モンゴルの羊

私のところには結構留学生がいるが,その中の一人のモンゴル人留学生は今はモンゴルに帰ってモンゴル国立大学で教えている.彼の結婚式のため2010年にウランバートルに行った.いろいろ珍しい経験だったのでそのことについて書いてみたい.

まず北京経由でウランバートル空港に着いた.元学生が迎えに来ることになっていたが彼の姿は見えなかった.私はどこに行けばいいのかの情報を全く持っていない.ここでどうすればよいのだろうと思ったがそのうちちゃんと彼は現れた.結婚式の前に田舎の方に連れて行ってくれるということで彼の留学時代の友人とともに我々はゲルに向かった.モンゴル遊牧民が使う伝統的移動式住居のことである.観光客が泊まれるようになっている設備があり,そこにみんなで泊った.夜は真っ暗で星がよく見えた.そして翌日,遊牧民体験ツアーのようなものをやっていたので,モンゴルの馬に乗った.私は人生で馬に乗ったのはこのとき1回だけである.振り落とされるのではと少し怖かったが無事乗ることができた.

結婚式は日本と同じような式場で行われた.私はスピーチをしないといけないのだろうかと思ったのだが,何も頼まれていないのでよくわからなかった.結婚式はどんどん進んでいき,誰もスピーチはしなかった.モンゴルでは結婚式にスピーチはしないのかもしれないと思い始めたところ,モンゴル国立大学の先生のスピーチが始まった.私の隣には日本への留学経験がある彼の友人が座っていて,内容を逐一日本語に訳してくれた.その後私にも順番が回ってきたのだが,いったい何語でスピーチすればいいのかと聞いたところ,日本語でいいのだ,彼の友人がその場でモンゴル語に訳してくれる,ということだった.一区切りつくごとにまとめて翻訳するという方式で,日本語のスピーチを終えることができた.

一般にモンゴル人は日本語がうまい人が多い.日本でよく知られているのは力士の場合であろう.彼が日本に留学していたころ,東京にいるモンゴル人の集まりというのがあって,相撲関係者がかなりの割合を占めていて,有名力士も彼の知り合いなのだということであった.モンゴル語がどのくらい日本語に近いの私にはわからないが,アクセントも含め,ほぼ完璧な日本語を話すモンゴル人がたくさんいるというのが私の印象であった.見た目も日本人そっくりなので,見ても話しても日本人と区別がつかないことがある.彼が東大にいたとき,研究集会で私の日本人学生と二人で話していたことがあった.ほかの大学の先生が,モンゴル人留学生がいると聞いて,二人が話しているところを聞けばどちらがモンゴル人かわかるはずだと考えた.しばらく会話を聞いていたのだが,その先生は日本人学生の方をモンゴル人だと判定したのだった.

モンゴル語ではもともと縦書きのモンゴル文字(こちらで見られる)を使っていたのだが,旧ソ連の影響でロシアと同じキリル文字を使い始めた.今では全部キリル文字で,モンゴル文字は読めない方が普通だそうである.私はキリル文字はよく知らず,一部の文字とローマ字との対応が分かるくらいだが,それでもよく眺めてみると,固有名詞や,telephone などの英語からの外来語などが識別できることがあった.チンギス・ハーンが今も国家的英雄であり,いたるところに彼の名前がついていることがわかる.わかりやすいところではお札の肖像は全部彼であるし,またウランバートル空港もチンギス・ハーン空港である.ウランバートル中央部の大きな広場にも,チンギス・ハーンの巨大な座像があって街を見下ろしているようだった.

モンゴルには苗字がない.彼が日本にいたときは苗字に当たる部分があったがそれは父親の名前なのだということであった.インドなどにもそういうやり方はある.姓,名を書かなくてはいけない書類だと父親の名前を姓の方に書くのが自然なような気がするが,そうすると普段父親の名前で○○さんと呼ばれてしまう.それはだいぶおかしく感じられるらしく,自分の名前の方を姓の欄に書くこともあったがこれはこれで問題が起きやすい.これはモンゴル人全体で問題になることのようだ.これでは不便だというので政府が苗字を導入しようとして,書類上は何かあるらしいが全然使われておらず,いろいろと混乱があると聞いた.

ウランバートル中心部は完全に近代化された高層ビルが並んでいる.しかし中心部からちょっと歩くと古い寺院があるので観光に行った.私は知らなかったが,モンゴルの主要宗教はチベット仏教なのであった.日本のお寺との違いはあまりよくわからなかったが,マニ車(写真)のようなものがあった.車を回転させるとそのお経を読んだと同じ功徳があるというものである.お寺には赤い服の僧侶がたくさんいてカラフルだった.

ゲル滞在から帰って来た時,立ち寄ったところに羊がいるのを見た.彼がこれからこの羊をさばいてみんなで食べます,と言ったのだが私は耳を疑った.この時は彼のアメリカ留学時代の友人もいたので我々は英語で話していた.私は何か英語を聞き違えているのでは,と思ったが,本当にみんなで羊の足を押さえた後,ナイフで手早く心臓を切り裂いたのだった.心臓を切り出すと足がぴくんとなって息が止まった.その後もてきぱきと彼のお兄さんが皮をはぎ,肉をばらしていく.たちまち全身がばらばらになり,バケツのような入れ物に肉がたまっていき,それを大きな鍋に入れて熱した大きな石と一緒にぐつぐつと煮込んだのだった.しばらく待つとできあがり,みんなで羊の煮込みスープのようなものを食べた.大変おいしかった.彼の話によると,生きた羊を処分してさばくには技術がいるが,各家庭に一人はそれができる人がいるのが普通だということであった.

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