韓国とキムチ味

韓国に行ったのは8回である.隣国にしては少ない方だ.初めて行ったのは1993年だが,それ以前から韓国の作用素環の人たちは知っていた.私が UCLA で院生だった1980年代後半,アメリカやヨーロッパの作用素環のコンファレンスでよくソウル大学の Lee 教授,Kye 助手のコンビに会ったからだ.この頃の韓国の研究費はまだ潤沢ではなかったはずで,この二人はエリートとして海外出張していたのであろう.彼らは1990年の京都での ICM (国際数学者会議)にもやって来たと思う.現在では Lee は引退したが,Kye がソウル大学の教授としてリーダーの役割を果たしており,韓国の作用素環研究者はそれなりの人口がある.

さて1993年の出張だが,まずソウル大学で講演し,さらに浦項(ポハン)での集会に出てほしいということだった.日本からは私と日合文雄氏が呼ばれていた.ソウル大学に到着した後みんなで飛行機に1時間くらい乗って,朝鮮半島東南の浦項に着いた.ソウルは韓国北西部にあるので,ほぼ韓国全土を横切って飛ぶ感じである.会場は浦項工科大学(Postech)だった.同大は1986年にできた新設校だが各種ランキング上位に食い込む躍進ぶりが注目されている.大学のすぐそばのアパートのようなところに泊り,大学の食堂で食事をとったのだが,この時点ではまだあまり経済的に発展している感じではなかった.集会の参加者は多く,なかなか盛り上がっている様子だった.大学の食堂で食べた食事は味は良かったが,なんでもキムチ味で辛い感じがした.特にみそ汁のように見える汁物はかなり辛かった.その後だいぶたってから浦項工科大学に呼ばれて,久しぶりに様子を見てみたいと思ったのだが,日程の都合が合わず行くことはできなかった.

この時ソウルで感じたのは,街の様々な表示が韓国語だけで全く読めないということであった.最近は英語,日本語,中国語などの表示がたくさんあってあまり苦労しないのだが,この時点ではまだそういう外国語表示はそれほど普及していなかった.街で周りを見回して全く文字が読めないというのは私の経験ではこの時一度だけである.その後行った国ではイスラエル,イラン,モロッコなどローマ字を用いていない国でもそれなりに英語やフランス語の表示はあったし,中国ではもちろん漢字が読める.タイでも私が行ったのが最近だったせいかそれなりに英語の看板はあったが,昔の韓国はそうではなかった.ハングルは母音と子音のパーツの組み合わせで作られていて覚えるのは難しくないという話で,隣国の文字なので読み方くらい覚えようといつも思うのだが,残念ながら今に至るまで覚えられていない.ソウルで現地の人に連れられて地下鉄に乗ったのだが,これはとても一人では乗れないと思ったのだった.

この後16年も空いて,2009年にアメリカ数学会・韓国数学会合同集会にソウルの梨花女子大学で出席した.○○学会大会のように多くの参加者が短い講演を行う大規模集会があるが,アメリカ数学会は世界各国の数学会と合同でそのような集会を相手国で開催している.この時はそれが韓国で開かれて,日本からも多くの人が参加した.なおアメリカ数学会・日本数学会合同集会と言うのは開かれたことがない.会場の梨花女子大学はとてもきれいだった.この時は地下鉄や電車の表示は英日中3か国語に対応していて問題なく一人で乗ることができた.ただ地下鉄車内にビデオ画面があり,車内でテロリストが火を放った場合の対処法といった説明を流していて,すごいところだと思った.ソウルはだいぶ発展した様子で,一人でいろいろ街中を歩いて楽しんだ.屋台料理も含めて各種韓国料理も楽しんだがやはり辛いものがたくさんあると感じた.一度店で鍋料理を頼んだら,こちらは英語で注文したのに先方から「辛いですよ」と日本語で注意を受けたのだったが,これはそこまでは辛くなかった.

2012年にはソウル大学の談話会とセミナーの講演があり,私の講演の後で数学科のみんなと夕食に出かけた.立派な大皿料理がたくさん出てよかった.この時は大学のゲストハウスに泊ったが,ここは宿も朝食もいいところだった.ソウルには,金浦,仁川と空港が二つあるが,金浦空港からだとこのゲストハウスに直行のリムジンバスが出ていて便利である.2014年にはソウルでの国際数学者会議(ICM)の作用素環のサテライトコンファレンスがあり,ソウルに着いてやはりソウル大学のゲストハウスに一泊した後,清風でコンファレンスに出た.ここは湖のそばのリゾートである.日本からの参加者がたくさんいたが,その間で食べ物が辛いという話がよく出ていた.

釜山には2013年と2018年に行った.研究集会場は2回とも BEXCO という巨大コンベンションセンターで海辺に近い.焼肉,海産物料理などがよかった.ビビンバもよく食べた.釜山は九州にかなり近いのだが,私はいったんソウルまで飛行機で行った後,ソウルからは韓国の新幹線にあたる KTX で移動した.KTX はきれいで速くて快適である.このほかにも2019年に中国ハルビンに行ったとき,飛行機の乗り継ぎの関係でソウルに一泊したことがある.ただ一泊しただけでほぼ何もしていないが,街の中心部に泊り,定食屋のような小さな店で晩御飯を食べた.

韓国料理で一番辛かったのは1993年の帰国の前日,ソウルで韓国人2人と食べたものだ.濃いソースがカレーライスのようにごはんにかかった料理だったが,カレーライスではなく何か韓国料理ということだった.私は辛い料理は比較的好きな方だが,これは二口三口食べたところでキムチ系統の辛さがあまりに強烈でもう食べれらないと思った.一緒にいた韓国人2人は最初普通に食べており,韓国人はこんなものでも食べられるのかと思ったが,そのうち2人して,これは辛すぎて食べられないと言い始めた.何か店の人に抗議していたが,これはこういう料理なのだ,ということで抗議は却下された.その後いろいろな国に行ったが,これが今でも私の食べた料理の辛さナンバーワンである.(2番目の座を争っているのは,中国重慶で食べた四川料理とインド・カルカッタで食べた唐辛子である.)

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