研究の経緯

 2005年10月5日更新    トップに戻る

論文執筆の経緯

  1. Hypergeometric type integrals and the sl(2,C) Knizhnik-Zamolodchikov equations.
    Int. J. Mod. Phys. B4 (1990), 1049. (with E Date, M Jimbo and T Miwa)

    修士課程在籍中に、伊達さん、神保さん、三輪さんと行った共同研究です。 共形場理論の一種である WZW 模型の相関関数の満たす微分方程式である Knizhnik-Zamolodchikov 方程式と呼ばれる方程式と、 青本先生が超幾何関数の一般化として研究されていたある種の積分で書かれる関数の満たす方程式が良く似ているので、それらを結び付けようというものです。 実際、sl^2 の場合には、パラメータをうまく調整して解釈してやることによって、両者は全く同じ方程式であることがわかりました。

    実際の研究は、電子白板を囲んで、三輪さんがまず怪しい予想を書き、それをチェックする格好で神保さんが計算を進め、そこで生じた間違いを伊達さんが修正するという風に進みました。 私は青本先生の論文を読んで頭に入れて、研究の折々に比較をするという役目を言い付かっていました。 そういうわけで、この時点では私の貢献はあまりありませんでしたが、このネタを一般化したのが次項に掲げる修士論文になったというわけです。

    この論文は 1989 年に執筆したものですが、このときすでに原稿は TeX で打っ ていました。本文の打ち込みは先生方がやってくださいましたが、TeX の練習 ということで reference の部分を私が打ちました。

    そういえば、このときの研究には未発表の部分があったけど、あれはどうなっ たのかな。

  2. An Application of Aomoto-Gelfand Hypergeometric Functions to SU(n) Knizhnik-Zamolodchikov Equation.
    Commun. Math. Phys. 134 (1990), 65--77

    前項の研究の後に、三輪さんから「あとは君にまかせたから」と言われてやったのがこの論文の内容です。 前項の研究は sl^2 の場合でしたが、これを sl^n に一般化しようというものです。 この場合には、もはや青本先生の結果は使えませんので、すべて自前で計算しなければなりません。 修士2年の夏の暑い時期に24時間営業の喫茶店に深夜こもって計算を続け、9月はじめ頃に完成したと記憶しています。 修士論文のしめきりまではまだ数ヵ月あるから、他の型のものも含め、もう少し先まで研究してから修士論文にまとめようと思いましたが、結局これより先には全く進めませんでした。

    同じ頃 Schechtman-Varchenko が同内容の研究をより一般の場合にアナウンスしたことを知ったときは非常に焦りました。 でも、彼らの結果は私の結果と表示が違っていましたので、ひとまず安心しました。Commun Math Phys へ投稿しましたが、比較的すぐにアクセプトがもらえて幸運でした。 レフェリーレポートに economical と書かれていたのが印象的でした。結果の表示や論文の記述がコンパクトにまとまっているという意味です。

    実は、Varchenko 氏のグループは、私自身がすっかり忘れてしまったこの論文の結果を、いまでも研究テーマとして取り上げています。例えば次の論文があります。

    Y. Markov and A. Varchenko: Hypergeometric solutions of trigonometric KZ equations satisfy dynamical difference equations. Adv. Math. 166, (2002), 100-147.
    さらに、ごく最近になって、次の論文が出ました:
    R. Rimanyi, L. Stevens, and A. Varchenko: Combinatorics of rational functions and Poincare-Birchoff-Witt expansions of the canonical U(n--valued differential form. Ann. Comb. 9 (2005), no. 1, 57--74.
    そのプレプリントを見ると、私の表示には Schechtman-Varchenko の表示よりも優位な点があると書かれています。 右も左もわからず、ただがむしゃらに計算して書いた修士論文でしたが、実はそれなりに良い研究をしていたんだと、いまさらながら教えられました。 自覚していなかったところが実に情けない。

  3. Integrable connections related to zonal spherical functions,
    Invent. Math., 110 (1992), 95--121.

    修士2年の1月頃だったと思いますが、生協の食堂で尾角さんといっしょに晩御飯を食べているとき、彼は「こんなプレプリントをもらったよ」ということで Cherednik の論文を見せてくれました。 その後、三輪さんから「吉田君のところで少し修行して来なさい」と言われて、3月末の卒業式の頃に九州大学の吉田正章さんのところに数日滞在してセミナーに参加しました。 私は、修士論文の内容を話しました。そのとき話を聞いてくださった方々のうちの一人である金子譲一さんが「ルート系が出てくる微分方程式は他にもあるよ。きっと松尾さんの話と関係していると思う。」といって教えてくださったのがHeckman-Opdam の論文でした。 京都に帰って早速見てみたところ、確かにルート系が現われるのですが、私が研究していたKZ方程式におけるルート系の現われ方とは違っていました。 しかし、尾角さんから教えてもらった Cherednik の論文にある方程式とは関係がありそうでした。 というのは、これらの方程式は見掛けは全然違うのですが、解が同じような振る舞いをするのです。 指導教官の柏原さんにアイデアを話したところ、それは確かに関係あるかもしれない、 とのことでしたので、俄然やる気が出ました。

    そうこうしているうちに、5月頃だったと思いますが、Cherednik が数研にやってきました。 彼とはいろいろ話をしましたが、非常におしゃべりな人で、私がアイデアを話そうとしてもほとんど耳を貸さずにひたすら言いたいことを言っていました。 その年はちょうど京都で ICM 90 が開かれた年であったので、大勢の数学者が来日しました。 Heckman もやってきました。Heckman にも私のアイデアを話しましたが、彼は私の考えに否定的で、二つの方程式の解が似た振る舞いをするのは偶然だと思うと言っていました。 ともあれ、夏から秋にかけては ICM 90 で来日して数研に滞在するロシア人数学者を囲むセミナーなどが頻繁にあり、ゆっくり研究する時間はなかったように思います。

    秋が深まった頃から研究に復帰しました。あれこれ実験したのちに、12月末頃になって、冒頭で述べた Cherednik の方程式をうまく変形した方程式を考え、その解に対称化の操作をほどこすと丁度 Heckman-Opdam の方程式の解になることを見つけました。 1月中旬には証明の道筋もわかったので、結果を柏原さんに話したところ、非常に好感触でした。まだ証明が完成していない部分があったのですが、柏原さんは、じゃあ今考えよう、ということで補題を一つ教えてくださいました。 そのあと、もういくつか補題を示して一応の完成を見ましたので、論文を書きました。 できあがった論文を柏原さんに見てもらったところ、柏原さんは例の補題を見て「こんなのが成り立つはずがない」と怒り出しました。柏原さんに教えてもらったものなんだけどな。

    さて、できあがった論文は Inventiones に投稿しました。正直に言うと、世間知らずの私は、Inventiones は有名なジャーナルではあるけれど、凄いジャーナルであるとは思っていませんでした。

    というわけで、とにもかくにも投稿したわけですが、そのあとになってから、どう考えてももう少し内容を書き足すべきであると考えるようになりました。 少々悩みましたが、思い切ってお詫びの言葉とともに章を追加した原稿を送りました。 レフェリーレポートは、書き足す前の最初の原稿を元にしていましたが、大変親切なことに、ちょうど追加した原稿の内容が書かれてあればもっと良い論文になる旨のことが書かれていました。本当にありがたいことでした。 修正した原稿を送った結果、おかげさまでアクセプトがいただけました。

    なお、この論文の簡単な解説を

    帯球関数に関係する可積分接続について
    数理解析研究所講究録 778.
    に書きました。

    参考までに、Heckman-Opdam の方程式というのは、Lie 群の表現論で扱われる帯球関数の満たす微分方程式系を、それに含まれる離散的なパラメータを連続的に変形することで得られるもので、また物理学で言うところの Calogero-Sutherland の量子多体問題に現われる方程式系と同値です。

    実は、Veselov 氏のグループは、私自身がほぼ忘れてしまったこの論文の結果を、いまでも研究テーマとして取り上げています。 例えば、最近の論文

    A.N. Sergeev and A.P. Veselov: Deformed quantum Calogero-Moser problems and Lie superalgebras. Comm. Math. Phys. 245 (2004), no. 2, 249--278.
    では、私が考案した帰納的方法が効果的に使用されています。

  4. Jackson integrals of Jordan-Pochhammer type and Quantum Knizhnik-Zamolodchikov equations.
    Commun. Math. Phys., 151 (1993), 263--273.

    博士課程1年の春、三輪さんが興奮して「君にぴったりの研究テーマがある」 と言い出しました。それは、ちょうどそのころ出た Frenkel-Reshetikhin の研究で構成された qKZ 方程式と呼ばれる q-差分方程式の解を求めよ、というものでした。 しかし、そのときには、前項の仕事のアイデアを思いついてやり始めた頃でしたので「やろうとしてるテーマが別にありますので、そちらをやります」と言って断りました。 それから一年が経ち、博士課程の二年目の夏に名古屋大学の助手に採用されました。 名古屋大学では青本先生が毎週セミナーをなさっており、私も仲間に入れてもらいました。 そのときの青本先生の研究は q-差分的に変形された超幾何関数についてのものです。 ちょうど三輪さんに言われた研究テーマをやるのにうってつけの環境となったわけです。 なお、Frenkel-Reshetikhin の Frenkel は Edward ではなく Igor の方です。

    この研究テーマは、要するに修士論文で扱った内容を q-差分化するというものですが、物事はそう単純ではありません。 qKZ 方程式は、量子アフィン代数と呼ばれる、アフィン Kac-Moody 代数の展開環を q 変形したもので統制されます。 具体的には、量子アフィン代数から作られる R-行列と呼ばれるものを利用して係数が書かれます。 その形がそもそも複雑で、パラメータ q があちこちに入り組んで入っています。 形を見ただけではどこをどう変形したら良いかはわかりません。そこで、一計を案じました。q-差分化される前の KZ 方程式はそもそも共形場理論の一種である WZW 模型の P1上の相関関数の満たす方程式でした。 相関関数の具体的な計算方法として、自由場表示を利用する方法があります。 そこにあらわれる screening operator と呼ばれるものが「仮にうまく q-変形された」として、どのような振る舞いをするかを推理しました。 さらに、その振る舞いが相関関数の具体形にどのように影響するかを推理しました。 このような推理に基づいて、qKZ 方程式の解の具体的な表示を予想しました。 その結果、ごく特別な場合ですが、実際に qKZ 方程式の解が得られることが確認できましたので、それを論文にしたのがこれです。

    要は、特別な具体例を一つ求めただけなんですが、それでも論文が出版されたのは非常に幸運だと思いました。 もっとも、後になって分かったことですが、この論文の仕事は Frenkel や Reshetikhin を含め、いろいろな人がやろうとしてできなかったことであったようです。

  5. Quantum algebra structure of certain Jackson integrals.
    Commun. Math. Phys., 157 (1993), 479--498.

    前項の研究の続きとして、sl2 の場合の一般的な予想を立てました。それは特別な場合には証明できました。 そこで、これを一般に証明して論文にすることが当然考えられるわけですが、ここに至って少し反省しました。 というのは、qKZ 方程式の解を作ることよりも、自由場表示を利用して相関関数を具体的に構成する方が数学的に意味のあることではないかと考えたのです。 そこで、中途半端ではありますが、ここまで得られた結果を予想と特別な場合の証明という形で論文にまとめて手を打ち、研究の方向を転換しようと思い立ったのです。 そこで早速論文にして投稿しました。これはさすがにリジェクトされるかもしれないと思いましたが、何とか採用されました。

    前項にも書きましたが、前項の仕事とこの仕事は特別な具体例を求めたもので、しかも中途半端に終わらせてしまったものです。 ですから、自分としては不完全燃焼で、低く評価せざるを得ません。 しかし、これらの論文はどういうわけか評判が良く、外国も含めて、いろいろな人から誉められます。

    私はこの仕事は途中でやめてしまったわけですが、しばらくして、Varchenko が続きをやり始めました。その第一弾

    A. Varchenko: Quantized Knizhnik-Zamolodchikov equations, quantum Yang-Baxter equation, and difference equations for $q$-hypergeometric functions. Comm. Math. Phys. 162 (1994), no. 3, 499--528.
    において、彼は私が立てた予想の証明を与えました。いわれてみれば非常に簡単なことで、証明のもっとも難しいところは私がすでに突破していたのでした。 さらに彼は Tarasov と共同で研究を進め、
    A.N. Varchenko and V.O. Tarasov: Jackson integral representations for solutions of the Knizhnik-Zamolodchikov quantum equation. Algebra i Analiz 6 (1994), no. 2, 90--137.
    V.O. Tarasov and A. Varchenko: Solutions to the quantized Knizhnik-Zamolodchikov equation and the Bethe-ansatz. Group theoretical methods in physics (Toyonaka, 1994), 473--478, World Sci. Publishing, River Edge, NJ, 1995.
    V.O. Tarasov and A. Varchenko: Asymptotic solutions to the quantized Knizhnik-Zamolodchikov equation and Bethe vectors Mathematics in St. Petersburg, 235--273, Amer. Math. Soc. Transl. Ser. 2, 17 Amer. Math. Soc., Providence, RI, 1996.
    V.O. Tarasov and A. Varchenko: Geometry of $q$-hypergeometric functions as a bridge between Yangians and quantum affine algebras. Invent. Math. 128 (1997), no. 3, 501--588.
    A. Varchenko: Quantization of geometry associated to the quantized Knizhnik-Zamolodchikov equations. Syme'tries quantiques (Les Houches, 1995), 979--990, North-Holland, Amsterdam, 1998.
    と立て続けに論文を書き、私がやり始めた仕事を大きな理論に発展させてくれました。

  6. Free field representation of the quantum affine algebra Uq(sl^2).
    Phys. Lett. B308 (1993), 260-265.

    前項で書いたように、qKZ 方程式の解を求めるよりも、自由場表示を利用して相関関数を具体的に計算する方が大切であると考えて自由場表示の q 変形をやり始めました。 ここでいう自由場表示とは、アフィン Lie 環の場合に脇本先生が構成された脇本表現と呼ばれるものに相当するものです。 ですから、この研究テーマは、要するに脇本表現の q-変形を構成しようということです。 数理解析研究所で研究員をされていた木村さんという物理の方が脇本表現をよく勉強されていたので、木村さんと議論をしながら試行錯誤を繰り返しました。 そうこうしているうちに、とりあえず sl^2 の量子アフィン代数の自由場表示が得られました。 それで、三輪さんに電話をして報告したら、東大物理の白石という人が同じことをしているので共著の論文にしたらどうか、と言われました。 そこで早速東大に出向き、白石氏と会って話をしてみると、両者の結果は本質的には同じと思われるが、表面的には別の形をしていることが判明しました。 そこで、共著にするのではなく、別々に論文にすることにして書いたのがこの論文です。

    この研究は、木村さんと議論をするところから始まったものであったので、木村さんと共著で論文を執筆することも考えたのですが、上のような事情で発表を急ぐ必要があったので、とりあえずできたところだけ一人で書きました。 そして、早急に続きを木村さんとやって、次の論文からは共著で、と思っていたのですが、どうも二人の波長が合わず、残念ながら実現しませんでした。非常に心残りです。 木村さんは、私の表現をもとにして、もともとの脇本表現との関係が見易い表示を構成して、論説

    Free boson representations of the quantum affine algebra Uq(sl^2)
    数理解析研究所講究録 869.
    を書いてくださいました。

  7. A q-deformation of Wakimoto modules, primary fields, and screening operators.
    Commun. Math. Phys. 160 (1994), 33--48.

    前項の論文の続きです。q 変形された自由場表示を利用して相関関数を構成し、計算するというものです。東大物理のグループが少々早く論文を出してきたのであせりましたが、そこには少々瑕疵があるように思われたので、きちんとしたものに仕上げることを優先して時間をかけました。

    この仕事には土屋さんが非常に興味を持ってくださいました。そして、驚くべきことに、土屋さんは私の計算を細かいところまですべて追い掛けて検証して下さいました。

    この論文の結果は、後に神保さんのグループが

    M. Jimbo, H. Konno, S. Odake and J. Shiraishi: Elliptic algebra Uq,p(sl^2): Drinfeld currents and vertex operators. Comm. Math. Phys. 199 (1999), no. 3, 605--647.
    で使ってくださいました。

    さて、以上の一連の仕事については、ある程度うまくいったものの、他の研究者と競合したため、非常にいやな思いをしました。 相手が物理学者の場合は特にそうです。 そんなとき、三輪さんからアメリカでの研究会で講演をするようにいわれました。 その機会を利用して、ここまで得られた結果を持ってアメリカに行き、各地の関係者を訪ね歩きました。Varchenko にも会いましたし Igor Frenkel にも会いました。 ここで Frenkel に会ったのが私の研究人生にとって大きな転機になりました。

  8. A note on free bosonic vertex algebra and its conformal vectors.
    J. Algebra 212 (1999), 395--418. (with K Nagatomo)

    アメリカに行って Igor Frenkel に会ったことはすでに書いた通りです。彼を訪ねたのは、qKZ 方程式に関する研究結果について話すためだったのですが、彼の研究室を訪れるや否や、彼はムーンシャインの話をし始めました。そして、「ムーンシャインは重要だ。実際に研究するかどうかはともかく、勉強しておく必要がある。ついては、私の本のイントロダクションを読むように。ただし、本文を読んではいけない。」と言われました。ここで「私の本」とは有名な

    I. Frenkel, J. Lepowsky and A. Meurman: Vertex operator algebras and the Monster. Pure and Applied Mathematics, 134. Academ Press, Inc., Boston, MA, 1988.
    のことで、イントロダクションは Frenkel が執筆し、本文は Lepowsky が執筆したとのことです。

    アメリカ旅行を終え、名古屋に帰ったら、早速この本を読み始めました。自主的にセミナーをセットして聴衆を集め、勝手に説明しました。 梅村先生が聞きに来てくださり、アドバイスもいただきました。 とてもありがたかったのをおぼえています。 勉強を始めてみると、ムーンシャインの話は非常に面白く、さらに一般 Kac-Moody 代数と Mirror 対称性との関係などにも話が広がっていき、私は完全に夢中になりました。 こうして私は研究分野を完全に転向することとなりました。

    そうこうしているうちに、東大に移ることになりました。ムーンシャインの勉強を続ける傍ら、柏原さんから頼まれた Kazhdan-Lusztig の論文の解説をするなど、研究はお預けで勉強ばかりしていました。

    そんなある日、大阪大学の永友さんが東大の薩摩先生の戸田ゼミで講演をされました。永友さんは Kac のところで頂点作用素代数を勉強され、関連していくつか問題を考えておられたようでしたが、その問題の一つを講演中にあげられました。 自由場に附随する頂点作用素代数の自己同型群に関する問題です。 その日以降、どういうわけか寝床に入るとこの問題を思い出すので、寝ながら暗算で高次の作用素積展開を計算しました。 しばらくすると、複雑に入り組んだ正規積についても容易に暗算ができるようになりました。 そうこうしているうちに、だいたい一週間くらいしたら自然と結論が出てしまいました。 そこで、永友さんが立教大学で集中講義をされたときに、寝床で得られた結論を説明しました。 永友さんは最初は遠慮していましたが、私は「私にはこの結果の価値はわかりません。もし永友さんが価値を認めるならば、共著で論文にしましょう」と提案しました。 こうして共同研究が始まりました。

    この論文の結果の価値については、何しろ寝床で暗算して得られた結果ですから、自分ではいまでも半信半疑です。 ただ、投稿して問題なくアクセプトされたのだから、それなりのものなのだろうと思っています。

  9. Axioms for a vertex algebra and the locality of quantum fields.
    MSJ Memoirs 4, Math. Soc. Japan, 1999. (with K Nagatomo)

    前項の結果の論文を執筆するに当って、結果を述べるためには頂点作用素代数に関する準備の章を設けなければなりませんでした。当初は既存の文献を引用してすませようと思っていたのですが、文献を調べるうちに、既存の導入方法は非常に不器用であることに気が付き、自前で準備することにしたわけです。 そうこうして永友さんと議論を重ねるうちに、暗に知られているとは思われるものの、はっきりと書かれたものがない重要な主張を見いだし、 また、証明方法を工夫することによってこれまで長大な計算を要したものが数行で済むようになるなど、頂点作用素代数の基礎理論に著しい改善を加えることができました。 こういったわけで、その部分を独立させて別の論文にすることにしました。

    論文を仕上げ、某学術誌に投稿しました。レフェリーは内容自体には好評価を与えてくれたものの、論文の構成としてレビューの部分が多すぎるということで、敢えなくリジェクトと相成りました。どうしたものかと思案していたところ、三輪さんから「日本数学会からメモワールのシリーズが新たに発足するが、その一冊にふさわしいので、是非メモワールから出して欲しい」というお話を頂きました。 渡りに船ということで、依頼にしたがって内容を増やし、出版したという次第です。 なお、本書の著作権は日本数学会に譲渡させられましたので、ご購入くださっても私には一銭も入りません。 日本数学会の活動に寄付するつもりでご購入頂ければ幸いです。

    ちなみに、共同執筆の方法は次のようなものでした。私が手書きで少しづつ原稿を書き、それをファックスで大阪に送ります。 受け取った永友さんは内容をチェックした上で TeX に打ち、ファックスで東京に送り返します。私はそれを見て内容をチェックした上で続きを書きます。 これを繰り返して仕上げました。 私は夜型で、永友さんは朝型ですので、二人の仕事時間はほぼディスジョイントです。 無駄な時間がほとんどない、非常に効率の良い共同作業であり、私のこれまでの研究者人生のなかで最も充実した日々だったと言えるでしょう。

  10. Summary of the theory of primitive forms.
    Topological field theory, primitive forms, and related topics, Birkhauser, 1998.

    ある日、斎藤恭司さんから谷口シンポジウムのオーガナイズの手伝いを頼まれました。詳しい経緯は忘れてしまいましたが、斎藤さんのセミナーには学生時代から参加させて頂いておりましたので、恩返しのつもりで引き受けさせて頂きました。 シンポジウムのテーマは特異点の原始形式と位相的場の理論です。 オーガナイズの仕事のうち、学問的な部分については専門家である斎藤さんと佐竹さんに任せ、私は主として裏方の仕事をしました。 具体的には、会場・ホテル・交通等の手配とその経理です。私は裏方だけで良いと思っていたのですが、斎藤さんからは講演も頼まれました。 すなわち、議論のたたき台としての原始形式の概説を、斎藤さんと私の二人ですることになったというわけです。

    さて、おかげさまで会議は成功し、経理の仕事も何とかこなし、つつがなくシンポジウムは終了しました。しかし、それでは終わらず、プロシーディングを出版することになりました。 このプロシーディングのために書いた原始形式の概説がこれです。

    これはあくまでサーベイですから、結果に関するオリジナリティーはありませんが、話の進め方を整理して手短かにわかりやすくまとめたつもりです。 佐竹さんも原始形式の勉強にはずいぶん苦労されたとのことで、私のサーベイについて、良くまとまっている、と誉めてくださいました。 また、原始形式を勉強する際にはまずこれを読むように、と推薦してくださっているそうで、ありがたいことです。書いた甲斐があります。

  11. The automorphism group of the Hamming code vertex operator algebra.
    J. Algebra, 228 (2000), 204--226. (with M Matsuo)

    宮本さんの方法でムーンシャイン加群の構造の一意性を調べる際に、拡張 Hamming 符号と呼ばれる誤り訂正符号から出発して構成される特別な頂点作用素代数が重要な役割を果たしました。 この頂点作用素代数の自己同型群には位数3の元が含まれており、それがいわゆる triality の役割を果たすわけです。 そこで、この triality の意味を探るべく、この頂点作用素代数の自己同型群を完全に決定しようと言うことで、研究を始めました。

    実際には、グライス代数に含まれる中心電荷 1/2 の巾等元を考え、これの上の置換群として自己同型群を記述しました。 有限群については私は素人ですし、構造が良く分からなかったので、ともあれはじめの一歩としてC言語を用いたプログラムを書き、すべての元を列挙して乗積則を書き下しました。 その結果を Conway-Sloan の本に出てくる群と比較したところ、良く似た構造をした群がありました。 それは Mathieu 群 M24 の部分群で triostabilizer と呼ばれるものです。 実際のところ、これはたいして難しい群ではなく、位数 168 の単純群からちょっとした拡大で得られる群なのですが、ともあれ、名前のついた意味のある群と関係がありそうでした。 ところが、我々が得た置換表現と trio stabilizer の標準的な置換表現と見比べてみると、どうも微妙に様子が違います。 あれこれ試行錯誤の後に、両者の違いは位数 168 の同じ単純群の2通りの表示の違い、すなわち、PSL2(7) と GL3(2) の違いであることがわかりました。

    ここまでできたところで、これが意味のある結果なのかどうか、北詰さんに聞いてみたところ、この種の自己同型群をきちんと決めたケースはほとんどないから、十分に意味のある結果であるとのことでしたので、論文にすることにしました。 当初は計算機を使いましたが、結果的にはごく簡単な組合わせの議論の積み重ねで同型が証明できました。 これで有限群論の面白さが良く分かりました。

    なお、この論文の内容は、

    [8,4,4]拡張 Hamming 符号に附随した頂点作用素代数の自己同型群と関連する話題
    第16回代数的組合せ論シンポジウム報告集
    に概略を書きました。

    この仕事をしたときには、自己同型群が有限群になるケースで自己同型群がきちんと決定されているものはほとんどありませんでしたが、現在ではずっと広いクラスの頂点作用素代数について自己同型群が決定されています。 特に、私の学生であった島倉氏があみだした方法は強力で、この論文の結果についても、彼の方法によって構造が容易に決定されます。

    H. Shimakura: The automorphism group of the vertex operator algebra V+L for an even lattice L without roots. J. Algebra 280 (2004), no. 1, 29--57.
    をご覧下さい。

  12. Norton's trace formulae for the Griess algebra of a vertex operator algebra with larger symmetry.
    Commun. Math. Phys. 224 (2001), 565--591.

    1999年の10月から2000年の9月までのちょうど一年間、文部省在外研究員としてケンブリッジ大学に滞在させて頂きました。妻と当時8ヶ月の長女をつれてはるばる英国までやってきたという次第です。ケンブリッジ側の受け入れ教官は Ian Grojnowski 氏でした。 なお、ケンブリッジ大学の様子については、藤原正彦氏の本に生き生きと描かれています。その登場人物のうちの何人かには実際に会うことができました。 当然ながら、本に描かれているよりずっとお年を召されていましたが。

    さて、日本国民の血税から補助を頂いて滞在するのだから、良い研究成果をあげて帰国しようと考えて、滞在中は研究に邁進しました。 嘘ではありません、本当です。 その証拠に、私は英国でずいぶんと痩せました。 しかし、力をいれて研究に邁進している間はなかなか論文になるような成果はあがりませんでした。

    そんなある日、ちょっと息抜きに、モンスターの2A元のトンプソン級数を手で計算してみようと思い立ちました。 2A元に対応する巾等元から得られる Virasoro 代数の L0 の作用に関するムーンシャイン加群の固有空間分解が計算できれば、宮本さんの結果によって2A元のトンプソン級数が計算できるというわけです。 ムーンシャイン加群の構成はとにかく複雑ですので、巾等元の具体的な形を利用して計算するのでは息抜きになりません。 そこで、対応する巾等元が中心電荷 1/2 の Virasoro 代数を生成するという事実と頂点作用素代数の定義関係式だけ使って計算しようと考えたわけです。

    とはいっても、以上にあげたデータだけでは計算不能です。何かプラスアルファの性質をインプットしなければなりません。 そこで、ムーンシャイン加群へのモンスターの作用に特徴的なことは何か考えたところ、モンスターの作用で固定される部分空間が、次数11までは共形ベクトルの生成する部分代数に限るという事実に思い至りました。 この事実を、頂点作用素代数の関係式と組み合わせると、巾等元の作用の仕方に制限が加わり、その結果として L0 の固有空間の次元が決定してしまうことに気づきました。 かくして、ムーンシャイン加群の指標と中心電荷 1/2 の Virasoro 代数の既約表現の指標を組み合わせて2A元のトンプソン級数を計算する公式が得られました。

    そうしてみると、巾等元のことは忘れて、上記の性質をシステマティックに使って得られる結論は何か気になるところです。俄然、やる気が出てきました。もはや息抜きではありません。 ムーンシャイン加群とは限らない一般の頂点作用素代数に、上記の性質を次数 2n まで仮定したときに得られる式を考えました。その結果、グライス代数の一般の元の作用について、ある種の跡公式が得られることが分かりました。 具体的な計算は手計算では絶望的ですので、科研費で購入して東大に置いてあった計算機にアクセスして計算しました。 さらに、得られた公式をムーンシャイン加群の場合に適用すると、モンスターの作用の仕方について様々な応用があることも分かりました。 同じ公式がモジュラー不変性から導かれることにも気づきました。 さらに、上記の性質をもつ頂点作用素代数については、グライス代数の次元と中心電荷の間には関係式が成り立つことも分かりました。 そのような関係式を満たすような中心電荷をリストアップすることによって、対称性が高い頂点作用素代数が存在するような中心電荷の可能性のリストが得られました。 息抜きから出発して、予想もしないすばらしい結論が次々と得られたのです。

    さて、私が得た跡公式そのものについては、もともとのムーンシャイン加群の場合には、ケンブリッジ大学の有名な Norton 氏によってすでに得られていたことが分かり、少々がっかりしました。 ただし、Norton 氏の証明方法はモンスターの性質とその作用の具体的な構成を使うものであるのに対して、私の方法はモンスターの性質も具体的な構成も一切使わない全く新しいもので、公式自体もムーンシャイン加群以外の場合にも通用する一般的なものです。 ともあれ、ケンブリッジ滞在も残り2ヶ月ほどとなる夏の頃になってようやく研究成果をあげることができました。 ほっとしました。こうして得られた結果を論文にまとめたものがこれです。

    なお、英国滞在中には、すでに名前をあげた A.P. Veselov 氏とはじめて会い、親しくなりました。 また、名古屋で助手をしていた頃の旧友である A. Corti 氏とも再会できました。 もちろん、受け入れ教官の Ian Grojnowski 氏とは日頃から親しくお付き合いしました。 さらに、群論の A.A. Ivanov 氏とも親しくなりました。 Ivanov 氏は、このときの縁がもととなって、後に東大に客員として招聘することとなります。

    この論文の内容については

    頂点作用素代数の Griess 代数に対する Norton の跡公式
    数理解析研究所講究録 1218.
    W代数とモンスター
    数理解析研究所講究録 1228.
    に概説を書きました。

    なお、この論文で用いた議論は、

    C.-Y. Dong and G. Mason: Holomorphic verex operator algebras of small central charge. Pacific J. Math. 213 (2004), no. 253--266.
    において、正則な頂点作用素代数の分類問題を特別な場合に解くのに使われました。

  13. 3-transposition groups of symplectic type and vertex operator algebras.
    Journal of Mathematical Society of Japan 57 (2005), no. 3, 639--649.

    ムーンシャイン加群の自己同型群がモンスターであることはあまりにも有名ですが、ではそれ以外の頂点作用素代数の自己同型群として面白い有限群が現われることはないのか、と誰しも考えるでしょう。 かく言う私も、その問題を考えてきました。前項の論文で、対称性の高い頂点作用素代数の存在する中心電荷のリストを作ったのも、この疑問に対する手がかりを得るためです。 そのような自己同型群について、特別な場合であっても分類しようと考えるのは自然なことです。 ここで、グライス代数が中心電荷 1/2 の巾等元で張られ、共形ウェイト 1/16 の表現が含まれないような頂点作用素代数については、3互換群と呼ばれる特別な型の置換群が作用することが宮本さんの研究で分かっています。 そのような群の例は宮本さんと北詰さんの研究でリストアップされていますが、完全な分類はなされていませんでした。 そこで、そのような形で頂点作用素代数に作用する3互換群を分類するという研究を始めました。

    ところで、すでに書いたように、London の Imperial College の A.A. Ivanov 氏を第三種客員教授として東大に招聘しました。 Ivanov 氏は膨大な研究業績のある方ですが、グラフ理論にも造詣が深い方です。Ivanov 氏に私の研究プログラムを話したところ、非常に興味を持ってくれました。 そこで、いろいろ計算して何か分かるたびに Ivanov 氏にその内容を話しました。 その折々に彼は有益なアドバイスをしてくれました。とりわけ、3互換群に附随するグラフの構造についての解説は秀逸で、それに基づいてグラフの不変量を計算機でチェックしてみると、私の状況で現われる3互換群はシンプレクティック型と呼ばれるものに限られることが予想されました。 いろいろ試行錯誤の後に、中心電荷 1/2 のものだけでなく、中心電荷 7/10 の Virasoro 代数も考えにいれてやると、シンプレクティック型でない3互換群が現われることはないことが証明できました。 あとは、自然な内積が半正定値であることから、可能なパラメータのリストを作り、そこに現われるケースが実際に実現されることをチェックすれば出来上がりです。 以上の結果をまとめたのがこの論文です。

    この論文の内容については、

    Fischer 空間に附随する非結合的代数と頂点作用素代数
    数理解析研究所講究録 1407
    に概要を書きました。

    この論文の内容は、台湾の国立成功大学の Lam さんと私の研究室に所属する PDの諸君が、最近のプレプリント

    Ching Hung Lam, Shinya Sakuma, Hiroshi Yamauchi: Ising vectors and automorphism groups of commutant subalgebras related to root systems. math.QA/0507371
    で使ってくれました。



    (つづく)