スタンフォード大学サマースクール

私は1985年に東大数学科を卒業してその秋から UCLA の大学院に留学したのだが,この年の夏に6週間,スタンフォード大学でアメリカ大学院新留学生向けのサマースクールに参加した.授業料は結構な高額だったのだが,広中平祐先生のやっている数理科学振興会がそのお金を出してくれたのである.

7月上旬までは東大数学科大学院の講義やセミナーに出ていたが,それが終わってアメリカに出発した.スタンフォード大学の最寄り空港はサンフランシスコである.私は UCLA に行くためにロサンゼルス行きの切符を持っていたので,まずロサンゼルスに行き,そこから国内線に1時間くらい乗ってサンフランシスコに着いた.私はアメリカに行くのはこれが初めてだった.この時は飛行機のロサンゼルス到着が遅れて,サンフランシスコ行きの飛行機に乗り遅れてかなり焦ったのだが,飛行機会社の人は何でもない様子ですぐに次の便に回してくれた.ロサンゼルス・サンフランシスコ間は一つの航空会社の便だけでも1時間おきくらいに飛んでおり,簡単に次に回せるのだ.一晩空港のそばの安ホテルに泊まった後,タクシーでスタンフォード大学に着いた.大学はサンフランシスコから少し南に行ったシリコンバレーにあり,パロアルトにも隣接している.この辺りは IT 企業が密集しており,Google もスタンフォードの大学院生が起業して作ったものだ.キャンパス内の Escondido Village と呼ばれる大学院生寮に滞在していた.本来の院生は夏休みでいないので空いている寮に入ったのだ.寮はあまり立派ではないと思ったが,後で思うとその後入ることになる UCLA の大学院生寮よりは立派だった.

サマースクールの参加者は世界中から来ていたが日本人もかなりいた.日本人の大半は政府,企業派遣の留学生で,大学を出てからけっこう時間がたっている人が多く,学部卒業後にすぐ来ていた私は日本人の中では一番若かった.留学先はスタンフォードの人と他の大学院の人が混ざっていたが前者の方が多かったと思う.現在は東大経済学部の著名な教授である神取道宏氏も参加者の一人だった.同氏は村田製作所がやっている奨学金でスタンフォード大学院に留学に来たところだったのだが,村田製作所の社長の息子も参加者の中にいたのであった.バブルに向かって景気の良い時期だったので,日本人は MBA を取るためにビジネススクールに来た人が多かったと記憶している.スタンフォードのビジネススクールには日本人留学生たちの間に伝わる試験対策のノートがあるというような話をみんながしていた.

毎日,アメリカの大学院でのレポートの書き方や発表の仕方についての講義や演習があった.私の記憶では数学の新大学院生は私一人だけで,講義はあまり数学と関係ないような内容が多かったのだが,英語の勉強にはなったと思う.講義や演習の内容はほとんど覚えていないが,英語について次の二つのことが記憶に残っている.数学では著者が一人の論文でも主語を "We" にするのが普通でそれに慣れていたので,私が "We" を使ってレポートを書いたところ,それは英語としておかしい,と言われたのが一つである.もう一つは,"pseudo" (擬)という数学ではよく使う接頭語について,先生(スタンフォードの院生が TA をしていたのだと思う)が "psuedo" と書いていたので綴りが違うと指摘したらその先生がうろたえたことである.

スタンフォード大学のキャンパスはスペイン風の建物が並び大変きれいである.中央にある Hoover Tower という塔もとても立派で,よくスタンフォード大学の写真を出すときに使われる.(Hoover は昔のアメリカ大統領である.) アメリカの大学キャンパスというのはこんなに立派なのかと思ったが,その後三十数年たってもこれ以上のキャンパスは見たことがない.中央部には豪華な教会が建っており,これも UC Berkeley や UCLA などの公立大学とは違う点である.キャンパス内の生協も本屋や文房具屋が立派だった.生協では "Harvard --- Stanford of the East" と書いたTシャツを売っていて笑ってしまった.

サンフランシスコまでは距離的には大したことがないのだが,車を持っていないと行くのはけっこう大変である.私は週末に電車とバスを乗り継いで行ってみた.ユニオンスクエア,フィッシャーマンズワーフなどがよかった.私がこの後に行ったロサンゼルスは完全な車のための街で,歩いて回れる中心部というのがないのだが,サンフランシスコは歩いて観光できる街である.

一度アメリカの地理と文化みたいな講義があった.先生はカリフォルニアの北側に印をつけて,我々は今ここにいる,と言った後,南側のロサンゼルス一帯を指さして,ここはクレージーなエリアだから近づいてはいけないと言ったのだった.その直後に,ロサンゼルスに留学するものはいるか,と聞かれたので私一人だけが手を挙げた.UCLA か,と聞かれたのでそうだ,と答えると,肩をすくめて,幸運を祈る,と言われたのだった.

その後36年間スタンフォード大学には一度も行っていない.スタンフォード大学には作用素環やそれに近い数理物理の人はおらず,知り合いはジャーナルエディターの関係の一人だけである.私に関係あるコンファレンスやセミナーが開かれることはないので行く用事がないのだ.UC Berkeley/MSRI には1年ずつ2回滞在したので,その際にスタンフォード大学にも行ってみたいと思ったのだが,特に用もないのに遊びに行くにはけっこう遠い.サンフランシスコ湾の東西に分かれているので,バークレーからはまず海を渡ってサンフランシスコ中心部を通り,さらに南にかなり行く必要があるのだ.これを公共交通機関で行くのはかなり大変である.私の元学生で,国家公務員になったあとに政府派遣でスタンフォード大学院に留学していた人がいるのだが,私自身は残念ながら行く機会がずっとないままである.大変良いところだったと思うのでまた一度は行ってみたいものである.

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