私のアカデミックポスト

最近は大学のポストの事情は私の頃と大きく違ってしまっているので昔の話は参考にならないと思うが,私の経験は次の通りである.なお,私としては自分の記憶と経験に基づく正しい内容を書いているつもりだが,他の関係者の認識と異なっている可能性があることは断っておく.

私が UCLA の Ph.D. を取ったのは1989年である.当時の日本の数学では大学のポストは先方からうちの大学に来てください,という話が来るものであって,公募はほとんど行われていなかった.また助手(現在の助教)になるのに博士号は全く必要でなく,修士課程修了,博士課程中退で助手になることが広く行われていた.しかし私はアメリカにいたので,Ph.D. なしに就職するということは想定されていなかった.私は22歳で結婚して一人で留学し,妻は日本の会社で働いていて4年が経ったので,Ph.D.のあとは日本に就職することを希望していた.アメリカのポストは全部公募で一斉に募集があるので,50通,100通と応募書類を出すのが普通だった.アイビーリーグの一つの大学からぜひうちに応募してくださいと言われたが,こういう状況なのでアメリカの公募には一件も応募しなかった.

さてその状況で,ある旧帝大の一つからうちの助手公募に応募してほしいという連絡が間接的にあった.当時としてはかなり珍しい話である.当時妻は妊娠しており,出産後も当然ずっと働く予定だったので私は東京での就職を希望していた.東大で私が採用される可能性はあるというのは阿吽の呼吸でわかっていたが,確かなわけではなく,無職になってしまうのも困ったので,何人かと相談の上,その公募に応募することにした.締め切りが1月だったこと,東大が決まるのは2月の予定だったこと,1月に締め切ってもすぐに決まったりはしないだろうと考えたことによる.ところが締め切った直後に,あなたに決まりました,受けるかどうか今すぐに返事をしてください,という通知が来たのだ.ずいぶん困ったのだが,結局えいやと断った.つまり私は公募に一つだけ応募して,そこにすぐ内定したのに,それを自分から断ったわけである.その後無事2月に東大の助手採用が決まったので事なきを得た.

私は当時 IHES(フランス)滞在中で,UCLA の Ph.D. が出るのは6月の予定だったので,私の採用日は6月16日ということになった.私はこのポストのオファーの際にちゃんと,あなたの給料は何級何号俸でいくらですという説明を書面で受けた.私が海外にいたので世界的な基準に合わせないといけないと思ったのかもしれないが,私と同世代の人にこれを言うとみんな驚く.日本の大学では今でも着任するまで給料が分からないというケースがほとんどなのはおかしいと思う.(東大数理ではオファーを出した後で,履歴書による給料計算を行って着任する前に提示している.) なお学期途中の採用なのでこの学期の教育業務はなくてひまだと私は思ったのだが,学期途中からアメリカに行った別の助手がいたのでその人の演習担当を引き継いだ.

その後1991年に理学部で講師になった.当時の東大数学科では助手から昇進する場合,理学部にとどまる場合は講師,教養学部に移る際は助教授(現在の准教授)というしきたりだった.その直後に大学院重点化に伴う改組が急進展して数理科学研究科ができ,私のポストも教養学部に合わせて1992年から助教授ということになった.講師のポストの扱いは大学や学部によってだいぶ違うのだが,東大数理ではこの時からずっと講師というポストの人がいたことはない.この改組の際,多くの助手ポストをカットして助教授,教授ポストに振り替えた.そこで内部昇進を大量に行えば,増えた教授,助教授ポストは一気に埋められるわけだが,さすがにそれは問題があるということで,助手からの内部昇進は全面ストップということになった.私が講師になるのが1年遅れていればこれに引っかかって内部昇進はできなかったはずである.

また助教授から教授への内部昇進についても,他大学で2年以上,助教授以上のポストの経験があることが必要という内規ができて,新しく着任する人にはこれが通知された.すでにいる助教授にこの新しい規則が適用されるかどうかあいまいだったのだが,助教授から教授への内部昇進はこの後ずっとゼロだったので,私は自分にもこれが適用されると解釈していた.その状況で1999年,助手の話の時とは別の旧帝大から教授ポストの打診があった.これは正式のオファーではなく,その前の段階の意向確認のようなものだった.私は内部昇進はできないのでどこかに移らなくてはいけないと理解していたのだが,一方で妻の仕事の関係で単身赴任になってしまうこと,子供が小さかったのでそれはできれば避けたいと思っていたこと,当時まだ36歳で今すぐ決めなくてもいいのではと思ったことなどが複合して,即座に答えずにいた.そうしたら東大数理で私を教授にしたいという話が来たので驚いた.内部昇進は禁止なのではなかったのか,と聞いたら,それは改組のあと新しく来た人だけに適用されるのだ,という返事であった.とにかく自分にとっては都合の良い話なのでこれを受けることになった.他大学での経験2年以上を必要とするというこの内規はその後廃止になった.

私はアメリカに行っていた時期も学生又は教員として東大にも所属していたので,18歳で東大に入学してから40年以上今まで一度も東大の所属が切れていない.昔はそういう人はたくさんいたのだが,現在では相当珍しい経歴である.私は昔アメリカにいたので,ずっと同じ大学にいるのはよくない,おかしい,という考え方はよくわかるし全くもっともだと思うのだが,一方で日本の現状では共働きや子育てを考えると転勤が非常に不便なところであって,私個人にとっては転勤せずに済んだことが大変有利だったことは間違いない.もっと暮らしやすいようにいろいろと社会的な仕組みが整備されてほしいところである.

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