Newton のリンゴ

2017年にケンブリッジ大学 Newton 研究所に3週間ずつ3回行った.ケンブリッジ大学に行ったのはこれが初めてだった.ヨーロッパに出張したことは100回以上あるのだが,大学や研究所が新しかったり,古い大学でも数学科の建物が新しかったりして,本当に古いキャンパスに行ったことはほとんどない.これに対し,Newton 研究所自体は1992年にできた新しい研究所だが,すぐ近くには数百年前からあるケンブリッジ大学のカレッジが立ち並んでおり,歴史の重みを感じることができた.

イギリスを代表する大学はもちろんケンブリッジとオックスフォードだが,ケンブリッジが理系に強く,オックスフォードが文系に強いと言われている.このことはたとえば,輩出した理系のノーベル賞受賞者の数や首相の数に現れている.その中で数学では1980年代にはオックスフォード大学のフィールズ賞師弟コンビ,Atiyah と Donaldson がたいへん強力だった.これに対抗してか,ケンブリッジに作られたのが Newton 研究所で,Atiyah はその初代所長となったのである.Newton はもちろんケンブリッジ大学の誇る偉大な卒業生であり,研究所には大きな Newton の肖像画がかかっている.

ここもアメリカ・バークレーのMSRIと同様,常勤の教授はおらず,常に数か月の長さのプログラムがあって世界中からビジターが集まっている.私が行ったのは作用素環のプログラムのためだった.ケンブリッジ大学の数学科はすぐ向かいの建物に入っており,そちらと交流することもできるが,残念ながらケンブリッジ大学には作用素環などを専門とする私の知り合いはいない.作用素環のプログラムは半年の長さで,できるだけ長く来てくれと言われたが,東京での仕事や生活があるので3週間ずつ3回の滞在にしたのである.ちなみに1993年にはここで整数論のプログラムがあり,そこで Wiles が Fermat の最終定理の解決を宣言したのであった.

研究所のすぐ隣に宿舎があり,3回ともそこに泊った.冷蔵庫や簡単なキッチン,洗濯機,乾燥機がついていた.宿舎の向かいの寮に食堂がついておりよくそこで食べた.ビュッフェスタイルの簡素な食堂で,特に立派ということはないのだが,安いのといかにもイギリスの大学寮らしい雰囲気がよかった.朝食は研究所の反対側にある別の食堂で食べていた.ベーコン,焼きトマト,マッシュルーム,豆などからなるイングリッシュ・ブレックファーストである.私はイングリッシュ・ブレックファーストは大変好きである.フライドポテトはチップスと呼ばれ,お酢をかけて食べるのがイギリス式である.

研究所は1階に研究集会場に使う広い部屋があり,そのほかにビジター用のオフィスがたくさんある.一つのオフィスを二三人で使うのが基本である.研究所は2階建ての低層だが中央部にはエレベーターがある.体の不自由な人のためなのであろう.研究所内はいたるところに黒板があり,トイレの中やエレベーターの中にもある.1階から2階に上るだけのエレベーターの中で何か黒板に数式を書くのはかなり難しいと思った.

ケンブリッジの街の中心部へは歩いて10分くらいである.古い教会などがとてもきれいだ.ケンブリッジ大学は多くのカレッジからなっており,学生はどこかのカレッジに所属している.古いカレッジは街中に散在しており,Newton のいたトリニティ・カレッジをはじめとして,キングス・カレッジ,セント・ジョンズ・カレッジ,クライスト・カレッジなどが立ち並んでいる.Newton 研究所の研究集会の際にはディナーがこういったカレッジの食堂で開かれ,トリニティ・カレッジでも食事をとることができたが,大変立派で重々しい雰囲気だった.鉄道の駅は街の反対側にあって少し遠いのでバスに乗る方がよい.そこから鉄道に乗れば1時間くらいでロンドンのキングスクロスに出る.(ロンドンにはロンドン駅はなく,いくつか中核となる駅がある.キングスクロスはその一つである.) なおキングスクロス駅はハリーポッターが魔法学校に出発する駅であり,それにちなんだ9 3/4番線の看板が出ている.

Newton 研究所には多くのイギリスの大学がお金を出しているので,そのうちのどこかの大学を Newton 研究所のビジターが訪問するときには Newton 研究所がその旅費を払うことになっている.私はこの仕組みを使ってウェールズにあるカーディフ大学を訪問した.カーディフでの宿泊費はカーディフ大学の方が払う.Newton 研究所からは電車の切符を後で出せと言われていた.私の知っている限りヨーロッパ大陸諸国の電車では降りるときに切符は回収されないので,それと同じように考えていたところ,改札出口の機械で切符は回収されてしまったのでかなり焦った.しかし帰って来てから Newton 研究所の事務の人にそう言ったところ,ああ,切符は取られちゃうんだよね,と笑って言われて問題なくお金は払ってくれた.それならなぜ最初に切符を出せと言われたのかは謎である.

Newton 研究所に続けて出張したために東大数理では私はケンブリッジ大学に関係のある人と思われたらしく,東大とケンブリッジ大学の交流担当委員になってくれと言われた.よく考えずに引き受けたのだが,作用素環のプログラムが終わってしまうと私はケンブリッジ大学には一人も知り合いはおらず,行く用事もなく,何の交流もできないのであった.東大数理の代数幾何の人たちがケンブリッジ大学と実際に交流しているので,交流プログラムはもっぱらその人たちに任せきりである.

Newton 研究所の裏庭には Newton の生家にあったリンゴの木から接ぎ木した木というものがある.研究所ができたときにこの木を植えたということだ.Newton が実際にいたのはトリニティカレッジだが,そちらにも前から同じ起源のリンゴの木がある.東大の小石川植物園にもやはり Newton のリンゴの木から接ぎ木したリンゴだというものがある.私も Newton 研究所のリンゴの木をじっと眺めていたが,残念ながらすばらしいひらめきを得ることはできなかった.

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