リスボン,ファティマ,ポルト

ポルトガルには3回行ったことがある.行先は順に,リスボン,ポルト,リスボンである.最初の2回は研究集会で,3回目は私の共同研究者の Evans の弟子だったポルトガル人にリスボン大学での講演を頼まれたものだ.

初めて行ったのは2003年でリスボンだった.ポルトガルは大航海時代に世界で大活躍したが,失礼ながら今ではヨーロッパ片隅の小国である.ポルトガル語の勢力は今でもそれなりにあるが,その主な原因は大航海時代に植民地にしたブラジルが今もポルトガル語を話しているからである.(他の南米諸国はすべてスペイン語圏である.) ポルトガルでは今も大航海時代が偉大な記憶となっており,その時代を代表するエンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマが国家的英雄であるように感じた.彼らの名前は広場や通りなどいろいろなものについている.この時代を記念する発見のモニュメントという記念碑があり,エンリケ航海王子が一団の先頭に立っている.そのそばに世界地図のモザイクがあって,ポルトガル人が世界各地を発見していったことが記されており,日本もポルトガル人が1541年に発見したことになっている.このそばにある世界遺産のベレンの塔とジェロニモス修道院も大航海時代にできたものである.

ファティマの奇跡という話がある.1917年ポルトガルのファティマで3人の子供の前に聖母マリアが現れたというもので,カトリック教会が奇跡として公認している.聖母は数度にわたって現れ,最後の出現ではうわさを聞きつけて集まった,多数のマスコミ関係者を含む大群衆の前で太陽が空中を狂ったように動き回るなどの奇跡が起きたとされている.私は別にこの話を信じてはいないが,この有名な話の舞台であるファティマに行ってみたいと思っていた.リスボンでの学会は土曜昼で終わったのでその午後にバスに乗ってファティマに行ってみた.もともと何もないところだったものがこの話のために大巡礼地となっており,それなりに味わい深い町であった.聖母マリアは出現の際に,第一次世界大戦の終結などの3つのお告げを行ったとされるが,3番目のお告げの内容をカトリック教会は長く秘密にしていた.これがファティマ第三の秘密と言われているもので,オカルトや陰謀論の好きな人たちの間で人気の話題である.1981年には「ファティマ第三の秘密を公開せよ」という要求をしたハイジャック事件さえ起きている.その後カトリック教会は,この秘密は1981年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件のことだったと発表したが,今でもそれは嘘だ,もっと重大な秘密を隠しているのだ,と言う人たちが後を絶たない.

その後2012年にポルトに行った.ポルトガル北部にある第二の都市である.現地名は Porto なので日本でもそう呼んでいるが,英語名は Oporto である.ポルト大学数学センターで数理物理のコンファレンスがあり,3回連続講演を頼まれたので行ってみたのだ.旧市街はポルト歴史地区として世界遺産になっており,ポルトのシンボルの聖グレゴリオ教会の高い塔が美しい.ポルトの街はドウロ川の河口にあるが,ドウロ川に沿ったリベイラ地区もその景観が有名である.大鉄橋のドン・ルイス1世橋があり,ポルトの観光写真と言うとしばしばこれが出てくる.ポルトワインでも有名であり,コンファレンスのオーガナイザーたちがポルトワイン醸造所にも連れて行ってくれたが,私は酒を飲まないので味わうことはできなかった.

2016年には再度リスボンに行った.2月のカーニバルの時期で仮面をつけた人が街にいた.リスボン大学でのセミナー講演の後ジェロニモス修道院に連れて行ってもらい,その前の老舗お菓子屋のパスティシュ・デ・ベレンで有名なエッグタルトを食べた.濃厚でいい味わいだった.ホストの人とヨーロッパ最西端というロカ岬にも行ってみた.ここは2003年の時にも行ったのだが,2回とも強い風が吹いているだけで特に珍しいものはなかった.このロカ岬のそばにポルトガル王室の夏の離宮のあるシントラがある.世界遺産のシントラ宮殿があるのだが,そんなに豪華絢爛と言うほどのものではなかった.

ポルトガル語の「オブリガード」は「ありがとう」にあたる言葉でしょっちゅう使うのだが,これが日本語の「ありがとう」の語源であるという説明をポルトガル人から短いリスボン滞在中に2回受けた.「ありがとう」はずっと古くからある言葉の「有り難し」から来ているのだからこの説は明らかに間違っているが,ポルトガルでは広まっている話らしい.ネットで調べるとこの話題がたくさんヒットするので日本でもそういうことを言う人たちがいるようだ.さすがにこのような日本語の基本的単語が400年前にヨーロッパから来たということはないであろう.

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