順も良いのかもしれない.

東大駒場キャンパスには教養学部全体の図書館があり,ここの買うべき新刊書を決める委員だったことがある.持ち込まれた現物を見て,買うべき本を決めるのだが,各専攻から出ている委員が買うべきと思う本を立てる,また買わなくて良いと思う本は倒すという仕組みだった.ところが私が数学のよさそうな本を立てると文学系の委員がそれを倒してしまうのだ.私が数学から出ているただ一人の委員として数学書について判断しているのに,なぜそれを文学系の委員が却下するのだと思ったが,委員長から,「予算がないんです.おたくは数学の方の図書館で買えるでしょう.そっちで買ってください」と言われたのだった.まあそれは本当なのでしょうがないかな,と思ったところである.次の年に今度は数理科学研究科図書室の方の図書委員長になった.10人くらいの委員が買ってほしい新刊書をリストアップして,それについて最終判断を下すというのである.そうは言っても,A先生がこの本を買いたいと言って,B先生がまた別の本を買いたいと言っているときにどうやって優先順位を決めるのか,高度に専門化されているのでそれぞれの中身を判断するのは無理だ,と事務の人に言ったところ,そういう時は全部買えばいいのです,予算の心配はありません,という答えが返ってきたのだった.充実した蔵書はこういった方針に支えられているのだということがよくわかった.

どうでもよい記事に戻る. 河東のホームページに戻る.