サンタバーバラとマイクロソフト

カリフォルニア大学サンタバーバラ校はその名の通りカリフォルニア州サンタバーバラにある.サンタバーバラはロサンゼルスから太平洋岸に沿って北西に150キロくらい行った海岸そばの保養地である.サンフランシスコからだと南に500キロくらいの位置である.同校は青色発光ダイオードでノーベル物理学賞を取った中村修二氏の移転先としても知られるが,大変きれいなキャンパスを持っている.

私が同校に行ったのは5回である.最初に行ったのは大昔で1986年のことである.この年にバークレーで ICM (国際数学者会議)があって,作用素環のサテライトコンファレンスが同校で開かれた.(同校には伝統的に作用素環の人がいる.) 私は当時 UCLA の大学院生だったのでこれに参加したのである.ロサンゼルスからはシャトルバスのようなものに乗って行った.ヨーロッパ作用素環の人たち,たとえば Connes や Haagerup にはこの時初めて会った.Connes は「非可換時空」と言う題名で講演していたのを覚えている.のちに共著者となる Evans にもここで初めて会ったのだが,彼がコンパクト群作用の講演をしていたということ以外はあまり覚えていない.大学の寮のようなところに泊ったのだが隣の部屋が Pedersen だった.竹崎先生のところの兄弟子に当たる幸崎秀樹氏(現九州大学名誉教授)にもこの時初めて会った.この時は同氏はまだアメリカに勤めていた.このコンファレンスで最も印象に残ったのは Ocneanu の夜の非公式講演である.彼が部分因子環の分類についての衝撃の結果を宣言するのは1987年なのでその前段階の話で,飲み物を飲みながら熱弁をふるっていた姿が印象的だった.キャンパスについては海辺に出てきれいな海岸を歩いたことが唯一の記憶である.

次に行ったのは2001年である.この年はバークレーの MSRI で作用素環のプログラムがあり,私は1年間の滞在中だった.この時は UCLA の学生時代の友人 Bisch がカリフォルニア大学サンタバーバラ校に勤めていたのでセミナー講演のため彼のところを訪問したのだ.サンフランシスコから小さな飛行機で行った.時間は1時間弱である.空港がとても小さいのが印象に残った.街中でサンタバーバラで一番と言われる高級レストランに行ったはずなのだが,どんなレストランだったのかはすっかり忘れてしまった.中心部の古くて大きな教会のことやスペイン風の街並みは記憶にある.

その後の3回はすべて同校の敷地内にあるマイクロソフトの Station Q への訪問である.これはその名の通りマイクロソフトの研究所だが量子コンピュータおよびそれに関連する数学,物理学,計算機科学などを研究する組織である.Q は Quantum の頭文字だ.4次元 Poincaré 予想の解決でフィールズ賞を取った Freedman がマイクロソフトの Bill Gates に訴えて2005年に設立されたとのことだ.量子コンピュータは多くの数学的問題と関係しているが,Kitaev が1997年に提唱したトポロジカル量子コンピュータの原理は Jones 多項式に代表される結び目の位相不変量と密接に関わり合っている.そこで Jones 多項式に関係した数学者も何人もここで研究しており,私の知り合いもここにいるのだ.(Kitaev 本人も前は Staion Q にいたが今は Caltech に移っている.) 彼らの多くは普通の純粋数学の研究をしており,論文や学会発表のスタイルも我々と同じである.最初は Freedman がここのトップのポストについていたが現在研究所を率いているのは中国出身の Wang である.彼はもともと Freedman の弟子で4次元トポロジーを研究していたが現在はトポロジカル量子コンピュータに関係した,モジュラーテンソル圏などの数学的研究を行っている.彼は作用素環の研究集会にもよく来るので私は結構前から知り合いである.彼はマイクロソフトの方が本職だがさらにカリフォルニア大学サンタバーバラ校数学科の教授も兼任している.

Station Q は理論物理で有名なカブリ理論物理学研究所のすぐ隣の建物にある.他の研究所の2階の十数室を使っており,でかでかとマイクロソフトと書いてあったりはしない.タクシーで行くときはマイクロソフトと言ってもわからないので,カブリ研究所に行きたいと言うようにということだった.部屋もただの普通のオフィスが並んでいるだけだ.Freedman は隅の眺めの良い部屋にいるが,すぐ前にはヤシの木と海辺が見えてよい景色だ.キャンパスは海のすぐそばに迫っており,ラグーンと呼ばれる浅い水域が広がっている.数学科は少し離れた建物にあり,こちらも普通のビルである.ここの数学科には双子素数問題に関する画期的な進展で話題になった Yitang Zhang がいる.全米での争奪戦を経て彼を獲得したとのことだ.また私がいつも泊まるホテルは研究所から海に近い道を歩いて30分くらいのところにある.ホテルの近所はスカスカで建物はあまりない.アメリカ人ならレンタカーで移動するのだろうが,私は Uber を使っていた.

サンタバーバラは人口10万人程度の小都市だが高級別荘地,リゾート地として有名である.Reagan 元大統領もここに住んでいたし,Michael Jackson のネバーランドもこの郊外にあった.街の中心部は大学から車で15〜20分くらいだがしゃれた高級レストランがたくさんあり,行くたびに立派なところでおごってもらっている.マイクロソフトの経費で落ちるから大丈夫だと言われるのだが,いつも私は何かマイクロソフトの利益に貢献しているのだろうかという気分になる.

去年(2020年)1月にサンタバーバラに行った際,帰りにサンフランシスコ空港でたまたま隣に座ったアメリカ人らしき乗客から中国で流行っている新型ウイルスが心配だがどう思うか,とたずねられた.そんなものは全く心配していない,と答えたのだがもちろん完全に私の方が間違っていた.いつものことだが私は社会の将来を見通す能力が全然ないことを改めて思い知らされたできごとだった.

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