マラケシュのスーク

コンファレンスでモロッコに行ったことが2回ある.最初は2005年,セタットという街だった.飛行機はフランクフルト乗り換えでかなりの待ち時間があり,深夜にカサブランカに着くという便だった.そこから迎えに来てくれたオーガナイザーの車で1時間ちょっと走ってセタットに着いた.これが初めてのアフリカ訪問だった.会場は現地の大学である.モロッコはかつてフランス保護領であったので,一番よく通じるヨーロッパ言語はフランス語である.街中の看板などは大半がアラビア語,一部がフランス語であった.コンファレンスの最初の講演者はイタリア人数学者だったが,講演の最初に現地の人に,英語とフランス語のどちらでやるのがよいか,と聞いたところみんながフランス語と答えたので,この講演はフランス語になった.あとからこの人は私に,フランス語でやってごめんね,と言ってきたので,数学フランス語はわかります,とフランス語で答えた.ほかの人の講演はみな英語だった.日本人参加者は私一人だった.

食べ物は味が濃い感じがしたが私の口にはよく合った.他の参加者と街中に出てレストランに行くと,有名なタジン鍋があったので食べてみた.チキン料理でこれも濃い味だったがとてもよかった.途中の日の午後にカサブランカ観光がセットされていてみんなでバスで行った.期待していたのだが,あまり観光として面白いものはなかった.私は宗教施設を見るのが好きなのだが,イスラム教のモスクはしばしば異教徒は中に入れない.(これはヒンズー教寺院も同じである.) ハッサン2世モスクという有名な巨大モスクは入れると聞いて連れて行ってもらったのだが,イスラム教は偶像崇拝禁止で絵や像がなく,だだっ広くて幾何学模様はきれいなのだが,それほど魅力的ではないように感じた.

コンファレンスにはさらに遠足がついていて最終日の午後に観光地として有名なマラケシュに,みんなでバスで行くことになっていた.帰りの飛行機は深夜発だったので,私はその翌日の午前1時ごろホテルを出発することになっていた.当然それまでに帰って来られると思っていたところ,バスの帰りは遅いので午前1時には間に合わないと言われた.しかしせっかくのマラケシュなので,みんなと一緒にバスで行って,帰りは一人で電車でセタットまで帰ってくるということにした.バスは3時間くらいだったが,マラケシュに着いた時点で私はみんなと別れて単独行動になった.マラケシュのスークは,巨大な市場の中を細い道が迷路のように入り組んでいて,様々なものを売っているのだが,一生に一度の経験と言っていいくらい素晴らしかった.その中のカフェで飲んだモロッコミントティーは忘れられない.この数年後に行ったテヘランのバザールより圧倒的に上だった.このあと2011年に,スークの前にあるジャマ・エル・フナ広場で爆弾テロが発生し,私の行った店がそのテロの現場としてテレビに映っていて驚いた.

一人で帰るため,マラケシュ駅から電車に乗った.もう夕方になっておりかなり暗くなっていた.私の乗る列車の時刻表をメモして行ったのだが,どんどん予定から遅れていき,今どこを走っているのかよくわからなくなってしまった.時間には十分余裕を持っていたので空港に行くのに遅れる心配はなかったが,車内放送はアラビア語だし,駅名の看板を窓から見ようとしたが,外は真っ暗な上に表示も小さく全然見えないのだ.もう私がセタットに到着予定だった時間は過ぎているのだが,まだ手前に思えたところで,駅に止まった.隣の人に "Is this Settat?" と聞いたところ,少し詰まったあと,"Pas encore." という答えが返ってきた.フランス語で,まだだ,という意味である.この人は英語が話せないから少し詰まったのだ.簡単なフランス語が分かってよかったと,もっとも思った瞬間である.(イエスかノーかなのだから,実際は首を振ったりすれば何語でもわかるのだが.) その後さらに乗っていたところ,セタットに着いてこの人が降りろと教えてくれた.

駅から歩いてホテルまで戻り,ホテルの人が予約してくれたタクシーでカサブランカ空港に向かった.タクシーというのだが,普通の乗用車で,木の札に手書きでタクシーと書いてあっただけである.本当にこれで大丈夫なのかと思ったが,このタクシーは完全に真っ暗な夜道を走っていく.この運転手に何か悪意があったらおしまいだと思ったが,1時間と少しで無事にカサブランカ空港に着くことができ,再びフランクフルト経由で帰って来た.

その後2015年にもコンファレンスがあり,今度は最初からマラケシュが開催地だった.この直前の1月にフランスでシャルリー・エブド襲撃事件があり,テロを心配した参加者の多くがキャンセルしたため,参加者は激減してしまった.またスークに行ったのだが,初めての感動は薄れたのか,前ほどの素晴らしさは感じなかった.2回目はただモロッコミントティーを飲んで帰って来たのである.

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