小松彦三郎先生

私は UCLA の竹崎正道先生のところで Ph.D. を取ったので,作用素環関係者はみな私のことは竹崎先生の弟子だと思っている.もちろんそれで正しいのだが,私はアメリカに留学する前は小松彦三郎先生の学生であった.私を東大に助手(現在の助教)として採用してくれたのも小松先生である.そこで以下は当時の小松セミナーについての話である.

私が小松先生の4年生セミナーに入ったのは1984年である.当時の東大数学科は本郷にあり,4年生セミナー担当教員は教授,助教授(現在の准教授)9人ずつと,今の東大数理よりずっと少なかった.(駒場にあった教養学部数学教室は別組織であり,そちらの先生たちは4年生のセミナーは担当しなかった.) 小松先生のところは多くの数学者を出す人気セミナーだったと思う.特に佐藤(幹夫)スクール関係者の多くを輩出していた.そのことと,小松先生の教えた3年前期の複素関数論(現在の複素解析学II)が面白かったことから小松セミナーを有力候補に考えていた.小松先生がセミナーテキスト候補に挙げた本の中に Douglas の "C*-Algebra Extensions and K-Homology" があった.C*環にはなじみがあったことと,この本は何年か前から挙げているが誰も選んだ人はいない,と言われたことがきっかけでこの本を勉強することにした.小松先生は吉田耕作先生の弟子だったので関数解析は守備範囲だったのだが,もちろん作用素環は専門家ではなく,周りの学生はだいたい線型偏微分方程式をやっていた.私のこの選択には 1982年に Connes がフィールズ賞を取ったばかりだったことも影響したと思う.(正確に言えばポーランドの混乱で ICM が1年延期になったので,フィールズ賞授賞式は1983年だったが.) 線型偏微分方程式の超局所解析には,佐藤超函数に基づく Cω と呼ばれる流儀と,Schwartz 超関数に基づく C と呼ばれる流儀があって,たいていはどちらか片方をやるのだが,小松セミナーでは両方やっていた.私の周りの学生たちはみなそういうことをしていたので,私も一緒に Hörmander の Smρ,δ の論文を読んだりしていた.この論文はとても面白いと思った.当時は戸瀬信之氏(現慶応大)が2年上にいた.

その後夏休み前に,アメリカに留学したらどうか,と勧められた.最初プリンストン大学の Wu-Chung Hsiang が日本に来ているから会うとよいと言われて会ったのだが,この人はかなりトポロジー寄りだったので,あまり方向があっていなかった.そこで9月の日本数学会で東大に来た京大数理研の荒木不二洋先生に会ったり,いろいろな人に手紙(まだ e-mail はほとんど使われていなかった)を書いたりして,その結果 UCLA に留学することになった.Jones 多項式発見直後の Jones にも手紙を書いて,1985年から UC Berkeley か Stony Brook に移ると言われたが,当時は von Neumann 環のことは何も知らなかったので,UCLA を選んだ.当時知り合いの東大の別の教授からは,日本にいればうまくいけば修士修了ですぐに助手になれるし,その後給料をもらったまま海外に行けるのだから,それに比べ学生として留学するのはあまり得策ではないというアドバイスを受けたのだが,この意見に従わなくてよかったと思っている.

私は自分の学生セミナー発表の際に,本はもちろん,ノート,メモなども見ないように言っているが,これはもともと小松先生の流儀である.さらに竹崎先生も同じ流儀だったのでますますこのやり方が強化された.このことは『新・数学の学び方 』(岩波書店)に書いたのであまりここでは繰り返さないが,この何も見ないで講演,講義するという方式には多くの優れた点があると思っているので,学生にもそうするように言っている.

私の後,小松セミナーの2年下の武部尚志氏(現モスクワHSE)はレニングラード(現サンクトペテルブルク)に,3年下の山崎満氏(現ICU)はパリに留学した.私も何人も大学院生を海外留学に送り出しているが,このことにも小松先生の影響があると思う.院生として IHES に滞在していた頃 Malgrange がやって来たので,私はもともと小松の学生だと言ったところ,線型偏微分方程式から作用素環に転向したと思われたようだったので,そうではない,最初から作用素環なのだ,と説明したことを覚えている.学生が教員と全然違うことをやっていてもかまわないという傾向は当時の東大にはかなりあったと思うのだが,その中でも小松先生のところは一番極端だった.私の学生にも相当私と離れたことをやっている人は何人もいるのだが,それにしても作用素環の範囲内ではある.私は自分の学生に偏微分方程式でもよいとまでは言えないことを思うと,小松先生の受け入れ範囲の広さは特筆すべきものである.

小松先生が,自分の専門と全く違う作用素環のテキストを4年生セミナーの候補に挙げたこと,アメリカに行けという最も重要なアドバイスをくれたこと,私の研究内容はほぼわからなかったはずなのに,私を東大の助手に採用してくれたことには深く感謝している.もし小松先生がいなかったら,現在の日本の作用素環の状況はかなり違うものになっていたはずだ.私も教員として,次の世代に良い影響を与えられるようがんばりたいと思っている.

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