UCLA での TA 経験

私は大昔,UCLA で院生のとき TA (Teaching Assistant)をやっていた.アメリカでは,院生が学部学生の教育を負担して暮らしていけるだけの額の給料をもらい,授業料も免除になるというものだ.最近は日本でも広まってきたこの TA について,UCLA での経験の話である.

私が TA をやっていたのは1987〜1988年の4学期間である.1学期というのは10週間で,3学期で1学年なのでこれは1+1/3学年にあたる.(アメリカの大学は10週間×3学期のクォーター制と15週間×2学期のセメスター制があり,UCLA は前者である.なお学期は3つなのにクォーターというのは,夏休みも1学期と数えると4つあるからである.最近日本では30週を4分割することをクォーター制と呼んでいることがあるが,アメリカの仕組みに慣れていると変な気がする.) 私の労働時間は演習1コマ(50分)×4回/週とオフィスアワー1コマ(50分)×2回/週であった.このほかに中間,期末試験の監督と採点が入る.オフィスアワーは決まった時間に研究室に待機していて質問に来た学生に答えるのだが試験の直前以外はあまり学生は来なかった.教えるには準備が必要だが数学的内容は簡単だったので,人の来ないオフィスアワーを準備に充てればそれ以外の時間はそれほど必要ではなかった.当時の給料は1年30週間で9,000ドルだったと思う.(当時の物価水準を示すために書いておくと,1年目に私が住んでいた学内の寮は食費込みで一月285ドルだった.アメリカは日本のようなデフレではないので,現在の TA の給料や生活費はこれよりずっと高い.) 週当たりの準備も含めた実働時間は上記の計算で5〜7時間だったので時給は40〜60ドル程度ということになる.私がアメリカに留学している間に大幅な円高が進んだのだが,渡米直後のレートだとこれは時給10,000〜15,000円,帰国間際のレートだと時給6,000〜9,000円に相当した.当時は相当な高額だと思ったものである.このほかに授業料が免除になったがその分は収入にはカウントしていない.なお TA の実働時間は,大学,学科,個人の待遇によってかなりの差がある.実験系統では先生の研究を手伝うことと自分の博士論文を書くことがそのまま連動しているので,RA (Research Assistant)としてお金をもらえることがよくあるようだが数学では少ないと思う.また TA 経験は教育実習的な意味も兼ねているので,大学教員になるためにほぼ必須である.

演習というのは日本では学生が問題を解くもので,TA の仕事は試験やレポートを採点したり質問に答えたりすることが中心であると思う.アメリカの演習では TA が問題の解き方を教えるので,50分フルに黒板の前で説明をすることになる.1,2年生の理工系の数学の講義の内容は,だいたいのところ日本の高校2年〜大学2年程度の厳密,抽象的でない数学である.3次関数を微分してグラフを描きましょうといったものから始まり,常微分方程式を解いたり,ベクトル解析で計算したりといった程度のものまでである.大人数の講義が50分×3コマ毎週あり,演習は少人数で50分×1コマ/週というのが標準的な設定である.教科書は分厚く演習問題がたくさんあり,その中で指定された問題が宿題になっている.演習の時間には宿題そのものではないが似ている問題を教科書の中から解いてみせるのである.こちらで問題を選んでもいいのだが,学生の希望する問題を解いた方が学生の評判がよいので私はよくそうしていた.問題は易しいので,ざっと準備しておけば聞かれた問題をその場で解くのは難しくない.オフィスアワーでも学生が質問に来た時もだいたい教科書の問題を解いて見せることが仕事だった.三角関数のたくさん入った積分とかほかの TA はろくにできないのに私はどれでもすぐ解いて見せたので学生の評判がよかった.

最初は英語にあまり自信がなかったが,やっているうちにどんどん慣れていった.英語力向上には大きく役立ったと思う.数学英語は基本的に簡単なのだが,むしろ初等的な数学用語ほど普段の研究では使わないのでよくわからない.たとえば正弦定理は the Law of Sines であるが,これは自分の研究に出てきたことは一度もない.またアメリカはヤード・ポンド法で,それに基づく計算問題がたくさん出てくるのも変な感じだった.たとえば重力加速度は 32 feet/sec2, 水の密度は62.4 lb/ft3である.また1マイルは1760ヤードということを知っていないと計算問題が解けないのだ.

私は1年ちょっとしか TA をしなかったのであまり上級レベルに進歩しなかったが,経験を積むと上級 TA に出世して講義を丸ごと任されることもあった.そういうことは教育経験として大学に就職する際にプラスに評価される.また教養レベルの TA の方が教えるのが楽なので私はそういうコースばかりやっていたが,もっと進んだコースの TA もある.

日本でも授業評価(Teaching evaluation)が最近行われているが,アメリカではこれは大変重要である.TA もこれを受けて記録が残る.悪いと最悪首になるし,この結果が大学教員として就職しようとする際にもついて回る.大学教員になった後もテニュア審査でも大変重要なものである.外国人 TA/教員の英語力は学生から見た場合に一番文句をつけやすいところなので,よく悪い評価が下される.私も英語が下手だというのは何度も書かれた.ケンブリッジ大学出身のイギリス人教員が,「英語がなまっていて聞き取れない」と書かれたというのも聞いた.

試験の採点も TA の担当である.授業担当の教員の監督の元で分担して採点していた.アメリカでは一つのコースで中間テスト2回,期末試験1回をやることが普通なので試験はたくさんある.大半は計算問題で機械的な採点基準でつけるものであった.答案は返すことになっていて,アメリカの学生は成績に大変敏感なので,採点に対する苦情もよく受けた.採点基準は教員の責任なのだが,TA がそれを学生に説明するのということがよくあったのである.ほとんど証明問題は出ないのだが一度教授が「区間上で微分して定数になる関数は1次関数であることを示せ」というのを出したことがあってこの採点が大変だった.教授の言う模範解答は平均値の定理を用いるもので授業でやったというのだが,そして厳密な解析学の教科書ならばたいていそのように書いてあるのだが,学生たちには「接線の傾きがずっと一定なのでグラフは直線である」というほうがずっと直感的に明らかに思えるので,そう書いた答案を教授の指示通り0点にしたらみんなとても怒ったのである.なお私はこの頃の経験から,日本でも試験の答案は全部返却して採点に苦情があれば受け付けることにしている.私の採点にミスがあって修正したことは約30年間で3回である.

TA を監督する役目の人がいて,教えているところをビデオに撮って,黒板の字を大きく書く,黒板の字を自分の体でブロックしない,大きな声で話す,学生の方を向いて話す,時間を守るといったことについて具体的に指導をしていた.時間については絶対に1分でもオーバーするなと教わった.(私は授業でも学会講演でも今もこれを守っている.) 大変良い経験で役に立ったと思う.概してアメリカの人は他の国の人より学会でも講演がうまく時間も守るが,TA の経験と指導によるところが大きいと思う.

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