私の好きな空港

私は空港が好きである.出張の際はたいてい十分な時間的余裕をもって空港に行く.中でも特に印象がよい空港は,フランクフルト,ミュンヘン,ロンドン,ウィーン,シンガポールなどである.店やレストランが豊富だからだ.ソウルやコペンハーゲンもなかなかよい.これに比べアメリカはたいてい今一歩である.さらに地方の何もない小規模空港だったりするとがっかりする.空港では店やレストランを見たり,航空会社のラウンジで過ごしたりしている.最近のラウンジはなかなか豪華なものも多く,無料で立派な食事ができたりする.また免税店にはあまり私は興味はないが,各国のいろいろな店を見るのは興味深い.本屋も好きで,たとえ現地の言葉がわからなくてもよく本を眺めている.

バカでかい空港だと空港内の移動だけでもけっこう大変である.昔ワシントン空港で乗り継ぎに遅れそうになって全力で走ったことがあった.乗るべき飛行機のゲートに着いた時はまだ出発はしていなかったが,客は乗り終わってドアは閉まっていた.これに乗りたいんだと訴えたところ,ゲートの人が機内に電話して「ファーストクラスの切符を持った客が来ましたがどうしましょうか」と問い合わせた.この時はアップグレードによってアメリカ国内線のファーストクラスの切符を持っていたのだ.(国内線のファーストクラスというのは国際線のものに比べて全然大したことはない.) 乗せろという答えがあって中に入れて,この後無事ロサンゼルス経由で日本まで予定通りに帰って来ることができた.同じくワシントン空港で別の時に,やはり乗り継ぎが厳しそうになったことがあった.この時は降り口に私の名前を書いた紙を持った人が待っていて,特別の車に乗せられて滑走路を走り,機体に横付けになったむき出しの階段からぎりぎりで搭乗したのだった.ワシントンはなかなか乗り継ぎが大変である.

乗り継ぎと言えばバンコク空港でも特別のカートに乗せられて走ったことがあった.この時はマイレージで取った上級のチケットを持っていたのだ.(東大では出張でマイレージをためることは認められているが,ためたマイレージは「適切に」使うようにと言うことになっている.出張の届けにどの経費で費用を払うかの選択肢があり,科研費などと並んでマイレージ使用というものが選べる.) セキュリティなどにはものすごい数の人が並んでいたのだが,私は全部の列を飛ばして最優先で通り,猛スピードで目的のゲートにつくことができた.この時は乗り継ぎの時間はたっぷりあったので,タイ・マッサージ付きという豪華なラウンジに通されたのだった.

目的地に着いた後,荷物が出てくるまで待つのがけっこうな手間である.これが嫌なため全部機内持ち込みにするという人も複数知っているがそれはそれでまた面倒なことがあるので,私の荷物は小さいがいつもカウンターで預けている.優先タグというものが付けられて,私の荷物は優先で出てくることになっているのだが,これがどのくらい守られるかは航空会社によって,空港によって大きく違う.ちゃんと真っ先に出てくることもけっこうあるが,全然無視されて後の方に出てくることもアメリカだとよくある.この点もっとも優秀なのはウィーン空港である.いつもものすごい速さで荷物が出てくるのだが,どうやっているのかとても不思議である.

ニューヨークの隣にニューアーク空港というものがあり,私はよく使うことがある.この空港には招待された客だけが入れる隠しレストランがある.私は航空会社から招待メールを受け取ったので行ってみた.ここに通じるドアが別の普通のレストランの奥にあり,店員に言って通してもらわないとたどり着けないのだ.入ってみたら小さいレストランで朝だったこともあり,私のほかに客はいなかった.料理は普通で特に美味しいとか種類が特別だということはなかったが,空港の眺めはとてもいい場所だった.珍しい経験で一度は行ってみる価値はあったと思う.

空港と言って特に思い出すのはアラスカのアンカレッジである.昔は西側諸国の飛行機はロシア(当時はソ連)の上空を飛べなかったので,日欧間の飛行機はアラスカのアンカレッジを経由し,長距離になるためここでいったん着陸するのが普通だった.当時はアンカレッジと言うとヨーロッパへの玄関のような特別な響きがあった.私がここに立ち寄ったのは,1988年暮れから1989年年明けにかけて,IHES 滞在中だったパリから日本に戻った時である.ちょうど昭和から平成に切り替わった時のことだ.なぜか立ち食いのうどん屋が空港にあったことを覚えている.私がアンカレッジに立ち寄ったのはこの時だけで,その後は直接ロシア上空を飛んでヨーロッパに行けるようになった.もうこの先行くことはないだろうと思うとなんだか懐かしい気がする.

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