数学博士号の社会的評価

大学についていろいろな人がいろいろなことを言っているが,日本国内に限定しても,文系か理系か,基礎系か応用系か,実験系か理論系か,国立か私立か,都会か地方か,大規模総合大学かどうか,といったことによって事情はとても大きく違う.海外の事情はさらに違う.私も含めてよく「欧米」と言ってしまうが,欧と米はいろいろ違うし,ヨーロッパの中でも国によっていろいろ違う.私も気をつけるべきところだが,自分の知っていることだけをもとにして大きな範囲に話を広げるのは不適切だと思う.この前置きの上で,数学の博士号のアカデミック業界の外での評価の話である.

まず数学でも実用的,応用的価値の高いことを研究している人たちがいて,そういう人たちが企業で評価されるのは当然である.具体的なテーマを挙げると,数理ファイナンス,暗号・符号理論,数値解析などがすぐに思いつく.ここでの話はそういったものではない,純粋数学と呼ばれるような研究での博士号が企業で,特に就職にあたってどのように評価されるかということである.数学のような浮世離れした学問の博士では,いわゆる有名企業に就職できない,あるいはそもそも食いっぱぐれるというようなことを言う人がいるが,そんなことは別にない.実際には博士を取って企業に就職する人はあまりいないが,それは企業で取ってくれないというよりは,博士の方が企業に行きたがらないことの方が理由として大きい.日本の数学の大学院生は,純粋数学指向,アカデミック志向が強いからである.

10年以上前に就職担当教授というものになったことがある.順番で回ってくるのだ.その時いろいろな企業の人と会ったので,博士の人の就職についてどう考えているかを聞いてみた.業種は IT 関係と金融関係が大半だった.積極的に取りたいというよりは,取っても良い,待遇は3年前に修士を出た人と同じになるというケースが多かった.ある巨大企業では,修士の人を取りたいと強く言ってきて,博士の人を取るかどうかはその人によるという答えだった.ついでに学部卒はどうですか,と聞いたところ,学部卒で就職する人なんていないでしょうというのが答えだった.実際には東大数学科では修士に行かずに就職する人はけっこういるのだが.別の金融機関では博士卒でも取るが,待遇は同じ年に修士を出た人と同じになるということであった.これでは3年分浪人や留年していたのと同じ扱いである.また別の金融機関はアクチュアリー要員として数学の人をぜひ取りたい,学部でも博士でも何でもよい,卒業間際の3月で就職先未定の人でも取りたい,という話であった.なおコンピュータが使えるとはっきり就職に有利なのだが,数学ではあまりコンピュータを使わない人が多いのは弱点である.数学の博士を持っていることを積極的にプラスに評価する,たとえば3年前に修士を取った同学年の人より高い給料を払うという例はなかった.博士については積極的に評価するわけではないが,修士の人より不利になるわけではない,くらいのところが多い印象だった.それなら博士課程に挑戦してみてもよいと思う人も,3年分の時間やお金がかかっていることを思えば行く価値に乏しいと思う人もいることだろう.博士課程での研究内容を評価してくれて修士の時より良いところに就職できるというケースは一応いくつかあるようだが.

他に数学専攻者の就職先として昔からあるのが中学高校の教員である.最近は教員はブラック労働の典型のように言われて評判が悪いが,私立の有名中高一貫校の教員というのはよい職業だ.生徒の学力,やる気が高いこともあるし,労働時間や給料の面からも優れていると思う.こういうところでは大学院修了者もよく取っている.修士が多いが博士の例もけっこうあり,博士だから不利になるということはないと思う.やはり博士を積極的に評価してくれるとまでは言えないところだが.なおもちろん教員になるには教員免許が必要である.中学の免許と高校の免許は少し違っていて,高校の免許しか取っていないという人がよくいるのだが,それでは当然中高一貫校の教員にはなれない.

アメリカでは純粋数学の博士号は,有名企業,特に IT 産業と金融関係への就職にはっきり有利である.私の知り合いにも人気や給料の高い企業のポストについた人がたくさんいる.アメリカで良い仕事のランキングというものがあり,数学者が最高ランクのあたりに出てきて平均年収も高いということが時々話題になるが,英語の mathematician は日本語の数学者よりずっと広い範囲を指し,企業で数学を応用する仕事をしている人は英語では mathematician であるからだ.何年かポスドクをした後でも,アカデミック業界に望むようなポストがなければ給料の高い企業ポストに移ることは簡単であるように見える.

ヨーロッパでは,私と何本か共著論文を書いたドイツ人のポスドクは,ヨーロッパでパーマネントのポストもあったのだが,ドイツに帰りたいということでソフトウェア関係の大企業に就職した.就職活動について心配していたが全く簡単に決まったと言っていた.また私のところで博士を取ったヨーロッパ人留学生もポスドクの後ヨーロッパに戻って世界的な有名金融機関で働いている.ほかにもポスドクのあとで企業に移った例はいくつも知っているが,みな企業でいい待遇を得ているようだ.

日本と欧米で博士号取得者の能力は別に違いはないと思う.数学そのものの実力でも,社会性といったことについても,またコンピュータの能力についてもそうである.ただ日本は英語圏ではないので,博士の英語力ははっきり劣っている.もっとみんなが英語ができれば,アカデミック業界でも産業界でも国際的に条件のよいポストにつけるのに,とは思うところである.

東大数理では博士号を出すために論文がジャーナルに(何本か)出版されていないといけないというような規則はない.欧米有名大学にも私の知っている限りそのような規則はない.審査委員たちが博士号を出すに足るオリジナルな研究成果があると判定することが必要十分条件である.その内容を委員会が判定するのが論文審査会,英語で言うディフェンスである.ディフェンス(防御)というのは,内容についての批判を受けて守り切れればよい,という意味である.日本でもアメリカでもこの審査会の場で博士論文の重大な間違いが発覚して博士を取れなくなったという例は知っており,審査手続きとして重要なものだ.私は UCLA で Ph.D. を取ったのだが,このディフェンスをやっていない.博士課程の最後の学年は丸ごとフランスにいたので,アメリカには戻れませんと言って,審査委員全員に承認のサインをもらってそれですませたのだ.UCLA の規則にはそのようにできるということがはっきり書いてあり,その通りにしただけなのだが,アメリカでも日本でもディフェンスをやっていないというとみんな驚き,何かインチキなのでは,というように思われる.自分でディフェンスをやっていないのに人の博士論文の審査をするのもちょっと不思議な感じではあるところだ.

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