小林俊行(数学科)

新理論を創始する
無限次元の対称性の解析

小林俊行 教授
数理科学研究科 幾何・解析・代数
小林俊行 教授
1985年東京大学理学部数学科卒業、87年同大学院理学系研究科修士課程修了後、直ちに同大学理学部助手(現在の助教)、28歳で助教授(現在の准教授)。 その後、プリンストン高等研究所、スウェーデン王立科学アカデミー、ハーバード大学、京都大学数理解析研究所教授などを経て、2007年より現職。 IPMU上級科学研究員兼任。理学博士。
世界の誰も思い付かなかったような創造的な仕事を、基礎研究で成し遂げてみたい。もしも自分に能力があるなら、学問で根源的なことに貢献したい」—。
小林俊行教授がそう思い始めたのは15歳の頃だという。

新しい数学理論の創始につながった体験

小林教授は、大学2年生のとき、微分方程式の講義のチャレンジ課題をひと夏かけて考え、ノートを担当の教授に提出した。「これは(数学者からみても)論文と呼べるものです」と言われ、大いに元気づけられた。知識は少なくても、1つの問題に1カ月以上じっくりと取り組み、論証を体系的に積み上げて小理論を作ってみた体験は、小林教授が「世界の誰も思いつかなかったような」理論を創る原体験となったことであろう。
小林教授は学生時代から、専門にとらわれず、数学全体を広く学ぶべきだと考えていた。勉強部屋は和室。文机に広げたノートに向かい、畳の上に正座して何時間も数学に没頭し、「足の甲が擦り切れて痛むため、スポンジを当てながら計算していた」という。
現在、「対称性」をキーワードとして代数・幾何・解析にまたがる大きなスケールの研究を進めている。
小林教授は、「リーマン幾何学(注1)の枠組みを超えた不連続群の理論」「無限次元における対称性の破れを代数的に記述する理論」「複素多様体における可視的作用の理論」など、数学の新しい理論を創始。2007年にアジアからは初のサックラー・レクチャラーに選ばれ、08年には、自身が創始した理論をハーバード大学に招聘されて講義。同年、ドイツの国際学術賞であるフンボルト賞(数学部門)を受賞した。
「リーマン幾何学の枠組みを超えた不連続群の理論」は、小林教授が20代半ばで創始した理論である。
19世紀に生まれたリーマン幾何学では、様々な曲がり方の空間を扱うため、空間を各点の近傍(注2)で考え、局所的な状態を微分法で記述する。しかし、これはあくまで距離のある世界の話。
20世紀に入り、アインシュタインによって提唱された相対性理論では、〝距離〟が実数としては定義できない、空間と時間の両方を扱う幾何学が求められるようになった。計量が正とは限らない、最も簡単な空間がローレンツ多様体である。

リーマン幾何学を超えて新たな領域を開く

a.正の定曲率を持つリーマン多様体
b.正の定曲率を持つローレンツ多様体
c.負の定曲率を持つリーマン多様体
そもそものきっかけとなった「カラビ=マルクス現象」(注3)に出会ったのは24歳のとき。その謎を秘めた不思議な現象にわくわくしたという。
「どの点においても正(凸)の曲がり方をしているローレンツ多様体は、決してコンパクトにならない。つまり、閉じていないという現象。リーマン幾何学での場合と正反対なのです」
小林教授は、カラビ=マルクス現象の原論文の証明が書かれた部分は読まず、まず自分で考えてみたという。
「2〜3時間で自分なりの証明が完全にできて、しかもその証明は原論文よりずっと強い結果を得ていることに気付きました。さらに思考を続けると、20数年前に発見されたカラビ=マルクス現象の謎が一気に解明でき、その先に広がる豊かな世界を感じたのです」
そこで小林教授は本腰を入れて、局所的な均質構造から大域的な形を探る理論の構築を始めた。やがてリーマン多様体どころか、ローレンツ多様体の枠組みをも超えた、不連続群の理論が完成。ほどなくヨーロッパの権威ある学術誌に投稿して受理された。これが26歳のときのことである。
当時このような研究を行っていた数学者は世界に誰もおらず、何をやっても新しい定理になった。日本国内よりも、まず海外で、当代一流の学者たちが小林教授の論文に注目した。ロシアのベンコフ教授は興奮してこう言った。
「凄い衝撃だ。この理論で、500人の数学者を雇用する研究所を作らなければならない」
90年代中頃からはロバート・ジンマー(米)やブノア(仏)、ヴィッテ(米)などの著名な数学者が続々と小林教授が切り拓いた新たな領域に参入していった。不連続群の理論が数学の異分野にも広がったのである。
小林教授が20代で創った不連続群の理論は、その後の「無限次元の対称性の破れに関する離散的分岐則の小林理論」と合わせて、フンボルト賞の受賞理由の1つともなった。現在、小林教授は世界各国から招待講演や基調講演の依頼が殺到して、多忙な日々を送っているが、その心境をこう語っている。
「自分が生み出したものが、自分自身を超えて普遍的なものにつながってゆくことをふと感じる時、学者としての喜びを覚えるとともに、対象とする学問の深淵さに厳かな気持ちになります」

注釈

注1 : リーマン幾何学
リーマン幾何学とは、距離の概念を一般化した構造を用いて、曲がったり、歪んだりした空間を研究する微分幾何学の分野である。アインシュタインはリーマン幾何をさらに一般化したローレンツ幾何学を用いて相対性理論を構築した。
注2 : 近傍
近辺の意味。距離空間で、点Pを中心に、任意の半径で円を描いた際、その円内の点全体の集合はPの近傍である。
注3 : カラビ=マルクス現象
正の定曲率を持つ完備なローレンツ多様体は決してコンパクトにはならない。その基本群は必ず有限群である。1962 年に Annals of Math. で発表されたこの現象は、大域リーマン幾何の常識とは大きく異なっていたが、その解明は 1988 年まで待たなければならなかった。
Photo:佐藤 久 Text:山田久美
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