オーべルヴォルファッハ数学研究所

これはドイツ南部のいなかにある数学の研究所である.研究所と言っても教授や研究員がいるわけではなく,毎週何かしら研究集会を行っており,世界中から数学者がやって来る.参加人数が限定されているので招待されなければ行くことはできない.私は15回行ったことがあるが大変良いところである.今私はカタカナで「オーベルヴォルファッハ」と書いたが,最初の部分は「オーバー」とも書けるであろう.一応これが,友人のドイツ人数学者 Bisch の発音に一番近いと私が思うカタカナ表記である.綴りは"Oberwolfach"であり,"ober"は「上の」である.近所に Wolfach というごく小さい街があるのでその上方ということであろう.「Ober何とか」という地名はドイツにはたくさんあり,電車で駅名を読み上げるのを聞いているとたいていオーバーと発音しているようだ.しかしこの Bisch はこの研究所のごく近くの地元の出身であるので,私は彼の発音に従っている.この研究所の最寄り駅はハウザッハなのだが,彼はハウザッハ高校の出身であり,また研究所の秘書は彼とハウザッハ高校で同級生だったそうだ.

私が初めてここに行ったのは1991年である.当時私は UC Berkeley のポスドクで,当時同じくポスドクだった上述の Bisch がドイツのコンファレンスに行くんだと言っていて,ふうんと思っていたところ,オーガナイザーの一人の Haagerup からメールが来て,お前も来いと言われたのだった.Haagerup が当時いたデンマークのオーデンセ大学と合わせて2週間のヨーロッパ出張をセットした.私が家族でヨーロッパに来ている間にバークレーで大火事があって心配したのだが,私の借りていた家は無事だった.(この火事で知り合いの教授の自宅は全焼した.) このときの参加者の大半はヨーロッパ人でヨーロッパとのコネを深めることができた.

この研究所は同じ敷地内に宿と食堂がついており,50人くらいの参加者は原則としてみなそこに泊まり込んで食事も一緒に取る.食堂では名前の入ったナプキン入れをシャッフルしてテーブルに配置し,そのテーブルで食事することになっている.あらかじめ知っている仲間内だけで食事の際に集まることを避け,新しい人たちと知り合いになれるようにするための仕組みである.食事は地元のドイツ料理で立派なものだ.私は一度ここで食べまくって1週間で3キロ太ったことがある.

研究集会で普通に講演があるのだが,参加者の間の議論を奨励するためあまりたくさん講演を詰め込まないように,という方針になっており,昼休みが4時間ほどある.その間にお茶の時間もあって立派なケーキが出る.また水曜の午後は近所の山の中にみんなでハイキングに行くことになっている.夏にも冬にも行ったことがあるが,冬で雪が積もっていると山の中を登っていくのは結構大変である.ハイキングの終わりにはよくカフェで,地元のシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを食べることになっている.

ここには常勤の教授や研究員はいないにもかかわらず,極めて充実した図書館がある.半地下の階に本やジャーナルがぎっしり詰まっており,世界的なレベルの蔵書である.山奥の研究所にこのようなものがあるとは驚きのコレクションだ.世界中から毎週数学者がやって来るため,新しい本を図書館に並べておくとよい宣伝になる.このため新しい本は出版社からもらっているようだ.自分の本がこの図書館にある数学者はその本にサインするのが奨励されており,私の本にもサインしてきてある.

この研究所は数学者の写真コレクションも持っている.今ではオンラインで見られるようになっているが,昔は紙にプリントした写真のコレクションが見られた.写真はアルファベット順に並んでいるのだが,ユナボマーと言われる有名なアメリカの爆弾テロリストが元数学者であるため彼の写真もコレクションの中にあり,その名前は Kaczynski なので私の Kawahigashi のすぐ前に写真があったのだった.今もオンラインコレクションで Kaczynski の UC Berkeley 時代の写真を見ることができる.

最寄り駅のハウザッハはフランクフルトから電車で2時間くらいである.昔はフランクフルト空港からの電車は長距離線につながっていなかったので,いったんフランクフルト中央駅に出る必要があったのだが,今は空港から直結で遠くまで行くことができる.途中にハイデルベルクがあり,何度か立ち寄ったことがある.フランスとの国境に近いオッフェンブルクまで特急列車で来ることができ,ここからローカル線に乗り換える.フランス側はストラスブールがすぐ近くである.一度まだ慣れていなかった頃に,ハウザッハからの帰りにみんなで逆向きの列車に乗ってしまったことがあった.ドイツに慣れているというアメリカ人について行ったらみんなで間違えたのである.電車の本数はかなり少ないので1時間近いロスとなり,飛行機の時間に間に合うかどうか心配になったが,ちゃんと間に合うことができた.

食堂や講義室そばの引き出しにはワイン,ビール,ジュース,ミネラルウォーターなどが詰まっており,箱に現金を入れて買うことができる.お金は帰る前にまとめて払うこともでき,ごっそり飲んでいる人がよくいる.ほかにコーヒーの機械もある.またほかの引き出しにはチョコレートなどが入っているものもあり,いろいろなところを開けると食べ物,飲み物が隠れているのだ.

私は多くの場合は一般参加者だったが,集会のオーガナイザーだったことも3回ある.研究所の人に聞くと,ワークショップの提案申請の成功率は通常の集会で約1/2,もっと直前でも申し込めるミニワークショップだと約1/3ということである.3回のうち1回はほかのオーガナイザーがすでに申請に成功した後に加わったので私は申請していない.ほかに申請して通らなかったことが1回あるので,私のオーガナイザーとしての申請結果は2勝1敗である.申請の採否を決めるのはこの研究所の審査委員会である.同様の仕組みのカナダのバンフ国際研究ステーションは外部レフェリーに申請書を送って評価をしてもらっているのだが,こちらはそういうことはしないで審査委員会だけで決めているということだ.

私は2007年に共形場理論の Arbeitsgemeinschaft という集会のオーガナイザーだった.これは普通の研究集会と異なっており,若手の勉強会のようなものだ.あらかじめ参加者に,この論文を読んで内容を発表しろ,と割り当てておき,それについて発表してもらうのだ.ちょっとほかにはない種類の集会である.これはドイツ数学会が関与していて半年に1回くらいのペースで開催している.Denninger と Faltings がその責任者だったので,私が出たときは(極めて著名なフィールズ賞受賞者である) Faltings が来ていたのだが,特に自己紹介などしなかったので,若手参加者たちには Faltings が来ているということがあまり伝わっていなかった.そのため食事の際にたまたま Faltings の隣に座った作用素環の若手が彼に,あなたの専門は何ですか,と聞いており,彼は淡々と整数論です,と答えていた.私は心の中でこの若手に,お前が質問している相手は Faltings だ,と叫んだのだった.

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