デンマークと作用素環

デンマークは人口約600万人の小さな国だが,作用素環の主要国の一つであり,私も12回行ったことがある.私の最初の学生もデンマーク人留学生であり,その後ももう一人デンマーク人留学生に博士を出している.人口当たりの作用素環研究者数ではデンマークが世界一だという話もあるくらいだ.

私が UC Berkeley でポスドクをしていた1991年,私のところに博士課程の学生として留学したい人がいるという連絡がデンマークの Haagerup からあった.Haagerup はたいへん残念なことに2015年に事故で亡くなってしまったが,作用素環の有名な大物である.その学生は日本人と結婚しているということであった.そこで私は Haagerup が主催したドイツのオーベルヴォルファッハの研究集会に秋に行き,その後デンマークのオーデンセに行ってその学生に会い,指導を引き受けることになった.Haagerup が当時オーデンセ大学にいたからだが,この街はアンデルセンの出身地として有名なところである.小さな街だがなかなかきれいなところで中心部は古い街並みがよく保存されている.大学は中心部から少し離れていて全く新しいものである.当時はオーデンセ大学という名前だったが,今では南デンマーク大学と改称された.この時の学生,Winsløw は無事東大で博士を取って,今ではコペンハーゲン大学の教授をしている.

フランス人数学者の名前はたいてい正しくフランス語式に発音される.Cauchy とか Galois などの名前を英語式に発音したらバカだと思われることは確実である.(しかし Hadamard は多くの英語話者がハダマールと発音する.最後の d を発音しないところはフランス語式なのに,なぜ最初の H は発音するのか不思議である.) ドイツ語の名前も,W を英語式に発音することが多い以外はだいたいドイツ式に発音される.しかし北欧,東欧の言語になるとよくわからないので英語式になってしまうことが多い.デンマーク語の発音は大変難しいのでたいていの場合,名前は英語式に発音されてしまう.上述の Haagerup という名前は本当はホーエルップのような発音なのだが,英語ではほぼ全員がハーゲラップのように発音している.上述の Winsløw が私の最初の学生だったことから,正しいデンマーク語発音をまねしたいと思い,何度か練習してみたのだが,全然違う,ということであった.上記のオーデンセも英語式発音で,正しいデンマーク語発音とはだいぶ違う.

オーデンセ大学に初めて行ったとき,Haagerup のことを秘書が Hågerup と書いているのを見た.ドイツ語のäをウムラウトなしで書けば ae になるように,å をアクセント記号なしに書けば aa になることは知っていたが,固有名詞なのに書き方が二つあるのかと思ったので彼に聞いてみたところ,次のような説明であった.もともと両方の書き方があったが,ある時に全部 å に統一するという決まりができた.ただし固有名詞だけは例外で,古い書き方を守りたい場合はそうしてもよい,ということになった.彼の一族では古い書き方をしているので aa と書いているが,秘書は発音から新しい書き方に従って,å と書いたのだ,ということであった.なおこの文字は北欧諸国でしか使われていないが,一番日本でなじみがあるのは,オングストロームの記号であろう.彼はスウェーデン人で名前の綴りは Ångström である.(ここからも å に一番近い日本語の母音はオであることがわかる.) またデンマーク第二の都市 Aarhus では,一時期市の名前は Århus で,大学の名前は Aarhus と大変紛らわしいものだったのが,今は市の名前も Aarhus になったということである.私はここにはコンファレンスで一度だけ行ったことがある.オーガナイザーの数学者は,昔オックスフォード大学の寮で,当時の皇太子妃(現皇后)と一緒だったという話をしていた.

1997年3月にオーデンセ大学とコペンハーゲン大学に合わせて1か月行った.当時修士1年生だった浅枝マルタさんもついて来た.(この下の名前は日本の本名ではなく自分でつけたものだが,その後彼女はアメリカ国籍を取ったので,今ではこの名前が本名である.) 当時彼女は Haagerup の有名な問題を研究していた.こんな難しい問題を解くのは無理だと私は思ったが,とにかく今ある手法でまずやってみようと考え,予備的な計算を開始したところだった.Haagerup に会って,あなたの問題をこういう方針でやっています,と言ったところ,彼はすぐにその方法ではできない,と答えた.ああ,やっぱりもう試してあるんだな,と思ってがっかりしたところ,続けて,その方法を改良するアイディアがありそれを使えばできるかもしれない,と言うのだ.その方法を教えてくれたので彼女は計算を開始し,デンマーク滞在中にほぼ計算を完了することができた.これは二人の共著論文になり,現在では Asaeda-Haagerup subfactor と呼ばれている大変有名なものである.

デンマークに作用素環研究者が多い理由のおおもとはアメリカの Kadison である.彼は2018年に90代半ばで亡くなったが,von Neumann のポスドクをしていたという長老で大きな影響力があった.彼の奥さんがデンマーク人だったので,何度もコペンハーゲン大学などに行って作用素環の講義をしていた.それを聞いた中から作用素環の研究者がたくさん育ったのだが,中でも有名なのが上述の Haagerup の先生だった Pedersen である.彼はC*環の本や関数解析の本でも有名で学生に人気があったので,多くの学生を作用素環に引き入れることに成功した.

この Pedersen もいろいろ楽しい人だったが,2004年に比較的若くして亡くなってしまった.私は亡くなる前の年にルーマニアのコンファレンスで会ったのが最後になったが,その時,自分の最も引用されている論文は Brown と共著で real rank zero という概念を導入したものであるが,この論文は定義をしただけだ,と言っていた.この論文では重要な性質が証明されているのでそれは全くの言い過ぎなのだがそれはともかく,続けて "I will be remembered just for a definition." と言って笑っていたので,私も軽い冗談だと思って一緒に笑った.その次の年に彼が亡くなり,私がルーマニアで会った時点ですでに末期癌で本人もそれをわかっていたのだと知った.そう知ったうえでこれを思い出すとなかなか重い言葉である.

彼についてはもう一つ,Pedersen test というものがある.これは,電車に乗って作用素環のコンファレンスに向かっているときに挙動不審の乗客を見かけた場合,その人も同じコンファレンスに向かっているかどうかを確かめるためのテストである.まず前置きとして,作用素環の乗法単位元について説明する.代数の(可換)環の公理には通常乗法単位元の存在が仮定されていると思うが,作用素環の公理にこれを入れるかどうかは微妙である.von Neumann 環の場合は乗法単位元の存在が他の公理から自動的に導かれるが,C*環の場合はそうではない.乗法単位元がある場合(unital)が自然な問題もあるし,そうでない場合(non-unital)もある.さて元の話に戻ると,テストの内容は,"Let A be a C*-algebra." とつぶやくというものである.もし作用素環の人だった場合は,"Unital or non-unital?" と聞き返さずにはいられない,というのがその理由である.実際にコンファレンスなどでこの質問はよく出るものである.

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