勤務先としての東大数理

最近日本の国立大学の労働環境の評判が悪い.いろいろな記事を見ていると,有能な教員はさっさと海外の大学や景気の良い民間企業に移るもののように思えてくる.日本の大学業界,特に地方国立大学に多くの問題点があることは確かであり,もっと良い職場があると思う人はどんどん堂々と移ればよいと思うし,現状改善のために努力されている方々には深く感謝しているが,私自身の研究,労働条件について言えば,大変ありがたいことに別に不満はなく,むしろ十分優れているとさえ思う.(あくまで私の周りについての個人的感想である.数学特有の事情もあるだろう.) 私はアメリカその他,英語で講義や事務をしているところならたいていの国に移ろうと思えば移れると思うが,そんなことをしても私にとって総合的に今より良くなることはないと思う.欧米メジャー大学できちんと研究している私の知り合いの数学者と自分の環境を比較すると次のようなところだと感じている.

私の教育業務には学生のゼミがかなりあるが,それを除けば私が実際に学生の前で講義するのは年間で1〜2コマしかない.2コマの時もたいてい片方の学期に入れるのでもう片方の学期は講義がない.また日本の1コマというのは週90分のことだがアメリカの一コースというのは通常週150分である.これを考えると私の講義負担は少ない方だと思う.このため例年1年の1/3以上は海外出張できている.(今はコロナウイルスのため出張できないが.) 海外の同業者からよく,なぜそんなにいつでも海外出張できるのか,日本で授業はないのかと言われる.なおヨーロッパには割と授業負担の少ない人はいると感じる.

海外の大学の給料が高いとよく言われるが,私の知っている限り高いのはアメリカをはじめとする一部の国だけである.アメリカは産業界と競合するような専門ではそれに対抗するために高い額を払うが,残念ながら純粋数学の相場はそんなに高くない.特別な事情がない限り,私の1.5倍は十分可能だが2倍は難しいといったところだと思う.(アメリカの多くの州では公務員の給料は個人レベルでネットで公開されており,これによって公立大学教授,たとえばカリフォルニア大学の教授個人の給料もわかる.) アメリカは通常の物価も高いし,医療,教育,(都会の)住宅などがめちゃくちゃに高い国なので,1.5倍というのはそんなに良いものでは全然ない.また英独仏伊北欧などの給料はむしろ日本の相場より低いと思う.

日本の数学の場合ほぼ研究費=科研費である.そもそもどこの国でも純粋数学では多額の研究費は必須でないが,私は研究費はたくさんもらっており,国際研究集会を開いたり,ポスドクを雇ったり,ビジターを呼んだり,頻繁に海外出張したりしている.日本の大学の若い人への経済的支援は国際的に見て不十分だと思うが,教員の研究費は少なくないと思う.科研費をずっと通していれば申請書を書くのは数年に一度で済む.なお外部資金以外に私が東大からもらっている研究費は年間10万円だけである.

私の研究教育以外の業務はとてもたくさんあるが,その9割以上は学外,海外から来るものであって東大や文科省の仕事ではない.私が仮にアメリカの大学に移ったとしてもそのまま私についてくるような種類の仕事である.まず国際ジャーナルの編集委員として年間数百本の論文を担当している.また国内外の各種集会のオーガナイザーもいろいろやっている.海外出張もたくさんあるのでそれに伴っていろいろ事務手続きが発生する.ポスドクを雇えば書類が必要である.また人の業績を評価する種類の仕事がとてもたくさんある.学生を入学させてもよいか,奨学金を出してもよいか,論文や本を出版してもよいか,研究集会で講演させてもよいか,大学で雇ってもよいか,昇進させてもよいか,研究費を出してもよいか,賞を出してもよいか,といったことについて世界中から意見を求められるのである.非公式な短い意見を言うだけのこともあるし,公式の推薦書,評価書を長く書くこともあるし,すでにある評価書や申請書を見て最終決定することもある.これが私の仕事のかなりの部分を占める.学内の業務はこれに比べればほぼゼロに近い.

数学ではチームを組んで研究するわけではないので,自分自身の研究のためにはポスドクや院生の人手は必要ではない.そのため大規模な研究室を率いるといったタイプの人はそもそもいない.実験の人は PI (Principal Investigator)になることが重要というが数学では PI という概念はない.自分の研究の計画,実施,発表に自分で全責任を負うという意味では,ポスドク,場合によっては院生のうちからどの国でも全員が実質的に独立した PI であり自由である.

私の指導する院生は海外同業者よりかなり数が多いと思うが,レベルが高く,数が多いことが私の分野を発展させるのに役立っていると思うので何も問題はない.これはむしろ東大数理にいることのメリットである.

大学事務や文科省がいろいろ理不尽な規則を振り回して大変だというような話もよく聞くのだが,私はそういう経験はしたことがない.大学本部の人はいろいろ文科省とやりとりしているのだろうが,私レベルでは文科省からの指図などまったく何もない.他の国立大学では,文科省に言われてやむなく,無駄・無意味な〇〇をしている,という話をよく聞くのだが,東大数理ではたいてい,そんなことは言われてもいないしやってもいないと思う.アメリカほど何でも融通が利くわけではないが,何か特に問題があるというほどのことはない.東大全体では時々変な話も聞くが,私のところまではそういうおかしいことはやって来ない.きっと面倒なことには研究科長その他の方々が対応してくれているのであろう.ありがたいことである.

大学として資金や人手が足りない,どんどん減っているという話もよくマスメディアやネットで聞くのだが,私の周りでは別にそういうことはないように見える.私が勤めている30年以上の間に悪くなったということもない.東大数理ではポストの減少はごくわずか(30年でマイナス5%くらい)だし,助教は今も最初から任期なしで年俸制ではないポストである.東大数理の図書室は世界最高水準で優れている.そもそも数学では欧米でもそんなにお金や人手があるわけではないと思う.

私は試験がものをいうような職業なら何にでもつけたが,その中で今の仕事を選んだことに別に不満はない.私はもちろん数学が好きだから数学者になったのであり,数学を職業にできていることをありがたいと思っているが,そういうことはおいておいて,単純に給料,労働時間,仕事上の裁量の大きさなどについて私の待遇について考えてみよう.私の高校の同期は100人くらい東大に行ったのだが,その人たちと比べても私の待遇は平均より上だと思う.極端に収入の高い人は確かにいるが,そういう人はごく一部だし,もともと数学で大儲けしようなどとは考えていない.昔に戻って人生をやり直せるとしても,あるいは今の時代で若返ったとしても私は今と同じ職業選択をするであろう.

さていろいろメディアに出ている大学関係の記事はよく見るが,私の感覚は多くの日本の大学教員と異なっているようである.これはなぜだろうか.考えられる理由は次の通りである.

  1. 東大だから恵まれている
  2. 東大数理が恵まれている
  3. 私だけ特に待遇がよい
  4. 本当は私の待遇はよくないが鈍感なのでそれに気づかない
海外にポストがあっても東大に戻ってくる日本人はよくいるので1番なのかなとも思うが,東大でも強い不満を言っている人がけっこういるのはなぜなのかよくわからない.私が鈍感なのはまあそうなのだが,それでもありそうな順番に,2, 1, 4, 3かなと思う.いずれにせよこの環境は税金を払ってくださっている日本の皆さんのおかげであり,深く感謝するものである.この環境が今後も若い人の時代にも続くことを願っている.

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