河東という名前

私の苗字河東(かわひがし)はもともと妻のものであり,結婚の際にこの苗字に変えた.こう言うと何か妻が名家の跡取り娘なのかと思う人がよくいる.妻の一族に俳句で有名な河東碧梧桐がいることもこの考えを後押しするようだ.しかし全然そういうことはなく,妻には同じ苗字の兄がいる.さらについでに私は長男である.単に妻が結婚の時に苗字を変えたくないと言ったので私が変えたのである.夫婦別姓が当時できていたらそうしたであろう.選択的夫婦別姓はすぐにも実現するように思ったのだが,いっこうにそうならないのは残念なことである.

これは簡単な言葉の組み合わせだがかなり珍しい苗字である.こう書いて,カワトウ,カトウと読む人が結構いて,またカワヒガシと読むが川東と書く人もいる.(こちらの字でもカワトウの方が多いようだ.) 河東と書いてカワヒガシと読むのはかなりの確率でうちの親戚である.これはもともと松山の儒学者の家系である.私の本籍地は苗字を変えた際に自動的に妻の本籍地になったのだがこれは松山市であり,その住所には河東家本籍地という碑が立っている.江戸時代の河東坤という人が一族の有名人であり,この人が河東碧梧桐の父である.妻は碧梧桐の兄のひ孫である.河東坤は河東静渓と号し,正岡子規に漢文を教えたことがたとえば「坂の上の雲」にも出てくる.

この河東坤が河東家の男の名前の付け方というものを決めた.この人の名前に土偏がついているがその後,木火土金水の部首を順に名前の漢字に使うというものである.このように一族の男子の名前に規則を設けるのは中国式で,韓国でもよく行われていた.遠い親戚が二人いる場合,年齢が低い方が実は共通の先祖に近いということがありうる.このような場合に共通の先祖から数えて何代目なのかがすぐにわかるように名前を規則的につけるのである.漢字二字の名前の場合は一文字を規則でしばり,一字の名前の場合は部首を指定する.私の知り合いの中国人数学者もこのような規則で自分の名前がついていると言っていた.彼の一族では昔みんなで集まって詩を選び,その詩の文字を順に代々名前の一字とすることにしたということである.木火土金水を使うのは韓国でよくあったと聞く.私の妻は本来火偏の代なのだが女性は対象外ということで火偏の名前はついていない.しかし女性を除外するのはけしからんということで,私の娘は二人とも次の代の土偏の字がついている.河東という苗字でこれらの字が名前についていればほぼ確実にうちの親戚である.なお一族最高の有名人河東碧梧桐の本名は秉五郎(へいごろう)である.「へきごとう」という号は「へいごろう」に合わせてつけたのだ.この人は河東坤の息子なのに名前がこの規則に従っていない.それは本来この名前は幼名のつもりで,元服した時に金偏の字をつけるはずだったのである.しかし明治時代になって今ついている名前が本名ということになってしまい,新しい名前をつけ損ねたのである.

河東は珍しい名前なので容易に一意的に特定されるというのは便利な点である.Google 検索でただ「河東」と入れると私のウェブページがトップに来る.アメリカ数学会の論文データベース MathSciNet だと,著者 Kawahigashi とすると私のほかには F. Kawahigashi という人が論文を1本書いているだけである.この人は漢字では川東のようだ.全学術分野をカバーする Web of Science だと私と同じ Y. Kawahigashi という人が生命科学にもう一人いるが,この人も漢字では川東のようである.Wef of Science で単に Kawahigashi だと10人以上いてチェックしきれていないが,漢字が河東なのは私のほか,私の妻と娘であるように見える.友人のドイツ人数学者にもともとの苗字は Asano なのだと言ったら,驚いて,でも Kawahigashi の方が響きがよいと言われたことがある.なおドイツ人はよくこの名前の読み方がわからないようで,カヴァヒガシのように言われたことが何度かある.

ついでに下の名前についても書いておこう.私の名前 Yasuyuki Kawahigashi というのは長く,英語で名前を書く欄だと文字数がギリギリのことがよくある.そこで昔留学した時,向こうの人が私の名前を勝手に Yasu Kawahigashi と書いており,まあそれでいいかということでそれ以来英語ではずっとこれを使っている.当時は中曽根首相がレーガン大統領とロン・ヤス関係とか言っており,それと同じなのは気が進まないと思ったが,もう長い間使って慣れたので今では外国人から Yasu でなく Yasuyuki と呼ばれるとかなり変な感じがする.

どうでもよい記事に戻る. 河東のホームページに戻る.