ノルウェイの森

私は村上春樹の小説もビートルズの曲も好きだがこれはその話ではない.1997年にノルウェイ南部西海岸のノールフィヨーレイドでのコンファレンスに行った話である.フィヨーレイドとはフィヨルドのことで,ここは海に面していて氷河が迫っており,陸側には森もある.この町にはオスロ大学の宿泊型研究施設があり,そこでコンファレンスが開かれたのだ.このころはヨーロッパ連合の研究費での作用素環のコンファレンスが毎年開かれており,アイルランド,イタリア,ノルウェイ,フランスと順番に回っていた.

ノルウェイは人口500万人強の小さな国だが私の専門の作用素環では主要国の一つである.私の認識しているノルウェイ作用素環の元は Størmer がアメリカに留学して,von Neumann の元ポスドクであった長老 Kadison の下で博士を取ったことである.Størmer はおじいさんもオスロ大学の数学の教授だったということでアカデミックな名家の出身らしい.その次の世代の Bratteli も首相の息子だった.日本に長期滞在中にお父さんが亡くなって急遽帰国したことがあったとのことである.1990年代初頭にこの Bratteli が東大のセミナーで講演した時,表現論の人がその掲示を見て私に,これは Bratteli diagram の人かと聞いた.そうだと答えると,驚いて,もっと大昔の歴史上の人だと思っていた,とのことだった.Bratteli diagram は Bratteli が導入したものだが,初等的かつ重要なものなので,大昔からあるものだと思ったのであろう.実際はこの時 Bratteli は40代前半であった.その後もオスロ大学は作用素環の人が何人もいて,私の元学生の山下真君もお茶の水女子大学の准教授(任期なし)からオスロ大学に移っている.

スカンジナビア諸国と言ったときどこまで入るかは微妙なのだが,中核となるのはノルウェイ,スウェーデン,デンマークである.この3国は文化や言葉も近く,同じ国だったこともあるからである.スカンジナビア諸国を広く言う時はアイスランドとフィンランドも入るが上の3国とは文化的に距離があるようだ.たとえばフィンランド語は隣のスウェーデン語と全然似ていない.これに対しノルウェイ語とデンマーク語は相当近いということで,ノルウェイ人の数学者とデンマーク人の数学者に聞いたところでは,お互いに自分の言葉をしゃべって数学の議論ができるということであった.またデンマーク人の学生とスウェーデンで会った時,デンマーク語だけを話してスウェーデン人に通じるようにすることはできる,ただし通じないように話すこともできる,と言っていた.

上述の Størmer の名前には ø という文字が入っている.私はスターマーと発音しているし,ノルウェイ人やデンマーク人の発音もそのように聞こえるが,ドイツ語の ö に相当する文字のようだ.ノルウェイ語とデンマーク語の文字には ø があって,ö がなく,スウェーデン語には ö があって ø がない.数学の空集合記号 ∅ は Weil がこのノルウェイ語の ø から作った記号だということが彼の自伝に書いてある.

この1997年のコンファレンスの時,ノルウェイの三大数学者は Abel, Lie, Sylow なのだと言われた.Sylow は群論の Sylow の定理の人だが,失礼ながら前の二人と格が違うのでは,と思ってしまった.ノールフィヨーレイドの会場には Lie を記念して Sophus Lie コンファレンス・センターという名前がついていた.現代ではフィールズ賞の Selberg がノルウェイ人である.人口が500万人強であることを思えばフィールズ賞一人でも立派な数字である.Abel は500クローネ紙幣に長年肖像が描かれていたということだが,私が行ったときにはこの紙幣はもう使われていなかった.ノルウェイではこの Abel を記念して,Abel 賞を2001年に創設した.隣のスウェーデンがやっているノーベル賞の数学版を目指しているのだと思う.上述の Størmer は創設当初の何年間か,Abel 賞選考委員長を務めていた.

さて1997年の会場の Sophus Lie コンファレンス・センターはもともと寮のついた学校ということだった.我々はまずオスロに飛行機で着いて一泊した後,みんなでバスで丸一日かけて現地に向かったのだった.参加者は120人ということで,数学のコンファレンスにしては大規模だった.森が近くにあり,北欧の自然を味わうことができた.午後に遠足がついている日があり,氷河にみんなで登った.深いクレバスがいくつもあり,ここに落ちたらどうなってしまうんだろうと思った.

オスロは物価が高いということでも有名だが,私は行き帰りにホテルに一泊ずつしただけだったのであまり実感できなかった.8月だったので夏至はだいぶ過ぎていたがそれでも夜は10時過ぎまで明るかった.(1時間はサマータイムによる差である.なお白夜になるのはもっとずっと北の方である.) 冬にオスロに行った人の話では午後3時ごろには日が暮れるということなのでなかなか大変である.

「叫び」で有名な Munch はノルウェイの画家である.私が帰る前の日に泊まったホテルのすぐ近くに Munch 美術館があった.ぜひ見たいと思ったが残念ながらもう閉まっていた.私の泊まったホテルは各室に Munch の絵の複製が飾ってあり,私の部屋の絵は「マドンナ」だった.上にも書いたようにオスロ大学は作用素環の主要拠点の一つなのだが,この1997年以来ノルウェイには行っていない.Munch 美術館には行ってみたいものだとずっと思っている.

どうでもよい記事に戻る. 河東のホームページに戻る.