論文のリジェクトをひっくり返した話

私はジャーナルに投稿してリジェクトされた論文を,抗議してアクセプトにひっくり返したことが2回ある.数学ではかなりまれなケースだと思う.

他の自然科学分野だとレフェリーと見解が異なって戦うというような話をよく聞くのだが数学ではほとんど聞かない.数学の場合,正しいかどうか,新しい結果かどうかについては客観的に決着がつき議論の余地がないと考えられていること,逆に結果が重要かどうかは主観的判断なので議論しても仕方がないと考えられているからだと思う.したがってリジェクトに対して反論するということ自体が少ないし,反論してひっくり返ることはさらに少ない.Comm. Math. Phys. では18年エディターをしていたが,私が抗議を受けてリジェクトを撤回したのは2回である.1回目は,証明が間違っているとレフェリーが言ったのだが,抗議を受けて,レフェリーが勘違いを認めたもの,もう1回は,すでに知られている結果だとレフェリーが言ったのだが,これも抗議を受けてやはり,レフェリーが勘違いを認めたものである.またもう一つのジャーナル,Internat. J. Math. では17年エディターをやっているが,私がリジェクトを撤回したことは一度もない.(そうは言ってもいろいろなケースがあるので,自分が不当に扱われたと考えるのなら抗議すべきである.裏でぶつぶつ言っても単なる時間の無駄である.)

数理物理学の関係で私は物理学者ともかなり交流があるのだが,数学と物理ではこの辺の感覚はだいぶ違うように思う.少し話がずれるが,レフェリーの候補のリスト,あるいはレフェリーを頼まないでほしい人のリストを投稿の際に自分で書くというやり方がある.私が関係しているジャーナルだと,J. Math. Phys. では両方書けるようになっているし,Rev. Math. Phys. では前者が書ける.数学の感覚だとこれはかなり奇異に思える.Comm. Math. Phys. でも時々これらを勝手に書いてくる人がいるが,Internat. J. Math. ではまずいない.この人にレフェリーを頼んでほしいという希望は私は無視する,というか逆にその人には頼まないようにしている.この人には頼まないでほしいというのは,それが一人でかつ,ほかに適切なレフェリー候補がいるのであれば,まあしいて無視することはないという方針だ.

さて本題に戻るが,1回は Adv. Math. でのことだった.まず論文を投稿して半年くらいたった時点で問い合わせたところ,単にレフェリーしているから待て,という答えであった.ところがそのさらに半年くらい後になって,あなたたちの論文はレフェリーに回さずに quick rejection になりました,残念ですがすみません,という通知が来たのだ.1年経って何が quick rejection だ,そもそも半年前にレフェリーしていると言ったではないか,と抗議したところ,手違いです,ちゃんとレフェリーレポートはあります,という返事が来て,さらにその後一月以上たってレポートが送られて来た.見てみるとそれは絶賛ではないもののちゃんとほめており,アクセプトを推薦します,と書いてあったのだ.どうしてこれでリジェクトなんだ,おかしいだろう,と再度抗議したところ,こちらで検討します,待ってください,という返事が来て,その後また一月以上待たされた後に,何の説明もなく,アクセプトです,という連絡が来たのだった.相当いい加減な話である.今エディターを長年やった経験から言うと,最初の通知があった時に本当にレポートがあったかどうか,極めてあやしい話だと思う.まあいろいろ手違い,間違いはあるというのは本当のところだ.最近だとウェブ上で何かをクリックすることになっており,間違ったボタンを押してしまうことは十分にあると思う.私はそういう間違いをしたことはないのだが,明らかにアクセプトのレポートなのに,レフェリーが間違ってリジェクトのボタンをクリックした例,あるいはその逆の例は何度も見たことがある.

もう1回は Comm. Math. Phys. である.私はこのジャーナルのエディターを長年やっていたが,これは自分がエディターになる前の話である.来たレポートは我々の論文をぼろくそにけなしており,数ページにわたって悪口が書いてあったのだ.端的に言うと,主結果の証明が間違っており修正不能である,仮に修正できたとしても何の応用もない,という内容であった.レフェリーはもちろん匿名なのだが,これが誰かは明らかであった.そういう人がいるのだ.ほかの人であれば,仮に我々の証明が間違っているとか,応用がないとか思ったとしても,こんな風に書くはずがない.間違っていると言われた部分は何も間違っていないので直ちに抗議したがこれは長びいた.エディターが Connes であったので,最後は間違っているかどうか彼が判定するということになり,私の共著者の一人が問題の個所を彼に直接説明した結果,我々の方が正しいという判定が下り,この論文はアクセプトされた.応用がないとも言われたが,この論文は私の最も有名な,最もよく引用されている論文の一つである.

さらにそのレポートには,主結果の応用として示されている我々の結果はもっと簡単に証明できるということも書いてあった.そんなはずはないと思ったのだが,これについては本当にその方針で証明できるのかどうかは不明のまま10年以上が過ぎた.そのあとで別の人が別の文脈である例を構成したのだが,その例を見ると,もっと簡単に証明できるというその方針が誤っていることがはっきりした.必要なはずの条件を使っていないからである.結局このレポートには正しいことは一つも書いていなかったことになる.

何故そんな人がいるのかと思うかもしれないが,このレフェリーはちゃんとした業績はあるのだが,あらゆる人と問題を起こすという人なのだ.ほかにも人の論文が間違っていると強く主張して自分の方が間違っていたということが何度かあった.この人はパーマネントポジションについていたはずだったのだが,その後問題を起こしてこの業界からいなくなった.こういう人のことを考えると数学でも,この人にレフェリーを頼まないでほしい,という要請は意味があるのかもしれない.

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