ハーバードと MIT

ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)はどちらもマサチューセッツ州ボストン市の隣の小さな町ケンブリッジにある.これらは地下鉄で二駅離れているが,歩いても行けるような距離である.私の専門である作用素環の研究者はどちらの大学にもおらず,数理物理の関係の知り合いが何人かいるだけである.どちらかの大学に1年以上滞在していたという日本人研究者はとてもたくさんいるはずだが,私は合わせて6回ほど短期滞在したことしかない.以下はこのような素人の短い経験に基づく感想である.

ハーバード大学のキャンパス,建物は趣があって大変立派である.私がこれまでに行った大学,研究所の中でこれより立派だと思ったのはケンブリッジ大学だけである.さすがにアメリカ合衆国より古い,400年近い歴史を誇るだけのことはある.ただ数学科の建物はあまり重々しい感じはしない.私が長い間エディターをしていた Comm. Math. Phys. のチーフエディターはハーバード大学の H.-T. Yau (フィールズ賞の Yau ではない)であり,同じく Comm. Math. Phys. の昔のチーフエディターの Jaffe もハーバード大学にいるので,エディター会議でハーバード大学に行ったことがある.この時と,Gowers の Ahlfors レクチャーにたまたま出席した時にファカルティ・クラブでの食事に参加したが,建物も食事もなかなか立派なものであった.この時は,UCLA に行こうとしているポスドク候補者に対し,ハーバードに来るようお前が説得しろと Jaffe に言われて,私が電話でハーバードはよいところだと口説いたのだった.この効果があったのか,彼は実際にハーバードのポスドクオファーを選んだ.

一方 MIT の建物は近代的であまり歴史の重みは感じさせない.建物の中でも Ray and Maria Stata Center というのが壊れたような外観で有名なものだ.また多くの建物がつながっており,あまり外に出ないで建物から建物に行くことができる.寒いときに雪が降っても外に出なくてすむようにしてあるのだと聞いた.生協の建物には Shinkansen (新幹線)という名前の寿司のファーストフード店がある.数学科の建物はずっしりした感じである.数学科で私に比較的近いのは数理物理の関係で Kac と Etingof であるため,彼らのところに何回か行ったことがある.このほかに作用素環に近い確率論の Guionnet が一時いたのだが,彼女は MIT を辞めてフランスに戻ってしまって今はいない.

ドイツなどでは所属大学を書くとき大学名ではなく都市名を書くやり方がある.Yasuyuki Kawahigashi (Tokyo)といった感じである.ドイツの場合,たいてい大学名と都市名は一致していること,一つの街に複数の大学があることはまれであることから,これでよいのかもしれないが,そして東大の場合は地名と大学名は一致しているが,この方式では東京にあるすべての大学が Tokyo になってしまって問題である.このやり方でハーバード大学と MIT の所属を書く場合,どちらもケンブリッジになってしまう.同じになってしまうということ以外に,イギリスのケンブリッジだと思われるという大きな問題がある.そのため,Cambridge, Masachusetts などとわざわざ書いてあるのを何度か見たことがある.

ボストンの街へは地下鉄のレッドラインで簡単に行くことができる.空港からも地下鉄の別の路線がつながっている.ボストンは大都会であり,ボストン美術館やチャイナタウン,有名レストランなど多くの見どころがある.この地下鉄はかなり古い感じで東京と比べるとぼろいが乗る分には別に問題はない.このあたりのホテルはかなり高い.ハーバード大学のすぐ前,MIT のすぐ前,両者の中間の両方に歩いて行けるところなどに泊まったことがあるがどれも高かった.2011年の東日本大震災のときは MIT 訪問中ですぐ前のホテルに泊まっていた.地震が起きたときはアメリカでは夜だったので寝ていたのだが,朝起きてパソコンのメールを見ると,地震関係のものが山のように来ていたのだった.福島原発のことはアメリカでも大ニュースになっており,毎日とても緊張してニュースを見ていたのを覚えている.

ボストンにはほかにも大学がたくさんある.私はいろいろなジャーナルのエディターをしているが,前にボストンのある大学の人のレフェリーレポートが大幅に遅れていたことがあった.私は催促のために国際電話を掛けたことが何度もあるが,この時はちょうど MIT に行く用事があったので,直接本人のオフィスに乗り込もうと思った.オフィスまで行ったのだが残念ながら当人は不在だった.そこで,「お前のレフェリーレポートが遅れているので私は日本からやって来た.いないようなのでこのメモを残していくが,ぜひ一刻も早くレポートを書いてほしい」というのを紙に書いてオフィスのドアに貼り付けておいた.この効果があったのか,このレフェリーはその後割とすぐにレポートを書いてくれたのだった.

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