ポーランドのコーヒー

ポーランドに行ったのは5回である.最初に行ったのは2009年,ベンドレヴォでのコンファレンスだ.ベンドレヴォは Będlewo と書き,e の下には髭のようなものがついていてこの一文字でエンと読む.私は最初フランス語の c の下につくセディーユと同じだと思って,TeX で \c e と書いていたのだが,このコンファレンスでフランス人の講演者がそうではない,髭の形が違う,これが正しい,と言って TeX で作った PDF ファイルを示した.どうやって TeX でそんなフォントを出すのかと思ったところ,ポーランド語 TeX を使うのだと言われたのだった.ł, ż などのポーランド語の文字は標準の TeX でちゃんと表示できるのだが,ヨーロッパの言語の文字でも標準の TeX では表示できないものがあると知った.今では unicode でいいのかもしれないが.

ベンドレヴォの施設はドイツのオーベルヴォルファッハ数学研究所と同様,いなかにある研究集会専用の建物であって近所にはほぼ何もなく,みんなで現地に泊まり込んで集会に参加する.最寄りの空港は西部のポズナンで,そこからバスで1時間ほど移動する.施設はポーランド科学アカデミーに属しており,Banach センターの一部でもある.(Banach はポーランド人なので彼にちなんで名前がついている.) 途中の晩に庭でバーベキューが開かれ,ビールやソーセージなどがたくさん出る.さらに別の晩のパーティーでは豚の丸焼きが毎回二頭分出る.豚の頭を含む全身の形がよく保たれていて豪快である.厚手の皮をはがして食べる.オーベルヴォルファッハ数学研究所などと違って参加者は招待者に限られてはおらず,セットになった宿泊,食事の費用を申し込んで払えば参加できる.バスでの遠足のようなものがついており,近所の博物館やポズナンの街に行ったことがある.ポズナンは大きくないが旧市街の広場がきれいな街である.ポズナン空港はかなり小さく,日本に帰る便はしばしば早朝なので帰る日はとても早くに現地を出る必要がある.

2011年にはワルシャワの Banach センターでコンファレンスがあって,ワルシャワの街を見ることができた.センターの建物の上層階に宿舎がついておりそこに泊めてもらった.Banach センターには Banach の首像がある.この名前は通常日本ではバナッハと呼ばれているが,Wikipedia には,バナッハでもバナフでもよいと書いてある.ポーランド人に発音してもらったが,私にはバナッハにしか聞こえなかった.(なお英語では大半の人がこの名前をバナックと発音する.) ワルシャワ旧市街は世界遺産でたいへん素晴らしい.旧市街は第2次世界大戦で全面的に破壊されており,現在あるものは戦後の修復であり,通常復元されたものは世界遺産にはならないのだが,復元の努力が評価されて世界遺産となったものである.

ポーランド人で著名な科学者と言えば,古くは Copernicus, 現代に近いところでは Marie Curie である.ワルシャワ中心部には Copernicus の像があり,Marie Curie の生家も中心部にあって記念館になっている.Copernicus の像は天球儀を持っているはずなのだが,私が見たときにはそれはなくなっていた.また Curie というのはフランス人の夫の姓なので,ポーランドではしばしば元の名前を含むように Maria Skłodowska-Curie と書かれている.ほかに科学者以外の有名人と言えば Chopin がいる.ワルシャワ中心部には Chopin の心臓を収めた聖十字架教会がある.彼はフランスで活躍したのでショパンと言うフランス語読みで知られている.またワルシャワ空港には彼の名前がついている.

2018年にはビャウォヴィエジャの森でのコンファレンスに参加した.この森はポーランドの東北部,ベラルーシの国境にまたがる原生林である.これも発音しにくい名前だが,綴りは Białowieża である.ユネスコ自然遺産に選ばれている.共産党時代を思わせるワルシャワの高層ビル,文化科学宮殿の前からみんなでバスに乗って,4時間ほどで着いた.これは幾何学と数理物理のコンファレンスで毎年開いているものだが,私が行ったのはこの1回だけである.講演会場にはバッファローの剥製のようなものが置いてあった.ここでも焚火をしたバーベキューが開かれた.周りにはほぼ何もなく,少し行ったところに古い駅をそのまま改装したレストランがあって線路もあったが,これはいいところだった.

この2018年には上に書いたベンドレヴォの集会もこの後にあったのだが,間が1週間空いていたので,ワルシャワから電車に4時間ほど乗ってベンドレヴォのオーガナイザーの Bożejko のいるヴロツワフ大学に滞在した.これも発音しにくい名前で綴りは Wrocław であるが,ポーランド語を知らずにこの綴りだけ見たらちょっと読めないであろう.Banach-Steinhaus の定理などで有名な Steinhaus はこのヴロツワフ大学に長く勤めていた.私がセミナー講演をした部屋も Steinhaus 講堂という名前がついていた.(MathSciNet の著者ページにある私の写真はこの Steinhaus 講堂で講演した際のものである.) Bożejko の若い頃はまだ,Steinhaus を直接知っている先生がいたそうである.Steinhaus は1916年にクラクフの公園で(当時最先端の数学であった) Lebesgue 積分について話している若者の会話を耳に挟み,話していた Banach を「発見」したとされる.これにより,Banach と Steinhaus の長い共同研究が始まったとのことだ.大学では数学科の建物の最上階が宿舎になっており,そこに泊めてもらうことができた.街には観光客向けに250体以上の小人の像があちこちに配置されており,見て楽しむことができる.

ベンドレヴォの集会場では,休み時間に簡単な飲み物や食べ物が出るのだが,飲み物のポットのふたに Kawa と書いてあった.自分の名前が河東なので,どうして日本語が書いてあるのだろうと思ったのだが,これはポーランド語でコーヒーを意味していて,カヴァと読むのだということであった.コーヒーの味は特に変わったことはなく,イタリア風のエスプレッソでもない.ポーランドでは特に独自のコーヒーというものはなく,コーヒーについてのこだわりもあまりないようであった.

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