中国の豪華コンファレンス

お金のある業界と結びつきのある学会だと高級ホテルでコンファレンスを開いたりしているようだが,数学ではそういうことはなく,大学や研究所などを使って質素に開くのが普通である.しかし2001年中国の臨汾で行われた作用素環のコンファレンスはとてつもなくお金がかかった豪華な集会だった.

まず中国人主催者とアメリカで会ったときに,中国のコンファレンスに来てくれと言われた.場所はどこかと聞くと,北京に行けばよいのだ,ついでに北京の科学アカデミーにも来てくれということだった.O.K.してしばらくしたら公式の招待状が来た.会場は臨汾だと書いてあったが,どこか北京のそばなんだろうと思い,よく考えずにとにかく北京に着いた.北京の科学アカデミーで講演した後,みんなで明日臨汾に移動するのだと言われた.バスか電車に1時間かそこら乗ればよいのだろうと考えていたところ,北京西駅から夜行列車に12時間乗るのだと言われてびっくりした.行くしかないので北京西駅に行って電車に乗ったが,隣の電車に邯鄲行きと書かれていて,邯鄲の夢の邯鄲がこんなところにあるとは,と思った.

臨汾に翌朝着いてホテルに向かった.町一番の高級ホテルだということだった.ホテルにはコンファレンス歓迎の巨大な赤い垂れ幕がかかっていた.算子代数(作用素環の中国語)国際何とかと書いてあったと思う.このホテルで食事をしたのだが,とてつもない量の高級中華料理が次から次へと出た.10人くらいの丸テーブルで大皿料理が来るのだが,昼食,夕食ともそれぞれデザートまで含めて二十数種類の料理が出て,絶対に食べつくさせないぞという強い意志を感じた.どんなにがんばっても1/3くらい食べるのがやっとだった.到着日の夜には歓迎会があり,大きなホールで学長,市長,地元共産党幹部などが次々にスピーチした.我々参加者の一人はノルウェー学士院会員だということで壇上でスピーチをしていた.地元マスコミもたくさん取材に来ていて私もインタビューされた.これにはちゃんと日本語通訳の人までついて来ていた.次の日ホテルで地元の新聞を見るとこの歓迎会の記事が大きな写真入りで一面トップに出ていた.

コンファレンス初日はホテルからバスで会場の大学に向かったところ,ものすごい数の学生が旗を振っていて何事かと思ったが,我々を歓迎しているのだった.この学生たちは千人以上動員されたと聞いた.コンファレンス自体は普通に進んだが,途中で大学の学長がホテルの私の部屋まで日本語通訳付きでやって来て,歓迎のあいさつがあった.さらに記念品として高級そうな飾りをお土産にくれたうえに,講演のお礼ですと言って3万円くらいの現金をくれた.当時の中国の物価を考えるとかなりの大金である.コンファレンスのプロシーディングに論文を書いてくださいと学長に頼まれたが,もちろん断れなかった.

コンファレンスのスケジュールは二日丸々空いており,それぞれの日に遠足がセットされていて,かなり遠くまで何時間もかけてみんなでバスで行った.一つは平遥古城という世界遺産で,数百年前の街並みがそのまま保存されているというものだった,私が世界中で見た世界遺産の中でも最高レベルのものだったと思う.もう一つは中国のお札に印刷されているという巨大な滝で,ずっと後で見たナイアガラに匹敵する迫力だった.この二つへ行く我々のバスはサイレンを鳴らしたパトカーが先導し,すべての信号や料金所を無視して突っ走った.遅れて中国に来て遠足の日の朝に臨汾に着いた参加者が二人いて,彼らはそれぞれタクシーで遠足の街まで連れて来られて合流したのだが,そのタクシーもやはりサイレンを鳴らしたパトカーがノンストップで先導したということだった.さらに歓迎演芸会というものも夜にあり,上海雑技団のようなものすごい曲芸の演技がたくさんあった.プログラムも我々専用の豪華なものが印刷されていた.遠足や歓迎会には,カメラマンや秘書,通訳がたくさんついて来ていて,日本人参加者は私一人だったのだが,いつも私には日本語通訳の人がついていた.

一度ホテルのまわりを観光したのだが,地元では外国人は大変珍しいようで,我々,特に欧米人は遠くからでも注目の的となり,みんなが我々を指さして何かささやき合っていた.私はもちろん欧米人ではないが,中国人には見えないらしく,子供たちが私を見て何か興奮して親に話していた.

帰りはこの通訳たちも全部北京までついて来た.北京の王府井のそばに屋台がたくさんあり,私はそこで何か食べたいと思ったのだが,通訳の人がおなかをこわすから絶対にやめろ,自分もあそこでおなかをこわしたんだと言って食べさせてくれなかった.(次の年にまた北京に行って今度は一人だったのでこの屋台で食べることができた.おなかはこわさなかった.) 飛行機の時間の関係で北京に一泊したのだが,主催者の中国人が北京ダックの有名店に連れて行ってくれた.日本で北京ダックを食べると量はほんのわずかだが,この店では巨大な皿に山盛りの北京ダックが出てきてまたもとうてい食べきれなかった.その後は北京のカラオケ店に連れていかれ,怪しい雰囲気の女性が何人もいたが,それは無視して我々だけで歌っていた.日本の歌もあるぞと言われて「いとしのエリー」を歌わされた.

世界各地のコンファレンスには150回以上参加しているが,ここまでとてつもないものはこの1回だけである.中国でもほかのコンファレンスはとてもこんな調子ではなかった.オーガナイザーが中国共産党上層部にコネがあるのだとも聞いたが,なぜここまで豪華にできたのかは謎のままである.

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