UCLA 学生寮

1985年に UCLA 大学院に留学することになって,住むところをどうすればよいのか心配していたところ,キャンパス内の寮の推薦枠を数学科が持っているので,希望すれば確実に入れると言われた.これはいい話だと思って,頼んだ結果,数学科に割と近いところにある大学院生寮 Hershey Hall に入ることができた.Hershey さんが寄付してできたから名前がついたのだが,その人はハーシーチョコレート創業者の親戚ということであった.寮の費用はは3食込みで月285ドルということで,私の奨学金は月1,000ドル前後だったので,割安だったのもよかった.しかしアメリカの大学寮というと何か近代的なホテルのようなものを想像していたのだが,まったくそうではなく,かなり古い6畳くらいの広さの二人部屋で,ソファーベッドと机が二つずつあるのだった.トイレ,シャワーは共同だった.1931年に建ったということだった.寮に着いてすぐの時,イーグルスのホテルカリフォルニアを大音響でかけている人がいて,ああ,カリフォルニアに来たんだと思ったことを覚えている.

寮は3階建てで,男性だけの階,女性だけの階,混ざった階の中から自分で選ぶことになっていた.トータルの人数は正確に覚えていないのだが,300人くらいだったのではないかと思う.私が記憶している日本人留学生は7人である.ほかの人たちは日本である程度働いたり,大学院に行ったりしてから留学に来ているのに,私は学部卒業後すぐだったので,私が一番若かった.日本で大学教授になった人はそのうち4人で,他の1人は民主党が政権を取った時の選挙で民主党から当選し,衆議院議員をしていた.この人は Wikipedia では「政治家,タレント,経営者」となっている.なおこの7人のうち2人はのちに結婚した.

私のルームメートはアラバマ州出身のビジネススクールの院生で,陽気なアメリカ人だった.アメリカ軍の奨学金を学部の時にもらっていて,その当時も軍関係の予備の何かをしているということで,月に一度迷彩服を着てどこかに出かけていくのだった.この人とはしばらく連絡が途絶えていたが,比較的最近に Facebook の友達になった.元気に過ごしているようである.

寮内の食堂は3食出るようになっており,昼休みにも寮に戻ってきて食べるのだった.当時まだ日本では珍しかったドリンクバーで飲み放題で,アイスクリームも冷凍庫から勝手に取って来ていくらでも食べられる仕組みだった.メインのおかずは一応一人につき一つなのだが,実際はいろいろな理由で食べない人がいて,ある程度の時間が過ぎて余っているものは希望者にくれるということになっていた.もともとアメリカサイズで食事の量が多いうえに,これで大量に飲み食いしたので,アメリカ1年目ですっかり太ってしまった.

一度,夜遅くまで数学科の建物にいて寮に帰ったことがあった.寮の裏口から入るのに鍵を開けなくてはいけなくてちょっと面倒だなと思ったところ,ちょうど少し前に女子学生が鍵を開けて入ったので,ラッキーと思ってそのままついて入った.その人は階段を2階に上がったのだが,私の部屋も2階だったので続いて私も階段を上がった.しかしその人は階段の途中ですぐに下がって1階に下りてしまった.その様子からわかったのは,私が鍵を使わずについて入ったので怪しい人かもしれないと判断したこと,本当は自分は1階に行くのにわざと2階に上がりかけたこと,私がついて2階に上がりかけたのを確認してから自分は1階に向かい私を振り切ったこと,である.実際にそういう行動が推奨されていることを後で知った.その頃もキャンパス内の殺人事件は起きていたのであって,それだけ警戒しなくては危ないということなのだった.

狭いとか古いとかの問題はあったが,安いことと通学時間がゼロなことは大きなメリットだったので,2年目もここに続けて住みたいと思ったのだが,現在住んでいる人が次の年も住みたい場合は抽選になるということだった.抽選の倍率はかなり高く,私も私の知り合いもみんな落ちてしまった.そこで日本人留学生の一人とアパートをシェアすることにした.日本の一人用アパートのような狭い物件はほとんどなく,あっても割高なので,二三人の学生でシェアすることがよく行われている.部屋が4つあるところだった.この日本人留学生は灘から理一に入ったが,あまりに数学が訳が分からないので文転して教養学部のアメリカ科に進学したという人で,学部時代にも一年留学経験があり,とても英語がうまかった.今は立命館大学の教授をしている.

寮の建物はその後しばらく寮として使われ続けていたのだが,狭い,古い等の理由で人気がなくなったのか,今では改装されて今は事務の建物になっている.裏側には別の建物が建ったので,裏から見てなくなってしまったのかと思ったが,表から見ると昔の入り口は今も使われている.比較的最近,UCLA に行った際に中に入ってみたが,中は全面的に改装されており,昔寮であったことを感じさせるものはまったくない.

寮の食事だが,日本人留学生の間ではまずいと不評だった.私は特に不満もなく,これでいいんじゃないですか,と言っていたので味のわからない男とみなされるようになっていた.ある日野菜炒めのようなものが出て,他の日本人学生が,こんなものが食えるか,と怒り始めたことがあった.これはどうか,と聞かれたので,さすがにちょっとこれはまずいですね,と言ったところ,みんなから,それ見ろ,味のわからない河東君ですらまずいと言っているぞ,と言われたのだった.なお私はその後通算5年,アメリカに住んだのだが,ものを食べてまずいと思ったのはこの1回だけである.

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