ブダペストとプラハ

2010年にウィーンの Schrödinger 研究所に行ったとき,ブダペストの Petz からこちらにも来てほしいと言われたので,電車に3時間ほど乗ってブダペストに行った.ウィーンは東ヨーロッパにかなり食い込んだ位置にあるので,ブダペストにもプラハにも電車ですぐ行ける.私の行き先は Alfréd Rényi 研究所だった.Rényi は確率論や組み合わせ論で有名な数学者であり,「数学者はコーヒーを定理に変換するための機械である」と言ったとされる人でもある.なおハンガリーは組み合わせ論の有名な数学者を多く出しており,日本で有名な Peter Frankl もハンガリー出身の組み合わせ論の数学者である.Alfréd Rényi 研究所の図書館には彼の寄付した本のコーナーがあった.Erdős 数の Erdős も組み合わせ論その他で活躍したハンガリー人である.私の共著者の Weiner はローマの Longo のところで博士号を取った後,ハンガリーに帰って今はブダペスト工科大学にいる.彼は作用素環と共形場理論が専門のはずだが,論文リストを見ると最近は組み合わせ論の論文も書いている.ブダペストにいるとみんな組み合わせ論をやらずにはいられないのだろうか.なお彼のおかげで私の Erdős 数は3である.

私がこの研究所で話したセミナーには Neumann-szeminárium という名前がついていた.Neumann とはもちろんブダペスト出身で作用素環論の元祖 von Neumann のことである.彼の苗字はもともと単に Neumann だったのだが,父親が貴族の称号をお金で買ったので von Neumann という名前になった.日本では「ノイマン型コンピュータ」のように彼の名前に「フォン」をつけない人がよくいるが,英語で von をつけない言い方は聞いたことがない.(Neumann 級数や Neumann 境界条件の人は von のつかない別の数学者である.) なおハンガリー語では日本語と同じく,名前は姓・名の順に書くのだが,私の知っているハンガリー人数学者は全員論文では名・姓の順に書いている.

ブダペストはドナウ川にまたがるブダとペストがまとまって一つの街になったものである.ドナウ川にかかるセーチェーニ鎖橋でつながっている.ブダペストは「ドナウの真珠」とも呼ばれる美しい町で中心部は世界遺産になっている.特に夜景がすばらしい.その地下鉄は世界で3番目に開設されたもので,電気運転のものとしては世界初である.この地下鉄はブダペストの世界遺産の一部分ともなっている.黄色い車体の1号線は特に小さく,古い感じである.地下鉄の地上と重なっているアンドラーシ通りがブダペストの中心的な通りで,ここのレストランでハンガリー料理をごちそうになった.ハンガリー料理と言えば,牛肉と野菜を煮込んだグヤーシュが有名である.Rényi 研究所の向かいのレストランのグヤーシュがよいと人に教えられてこちらにも行ってみた.確かにとてもよいところだった.

プラハに初めて行ったのは2006年である.可積分系のコンファレンスに行ったのだ.私はコンファレンスは,向こうから来て講演してくださいと言われたものに参加するのが基本なのだが,この時は思い立って,案内を見て自分から申し込んでみたのだ.街の中心部からちょっと外れた寮のような建物にみんなで泊った.作用素環の人はほかにおらず,数理物理の人たちがたくさんいた.プラハの中心部に地下鉄で出てみると,旧市街広場とその真ん中にある宗教改革指導者フスの像,旧市庁舎壁面の天文時計,ヨゼフォフの旧ユダヤ人墓地などがあった.プラハ出身のカフカを記念したカフカ博物館もある.カフカの作品はみなプラハで書かれたものだ.またヴルタヴァ川(モルダウ川)にかかったカレル橋も大変美しかった.昔読んだスパイ小説にこの橋の上で東西陣営がスパイの交換をするというシーンがあったのを思い出した.プラハの街とは直接関係ないが,地下鉄のエスカレーターがものすごく高速だったことが印象に残っている.

2009年には数理物理の大規模国際学会 ICMP で再びプラハに行った.この時は Guionnet と私の共著者の Longo とが全体講演者だった.会場は高級なコンベンションセンターでいくらかかっているのだろうかと思うほどだった.この直前にあった若手向けの Young Researcher Symposium は近所のプラハ工科大学が会場でこれは普通の大学だった.この大学はカレル橋の近くにある.この時は夏休みだったせいかプラハはとても混雑していた.

有名な画家 Mucha はチェコ出身で本来この名前はムハと読むが,フランスで活躍したため普通フランス語読みでミュシャと呼ばれる.プラハには彼の作品を集めた Mucha 美術館がある.彼の有名な絵に "Clair de lune" というものがある.画像はたとえばここで見られる.私はこの Mucha 美術館でこの絵のポスターを買った.その理由は,数学で Moonshine 予想と呼ばれる有名なものがあって私も少し関連した研究をしており,この "Moonshine" のフランス語訳として "Clair de lune" が使われることがあるからだ."Mooonshihe" は冗談でつけた名前で,この英語のスラングの意味は「たわごと」や「密造酒」であって「月の輝き」ではないのだが,訳しようがないのでフランス語訳は「月光」にあたる "Clair de lune" になっているのだ.今もこのポスターは私の研究室に飾ってある.

どうでもよい記事に戻る. 河東のホームページに戻る.