学振特別研究員

これまで私の学生は数多く学振特別研究員に採用されており,DC1 に12人,DC2 に9人が通っているので,それについて書いてみることにする.もちろん私が何か言えるのは数学についてだけであり,またこれはあくまで私の経験に基づく個人的意見である.なお私は学振特別研究員の審査員もしたことがあってそのことは公表されているが,当然のことながらその経験による秘密の内容はここには書いていない.

正式名称は日本学術振興会特別研究員である.DC1 は修士2年生の夏前に申請して,通ると博士課程3年間お金がもらえるものであり,DC2 は博士1年生または2年生の夏前に申請して,通ると博士課程の2年間お金がもらえる.また博士3年生の夏前あるいは博士号を取った後の夏前に申請して,通ると3年間お金がもらえるのが PD である.もらえる金額は,DC1, DC2 が月額200,000円,PD が月額362,000円である.DC1, DC2 のお金がもらえる期間の途中で博士号を取得した場合は,残りの期間は PD としてお金をもらい続けることができるが金額は増えない.このほかに科研費がついてきて,数学の場合年額100万円くらいのはずだ.競争率は,最新のデータではどのカテゴリーも5倍前後である.

この条件がどのくらいいいものなのかについては意見があるだろうが,日本の数学で現実的に取れる種類のものの中では一番良い方であることは間違いない.ただ DC1/2 は東京で一人で暮らしていて授業料も払うというケースだと十分とは言えない金額であろう.数学ではそれなりの量の授業を TA として担当して,それで暮らしていけるお金がもらえるというのが欧米の通例だと思うので,それと比べると教育負担がないことと,科研費がついてくることは優れていると言えるが,この金額だけで貯金や親の援助なしで暮らしていけると言いきれないことは弱点である.PD については数学でこれより条件の良いポスドクは理研くらいしかないと思う.ついて来る科研費は,数学では世界的に有名な教授の研究費でもこのくらいの金額のことはよくあるので,若手がもらえる金額としてはかなり多い.また,研究員は日本学術振興会が雇用しているのではない,お金は給料ではない,というのが建前なので,他のポスドク等と比べて社会保障の面で弱点がある.そのため,学振特別研究員(PD)に採用されても,それを「就職した」と受け止める人は日本ではあまりいない.

審査は当然分野ごとに行われる.審査区分表はこちらにあるが,数学は代数学,幾何学,基礎解析学,数理解析学,数学基礎,「応用数学および統計数学」の6つに分かれている.書面審査は1件につき6人の審査委員が点数をつけるが,その際のグループ分けはこの6つに分けてそれぞれ行われるのではなく,代数学と幾何学の2つで1グループ,他の4つでもう一つのグループと2つに分かれて行われる.だからたとえば整数論で申請書を書いても,整数論が専門の審査委員は6人中おそらく1人であり,審査委員の専門はトポロジーかもしれないということである.したがって整数論の専門家にしかわからないような申請書を書いてもあまり理解されないことになる.多くの若手は審査委員の理解力を過大評価していると思う.また任期の終わった審査委員はこちらで公開されている.見ればわかるが,一部の長老,大物が審査しているのではない.

数学の DC1 では申請時に完成している業績がある人はめったになく,日本で一番優秀な院生でもかなり難しいと思うが,業績はゼロでも別に問題ない.上に書いた通り,私のところの院生はこれまでに12人通っているが,申請時に論文が出来上がっていた人は一人もいない.数学的に結果があって,論文はこれから書くという状態だった人は2人いるが,他の10人は完全に何もできていなかった.業績を無理に出すため,易しい特殊な問題を狙うとか,先生や先輩にもらった問題を手伝って共著論文を書くと言った作戦を取ろうとする人もいるようだが,別にそういうことをする必要はないと思う.研究計画も具体的に書くことは難しいと思うが,実質的な内容のあるものをちゃんと勉強しており,これから研究していく見込みがあるということが伝わればよいはずだ.(そもそも数学のような理論研究では,このようにやるという明確な研究計画があるのであれば,もう半分以上できているようなものである.) DC1 では業績はみんなほぼゼロなので教員の書く評価書は重要である.特に優秀だということをできるだけ具体的,客観的に書けるとよい.

DC2 は通常博士1年または2年の5月ごろに申請書を書くことになる.少なくとも修士論文はできているはずなので,博士1年生の場合はそこで出版可能な内容があることはほぼ必須だと思う.博士1年生だとこの時期に修士論文がアクセプトされていることはなかなかないと思うがアクセプトされていればはっきり有利である.アクセプトされていなくても,すでにしかるべきジャーナルに投稿している,国内外の研究集会などで講演している,学外,特に海外の専門家から論文内容が高く評価されている,arXiv に載せたプレプリントが人から引用されているなどと言ったことがあれば通る見込みはあると思う.指導教員の評価書はこのような,業績についての客観的評価の様子が書けると強い.DC2 の場合は研究成果が問われるので,単に熱心だとか優秀だとか書いてもあまり有効ではないと思う.論文の技術的内容を詳しく書くのも効き目は薄い.博士2年生の場合はアクセプトされている論文の数や掲載先のジャーナルが問われるだろう.博士1年生と2年生の研究実績の差は一般的にかなり大きいので,1年生が2年生と競争するのはなかなか厳しいところだ.

PD の応募では業績の占める重みがさらに高くなる.Invent. Math. などのトップジャーナルに載せていれば絶対的に有利だが,そもそもそれだけの業績があれば助教になれるであろう.Math. Ann.や J. Funct. Anal.などのメジャージャーナルには1本載せているだけで相当強く,複数載せていればとても有利だと思う.J. Math. Soc. Japan などなら2, 3本欲しいところだが,論文数の相場は分野によってかなり違う(たとえば整数論では少なく,偏微分方程式では多い)のでそれにもよるところである.ただこれも全然容易なことではない.気合を入れて大論文を書くと,書くこと自体にもレフェリーにも時間がかかるので,かなり優秀な人でも D3 の5月にアクセプト論文ゼロということも簡単に起こりうるだろう.PD の評価書はさらに客観的な評価が求められていると思う.DC2 のところに書いたことに加えたとえば,投稿論文に対して内容を評価するレポートが来ており,指示通りに改訂したのでアクセプトされる見込みが高い,といったことである.PD の申請では,博士号を取った後は出身研究機関(大学等)と違うところに移らなくてはならないという制限がある.理由を書いて認められればこの規則の例外もありうるということだが,数学ではよほどの理由でなければ例外は認められないはずである.なお前は特に金額の高い SPD というカテゴリーがさらに上にあり,私の元学生も3人通っていたのだがこれはなくなってしまった.

学振特別研究員(RPD)も受け入れたことがあるのだが,一回だけである.ほかに海外特別研究員や外国人特別研究員もあるが,いろいろ種類が少し違うのでここに書くのは控えておく.学振特別研究員(PD)は表面的な条件を比べれば海外の数学のポストより悪いことはないと思うのだが,私の理解している限り海外,特にアメリカの数学業界でこのような任期付きのポストが社会的に受け入れられているのは,ちゃんとやっていれば次のポストがあることがこれまでの前例から確実に期待できること,途中でアカデミックポストをあきらめても経済的な条件のよいポストが企業にたくさんあることの二つの理由が大きい.日本の状況ではどちらの条件も満たされているとは言えないのが残念なところである.

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