イタリア地方巡り

イタリアに出張したのは32回である.基本はローマ第2大学の Longo のところでの共同研究だが,イタリアでは多くのコンファレンスが開かれている.場所がローマのこともあるが,特色ある地方都市で開かれることもよくあり,そのため私は様々な地方都市に行ったことがある.イタリアの地方都市はすばらしいところがたくさんある.

初めてローマ以外の都市に行ったのは1990年代半ばのミラノである.この時はローマでコンファレンスがあったのだが,前週にアメリカで別の用事があり,アメリカから大西洋を飛んでイタリアに行った.ローマに直行する飛行機はなくミラノに朝着いた.あとで考えるとミラノ・ローマ間の飛行機などたくさん飛んでいるに違いないと思うのだが,なぜかこの時はローマ行きの飛行機は夕方まで取れませんと言われ,ミラノで半日の待ち時間が生じた.そこでバスに乗って街の中心部に行ってみたのだ.見たのはドゥオモ(大聖堂)と,ダヴィンチの『最後の晩餐』である.ドゥオモは多くの尖塔が有名で,ミラノの写真というとよくこれが出てくる.『最後の晩餐』は今では予約しないと見られないのだが,この頃はいきなり行って並べば見ることができた.最近の修復より前のことでかなり絵が暗い印象を受けた.

その数年後,ローマに二か月近く滞在していた頃,ピサ大学でのセミナーに呼ばれた.ピサ大学に作用素環の人はいないが,3次元トポロジーの人に呼ばれたのだ.ローマからピサまで電車で行ったが,途中のフィレンツェもいろいろ見ることができた.フィレンツェは,サンタ・マリア・ノヴェッラ教会,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂,ウフィツィ美術館,アカデミア美術館,ヴェッキオ宮殿,サンマルコ修道院,ヴェッキオ橋などの超有名スポットが高い密度で集中していてどれもすばらしい.ピサはもちろん一番有名なものは斜塔である.この時は斜塔は修復工事中で登れなかったが,それでも斜塔のある奇跡の広場は圧倒的な迫力であった.ピサはガリレオの出身地でもあり,街にはガリレオゆかりのものがいろいろある.鉄道駅から斜塔は歩いて行ける距離で,大学はその間にある.

2000年には,ローマ大学作用素環の Doplicher, Roberts の還暦記念コンファレンスがシエナであった.シエナは昔都市国家として栄えた街であり,大聖堂や馬を走らせるパーリオで知られるカンポ広場が有名である.コンファレンス会場は古い修道院でキリスト教絵画が大変美しかった.コンファレンスディナーもこの会場で行われたが見事なものだった.コンファレンスでは Singer が講演者の一人で,私が博士を取ったのはちょうど50年前のことでした,と言っていたのを覚えている.このあと次の週にルーマニアで用事があったので,ベネチア空港からルーマニアに飛んだのだが,ベネチアには夜着いて朝出たので,ほとんどベネチアの街は見ることができなかった.

2010年には南部の小都市スカレアで集会があり,私は3回講演した.みんなで小さなホテルに泊まりこんで集会をしたのだが,9月で観光シーズンから外れているので安くホテルが取れるのだということであった.食事も全部このホテルで出たのだがこれも大変美味しいものだった.海辺や古い街並みがとてもよかった.ホテルの電源が切れることが何度もあり,プロジェクターが突然使えなくなったりしたのだが,講演者の Higson が全く動ぜず,すぐに黒板に切り替えて講演を続けていたのだが記憶に残っている.この時はローマ滞在中だったのでローマから電車で行ったのだが,電車賃は一等車の分を払ってくれると言われて初めて一等車に乗ってみた.しかし別に普通の列車とほとんど何の違いも感じなかった.帰りは時間があったので,途中のアマルフィ,ナポリなどに寄ることができた.アマルフィは日本では映画になって有名だが,海岸が美しい小さな街である.山沿いの細い道をバスで行くとたどり着ける.うちの近くにはアマルフィという名前の有名イタリアレストランがあるので,私はこの名前はずっと前から知っていた.ナポリはきれいだが,「ナポリを見てから死ね」と言うほどすごい気はしなかった.

2014年には北部のレビコテルメでコンファレンスがあった.ここは街の古い中心部はきれいだが全然有名な場所ではない.しかし一番近い空港はベネチアだということで,ベネチア空港に到着したのだが,飛行機と電車の時間の関係で,行きも帰りもベネチアに一泊ずつする必要があった.このため2000年には見られなかったベネチアの街を見ることができた.ベネチアでは車は走っておらず,主な交通手段は水上バスと呼ばれる船である.これで大運河を移動するのが大変すばらしい.多くの橋が架かっており,特にリアルト橋は有名である.帰りには飛行機の窓からベネチアの街の全景を鮮明に見ることができた.ベネチアは島なのだが,その中央を大運河がS字状に通っている様子がはっきり見えたのである.

中央部のコルトナでは2018年にコンファレンスが開かれた.「コルトナの朝」という有名な音楽作品があるがその街である.中心部は小さな古い街で,フラ・アンジェリコの受胎告知の絵でよく知られている.コンファレンスの会場はピサ高等師範学校の持ち物でいろいろな集会に使われているということであった.講演をする部屋は壁全面がフレスコ画のすばらしいところだ.そのすぐそばにホテルがあり,みんなでそこに泊っていた.近くには大昔,ハンニバルが率いるカルタゴ軍がローマ軍を破った古戦場があるということであった.

イタリア半島は長靴のような形をしているが,そのつま先の先にある島がシチリア島である.2020年春にはこのシチリア島のパレルモのそばで物理の研究集会が予定されていた.有名な物理学者の Majorana はシチリア島の出身であり,彼は謎の失踪を遂げたのだが,パレルモから船で出発して行方不明になったのである.その Majorana の名前がついたセンターで研究集会をするということであった.シチリア島には行ったことがなかったので,期待していたのだが残念ながら新型コロナウイルスのため全部中止になってしまった.新型コロナウイルス前に最後に行った出張先もイタリアなのだが,次にイタリアに行けるのはいつになるのだろうか.

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