河澄雑記帳


花園天皇による宋学批判? (05 年 4 月 2 日)

岩橋小弥太「花園天皇」人物叢書, 吉川弘文館, 1962 年, 所収の「誡太子書」 より。引用個所は pp.65-66。第5章にいろいろと考証されている「宋学という ものにも一わたり理会と同情とをもっていられたものと思われる」(p.108)け れども、この伝記だけではよくわかりません。

又頃年(けいねん)一群の学徒有り、僅に聖人の一言を聞きて、自ら胸臆の説を 馳せ、仏老の詞を借りて、濫りに中庸の義を取り、湛然虚寂の理を以て儒の本と 為し、曾て仁義忠孝の道を知らず。法度に協はず、礼義を辨へず。無欲清浄は則 ち取るべきに似たりと雖も、唯だ是れ荘老の道なり。豈に孔孟の教へたらんや。


ウケ狙い (05 年 3 月 31 日)

ドロシー・セイヤーズ「人はなぜ働くのか」より。「ドグマこそドラマ」中村妙子訳, 新教出版社, 2005 年, p. 121 所収。

劇場で上演される愚劣な劇の劣悪さの十分の九までは、劇作家が自分自身の満足できるような劇を上演する代わりに、観衆の気に入るものをと考えたという事実によっています。仕事の完璧な成果でなく、大衆(彼等は劇場にくることには劇作家が思っているのとはべつなものを求めているかもしれません)にウケるような要素を持ちこもうとして、それを歪めたために、誰にとっても無残な結果に終わってしまったのです。芸術作品について言えること、それはすべての仕事について言えることです。


時調の和訳を幾つか (05 年 3 月 26 日)

尹学準「時調---朝鮮の詩心」創樹社, 1978 年 より。時調とはハングルによる (音節数による)定型詩。本書にある時調の和訳の中から 幾つか引用します。引用した理由は、一首目は高校生のとき本書を読みかけて感 じるものがあったという極めて個人的もの、二、三、五首目は非存在の歌。四首目は歌の姿のあまりの素晴らしさに今回読んで驚嘆しました。

わが心愚かなれば なすことのなべて足らざり
雲の果 山の彼方の君なれば 出でますはずのなけれども
うたてや 枯葉吹く風に 君かと思いて心乱すは (徐敬徳, p.28)

白雪の積もりし谷に 雲の往きいまだに険し
なつかしき梅の花 汝(なれ)はいまいずくにか咲く
沈む日に ひとり佇み われはまた行くしるべなし (李穡, p.48)

夕されば秋の川面は 冷ややかに静もりて
垂れにし糸に 手ごたえのひとつだになし
獲物なき 帰りの船に あふるるは月の光ぞ (月山大君, p.70)

佳きかな清涼十二峰 知るはわれと白鴎(かもめ)のみ
鴎は人に告ぐるまじ 頼みがたきは桃の花
散りて 川面に浮かびなば 釣り人のそれと知るやも (李退渓, p.109)

高殿のほとり 碧梧(あおぎり)に 鳳凰の訪るるなし
そが梢 三日月の 無心にさまようは
いつの日 鳳凰の訪うを待ちて 共に遊ばんとてか (鄭松江, p.184)


分かりやすくしようとしない。 (05 年 3 月 23 日)

ドナルド・キーン「``かけ橋'' としての人生」 (川島啓助訳) より。「私の大 事な場所」中央公論新社, 2005 年, p. 87。著者が 1966 年にアメリカ各地で能 の公演を企画したときの記述。

ここでつけ加えておきたいのは、能役者や囃子方が、どこに行っても、能に馴染 みのない観客に分かりやすくしようとして、謡や舞の伝統を変えたりしなかった ことだ。もし、役者が観客を軽んじていたならば、観衆の中で勘のよい人は、遅 かれ早かれ、それに気づき、ありがたく思うよりはむしろ侮辱されたと感じたろ う。同様に講演の場合でも、講演者が聴衆を無知だとみなしていれば、興味をも ってやってきた人は必ず不満に思うだろう。


国の尊いと卑しいとは、君子と小人の数の多い少ないによる (05 年 2 月 25 日)

雨森芳洲「たはれ草」より。上垣外憲一「雨森芳洲」(1989 年; 講談社学術文 庫, 2005 年刊)p. 214 からの孫引き。表題は上垣外による現代語訳(p.16)。 私達東アジアの人間は自分達が文明の中心に近いところにあると思って増長した り、周縁にあると思って卑下したりしがちです。どちらも間違いであることが直 截に述べられています。

国のたふときと、いやしきとは、君子小人の多きとすくなきと、風俗のよしあし とにこそよるべき。中国にむまれたりとて、ほこるべきにもあらず。又夷狄にむ まれたりとて、はづべきにしもあらず。


百工之巧・皆本之於数理 (04 年 12 月 1 日)

姜在彦「朝鮮儒教の二千年」(朝日選書,2001 年刊)p. 401 によると、丁若[金庸](チョンヤギョン)という思想家(1762-1836)が「経世遺表」巻二「冬官工曹」の利用監条というところで以下のように述べているそうです。

農器が便利であれば、力を用いることを少なくして穀物の生産が多く、織器が便利であれば、力を用いること少なくして布帛は足る。舟車の制が便利であれば、力を用いること少なくして遠方の品物が滞ることなく、引重や起重の法が便利であれば、力を用いること少なくして台[木射]や[阜是]防が堅固になる。これがいわゆる百工来りて財用が足る、ということである。
しかし百工の巧は、すべてその根本は数理である。必ず句・股・弦や鋭角や鈍角とが相入またが相差する本理を明らかにしてのち、その法をうることができる。


クリスチャンと日本武士とが同居できるなんて考えるのが、甘い考えだ。 (04 年 8 月 14 日)

田中小実昌「ポロポロ」(1977 年; 「ポロポロ」, 河出文庫, 2004 年刊)pp. 29-30 より。

また、はなしはちがうかもしれないが、たとえば明治の高名なキリスト者につい て、クリスチャンであると同時に日本武士だった、といったことを言うひとがあ り、それが、誉め言葉みたいにおもわれているのが、ぼくはふしぎでしょうがな い。
クリスチャンはクリスチャンでいいではないか。クリスチャンはクリスチャンで じゅうぶんなはずだ。クリスチャンと日本武士とが同居できるなんて考えるの が、甘い考えだ。また、たんに論理の問題にしても、クリスチャンであり武士だ ったというようなことは、論理の明解さを濁す。
いや、人間については、論理的に明快にはいかないもので、あのひとは、事実、 クリスチャンにして武士で、ただ事実のままを言ったにすぎない、とおっしゃる かもしれない。
しかし、それが誉め言葉みたいになっているのが、ぼくにはふしぎなのだ。くり かえすが、なぜ、ただのクリスチャンではいけないのか。また、屁理屈を言うよ うだけど、クリスチャンにして武士というのは、そのひとがクリスチャンとして 足りないか、あるいば、武士として足りないことではないか。
あのひとはクリスチャンにして武士だ、なんてことを、当の御本人がきいたな ら、その人がぼくの想像してるような人ならば、「うーん、私はまだ武士が残っ ていたのか」と反省したのではないか。

内村鑑三信仰著作全集 23, 教文館, 1963 年刊を読んでいて、内村の高唱する 平民主義に深い共感を覚えると同時に、たとえば、「正義と人」 (1926 年) 同書 p.256 の「彼らのいわゆる正義は、婦人がその愛人のために注ぐ弱い涙 たるにすぎない。たちまちにして砕け、たちまちにして消ゆる、名のみの正義 である。町人の正義である。武士の正義でない。」に強い不快感と戸惑いを覚 えました。そのあたりのモヤモヤがこの文章を読んで少しだけすっきりしたよ うな気がします。私はクリスチャンではない百姓町人なので、クリスチャンも 武士もあまり関係ないのですけれど。


理を探ると、きつねを狩ると、何の異なるところぞある。 (04 年 8 月 14 日)

内村鑑三「西洋文明の神髄」(1896 年; 内村鑑三信仰著作全集 23, 教文館, 1963 年刊)p. 274 より。この引用部分に対して、我々研究者はきちんと批判で きなければいけないと思うのですが、どのように考えたらよいのか?正直難しい です。なお、この文章の全体は、内村の無邪気な進歩崇拝と、それと表裏一体の 差別根性が随所に見られてあまり愉快なものではありません。

名利を目的とする学問に永久の発達なし。真理は徳義的なり。宇宙は愛の発現な り。これを究めんとする者は愛と誠実とをもってせざるべからず。もし、おもし ろきがゆえに学ぶとならば、理を探ると、きつねを狩ると、何の異なるところぞ ある。哲学究むべし、おもしろければなりと。宗教講ずべし、おもしろければな りと。学問は遊び事として従事さる(民の膏血より成りし国費をもって)。


自大的国家主義は常に歴史教育の欠乏より来たるなり。 (04 年 8 月 14 日)

内村鑑三「史学の研究」(不詳; 内村鑑三信仰著作全集 23, 教文館, 1963 年 刊)p. 281 より。ここでの歴史教育は、自国史の一部だけの学習では決して ないでしょう。国境の外にある文化への無関心/蔑視と、(たとえば「中世」 から目を逸らし古代と近代を直結させるような)自国史の「つまみ食い」に (19世紀に始まり21世紀に入ってもさらに数十年アジアに生きる我々の 大きな苦しみの原因となりかねない)近代ナショナリズムの激しい副作用の 一因があるのではないでしょうか。

歴史は人類各部の関係を教うるもの、歴史によりて、吾人は人類の連結 (consolidarity )てふ哲学的大原理を知るなり。自大的国家主義は常に歴史教 育の欠乏より来たるなり。われをして謙虚の民とならしむるもの、われの真価を 悟り、他を敬うを知りて自己の尊厳を維持せしむるものは、宏量なる歴史的考究 と観察とより来たる。


今人崇拝は確かに痴情の一種なり。 (04 年 8 月 14 日)

内村鑑三「人物崇拝の害」(1899 年; 内村鑑三信仰著作全集 23, 教文館, 1963 年刊)p. 21 より。

今人崇拝は確かに痴情の一種なり。これ、神明を離れて罪悪に沈める惰弱漢が心 中の寂寞を慰めんがために犯す罪業なり。すなわち今人崇拝家なる者は失恋家の 一種なり。彼は愛すべき神を知らざれば、ある人を求めて神とし仕えんと欲する 者なり。彼は知者の近づくべからざる者にして、彼に接近して、禍害の吾人の身 に及ばざるはなし。余輩は人物崇拝を見るに精神的大疾病をもってす。これにし て撲滅せずんば、雄志、宏量の吾人の内に起こるあるなし。


華厳経入法界品における数学 (04 年 7 月 31 日)

海音寺潮五郎による入法界品の意訳「人生遍路 華厳経」(原著 1957 年; 2003 年, 河出書房新社刊)を読んでいたら、数学についての記述がありました。 数学が占術、医薬呪術、天文地理、農業、商工業、と近いものとして描かれてい ます。ここでの数学が実際にどんなものを示唆していたのか?つまり(文殊菩薩 の教えたもうた内容ではなく)経典編集者や翻訳者また華厳教学者の理解の内実 を研究するすべはあるのでしょうか?

輸那国に赴くと、善城の門外の河のほとりに、釈天王童子が一万の子供たちと 嬉々として戯れていた。
童子が言うには、
「私は嘗て文殊菩薩から、吉凶善悪の相を知る法、算数の法、また、あらゆるも のの形相をあらわす印の法を学びましたので、あらゆる技術に達しております。 農業や商工業に関すること、医術に関すること、その他、何でもやれますし、と りわけ数学にかけてはどんなことでもできます。
私は、この巧術(ぎょうじゅつ)智慧法門という分野にかけては、一つとして知 らないことはございません。しかし、ただそれだけで、他のことはさっぱり存じ ませんから、海住城の自在優婆夷を訪ねられるがよいでしょう。」(p.80)

善知衆芸童子は善財の問に答えた。
「私は善知衆芸という菩薩の解脱に達しています。
梵字の四十二の字母について申上げましょう。例えば阿字を唱えるとき入る般若 波羅密の境地は、これを菩薩威徳各別境界と申します。また、羅字を唱えるとき 入る般若波羅密の境地は、これを平等一味最上無辺と申します。このように文字 の一一には深い意味がありますから、それぞれ諸の解脱に入る根本の字を唱えま すと、四十二の般若波羅密門を首として、無量無数の般若波羅密の境地に入っ て、絶対の叡智を獲得することができるのです。
私の知る所はこれだけでございますが、大菩薩は、文字算数、医薬呪術、天文地 理、その他ありとあらゆる学術技芸に通達しておられます。とても私など及びも つかないことでございます。
この摩竭陀国に一つの聚落があります。その聚落の中の婆咀那城に賢勝と称する 優婆夷が居られますから、訪ねてごらんなさい。」(pp.179-180)


証明を求める理由 (04 年 7 月 30 日)

J.L.ボルヘス「ユダについての三つの解釈」(原著 1944 年)鼓直訳, 岩波文庫 「伝奇集」p.214 より。

結論がおそらく「証明」に先行していた、といわれる方があるかもしれない。し かし、自分が信じていない事柄や、議論したいと思わない事柄について証明を求 めようとする者が、果たしているだろうか?


民主主義、戦争、「正義の二重性」 (04 年 5 月 17 日)

H. コック「生活形式の民主主義」(1945 年刊; 小池直人訳, 花伝社, 2004 年 刊)からの引用。生協書籍部で目にして立ち読みをはじめ、引き込まれるように して購入し読んでしまいました。私達の毎日の社会生活について基本に戻って反 省させられます。バルト主義への批判やソクラテスを民主主義者として扱うこと など異論を感じる点もいくつかありますが、もしこの web page をご覧になる方 がおられるのならば、一読をお勧めします。教会史の専門家らしくアリウス主義 と民主主義の比較から話がはじまるのも一興です。

すべて反民主主義者は「ことば」、つまり討論にたいする彼らの態度からも知る ことができる。(p.30)

戦争が正しい者を決めることはけっしてできない、ただ最強者をきめることがで きるだけである。(p.35)

武器が火をふいていないからといって、その戦争は終ってはいない。大砲や機関 銃、強制収容所という種を播いて、協力や共同社会という収穫をえることは決し てできませんよ。その播種から育つのは憎しみという収穫物だけです。(p.81)

したがって、次のような二重性が人間的生活には備わる。つまり一方において正 義あるいは正しいものにたいする絶対的義務、そしてさらにいかなる独断主義か らも絶対的に解放されているという二重性である。ちなみに、独断主義は正義に たいする特権的をもつと主張し、人との新しい出会いにさいしていつも、当初か らソクラテス的な無知によってはじめようとせず、ゆえに、対話によって向かう べき道を見出すことを義務づけられていない。ここでいう二重性が失われれば、 遅かれ早かれ生活は空虚で不毛なものになってしまう。(中略)また、これまで 述べてきた二重性、つまり正義に頭を垂れることと、あらゆる新たな正義決定に たいする原理的な不確実性とは強い男たちの趣味ではない。この二重性は独裁国 家では受け入れられない。独裁国家では何が正義で、何が不正であるかを権力が 統制するし、指導者あるいは政党がそれをまったく正確に知るとされ、討論ある いは実験は何もなされない。
しかしまさにそれゆえに、人間たるに値する生活を営みうるには世界は民主主義 の道へと帰還しなければならない。民主主義システムそれ自体が何らかの保障を 意味するわけではない。だが、それは道を開く。それは権力が正義であることを 否定し、言論を自由にするのであって、いかなる決定も、いかなる意見も、いか なる政治も思想と言論による質問攻めに服することになる。(pp.96-97)


学問において暗記するということ (04 年 4 月 26 日)

井筒俊彦と司馬遼太郎による対談「二十世紀末の闇と光」における井筒の発言。 井筒が来日していたムーサー・ジャールッラーハという学者に弟子入りしたとき の話。司馬遼太郎「十六の話」(中公文庫版 1997 年刊)pp.410-411 より。

しばらくたってから、今度は「おまえ、旅行するときはどうして勉強するんだ」 というから、あの頃、行李に入れてチッキというやつにして汽車で運んだでしょ う。「必要な本を持っていって読むんだ」といったら、「おまえみたいなのは、 本箱を背負って歩く、人間のカタツムリだ。そんなものは学者じゃない。何かを 本格的に勉強したいんなら、その学問の基礎テクストを全部頭に入れて、その上 で自分の意見を縦横無尽に働かせるようでないと学者じゃない」というんですよ ね。われわれみたいに、ただ本を読むだけでやっとみたいなのは、学者でも何で もない。
嘘みたいな話ですけれど、本当にそうなんです。たとえばあるとき、ある本を借 りてきてくれといいますから、大川周明のところから六百ページくらいのアラビ ア語の本を一冊借りて持っていき、一週間ばかりたって行ってみたら、もうほと んど全部暗記してあるんです。どんなものでも一遍読んだらたいていそのまま覚 えてしまうという。その調子で、コーランと、ハディース(マホメット言行録) と、神学、哲学、法学、詩学、韻律学、文法学はもちろん、ほとんど主なテクス トは、全部頭に暗記してある。だいたい千ページ以上の本が、全部頭に入ってしまっている。それで、「おまえに、こんなことをやれとはいわないけれども、イスラームでは古来学者はどんなふうにしていたのか、知っておいてもらいたいから教えてやる。できたら、その何分の一でもいいから、真似してみるがいい」と。もう普通の人だったら、学問に絶望してしまったと思いますね。


自然科学で心が通ずるということ (04 年 4 月 22 日)

曽我量深著、曽我量深選集第8巻「教行信証『信巻』聴記」、彌生書房、1971 年刊 pp.22-23 より引用。仏教関係者の書くものには、往々にして浅薄で安直な 自然科学批判が見られますが、それらとは明確に違っています。

これは心と心が通じたのであります。学問で心が通ずるということは邪道である という方があるに違いない。けれども心の通じない学問は、本当の学問ではない と信ずるものであります。自然科学でも心が通ずるということが第一義でしょ う。人間の心と動物の心と通じ、また植物の心とも通ずる。人間と自然の心が通 ずる。石にも山にも水にもみな心がある。だから我々は水の心とも通ずるし、山 の心とも通ずる。犬猫の心とも通ずることは勿論である。それであって学問が成 立つのである。それでなくては学問は成立たぬ。(中略)
自然科学の方法は、心が通じなくてもできるように公式を作って、一応、心が通 じないもののようにして学問の方法論ができている。これは心が通じることを前 提にして方法論ができているのであって、もし心が通じるという前提がないなら ば、ああいう方法は無効でありましょう。


システムとしての科学 (04 年 4 月 12 日)

この雑記帳は書物の引用を主としています。 しかし、ここでは国立大学の法人化に際して、 「なぜ国立大学が必要なのか?」 「なぜ(金にならない)研究によって給料をもらえるのか?」 ということについての私の考えを載せることにします。

 現代社会を維持するためには、自然科学のみならず人文科学、 社会科学を含めた科学全体、「システムとしての科学」を維持す る必要があります。「システムとしての科学」を維持するために は、一握りの天才だけでは不可能であって、多くの凡才科学者が 必要です。現代社会において、凡才科学者が生息する場所は、お もに大学および公共研究機関であって、私企業に付属する研究機 関はあくまでも副次的なものに留まるのではないでしょうか?

 公共研究機関の独立行政法人化、国立大学の法人化、一部の公 立大学における「ソフトな焚書坑儒」、そして(残念ながらこれ から起こるであろう)これらの動きに付和雷同して行われる多く の私立大学における「改革」によって、日本における「システム としての科学」は、大きく後退することが危惧されます。その結 果、日本社会は、今から数年から数十年のうちに、科学技術水準 の低下とそれによる大多数の人びとの生活水準の低下のみならず、 政治的、経済的、文化的な生活水準も大幅に切り下げざるを得な い状況が予想されます。

 もちろん、将来において、幾つかの分野で日本が世界に伍して ゆくことなど、諦めなければなりません。他方、日本人のノーベ ル賞受賞に代表されるような、散発的な「日本人の活躍」はこれ からもあるでしょう。しかしそれらが社会全体を(文化的に、場 合によっては経済的に)豊かにすることはなくなるでしょう。個 々の「活躍」を社会全体に繋げる回路こそが凡才科学者たちによ る「システムとしての科学」なのであって、その回路が現在ずた ずたに壊されつつあるのです。元来、日本における「システムと しての科学」はぜい弱でした。日本人の大きな発見が、諸外国で 応用されるまでは日本国内で正当に評価されないという残念な現 象は、さまざまな場所でしばしば起こってきました。近年、日本 人のノーベル賞受賞が相次いだことは、大変喜ばしいことですが、 その幾つかが日本における「システムとしての科学」のぜい弱さ の証明になっていたことを忘れてはいけません。

 科学というのものは不思議なことに、つねに新しい発見発明が ないと老化してしまい、たちまち死んでしまいます。正しい数学 の定理が完全な証明とともに集められた巨大な書物が、極めて良 い状態で図書館に保存されていたとします。現状を維持するため にはこれで充分だと思うかも知れません。しかし、もし、数学の 研究が活発に行われていなければ、それを読み解くことはできな いでしょう。読み解くには、つねに、新しい定理の発見への努力 が必要とされるのです。この巨大な書物は、書き込む作業によっ てのみ読み解かれるのです。おそらく、このことはすべての科学 研究において成立つと思われます。

 人類全体の財産である科学を維持発展させるためには、各国各 人の応分の負担が必要です。これこそ真の国際貢献です。江戸時 代後期から明治にかけての日本人は健気にも西洋の科学の総体を 取り入れようとしました。これは、負担を逃れ「科学ただ乗り」 をしようとする現代の醜い我々とは対照的です。現在、日本は世 界への義務を放棄しようとしています。もし「科学ただ乗り」が 許されたとしても、日本は以下のような「文明の果実」の多くを 手放さざるを得ないでしょう。

海外の様々な言語で書かれた小説が、現代の日本語で読める、
立法、行政などが日本人によって日本語で行われる、
中等教育での理科、数学の教育が、日本語で行われる、
伝染病や災害などに一定程度日本国内で対処できる、
日本の伝統文化が、他国の人びとにも共有できる形で保存される、
日本の鉄道、飛行機、船舶の日常の運行が円滑に維持される、
日本のさまざまな古典の妥当なテキストに誰でもアクセスできる、
海外で発見された技術が日本にも直ちに導入できる、
水道、電気、ガスなどが円滑に供給されている、、、。

これら「文明の果実」には言語が深くかかわっていることに気付 きます。現在の諸「改革」は英語文化圏つまり英国およびアメリ カを含む旧英国植民地での諸政策の模倣です。英語文化圏では、 文化が多くの国で一定程度共有されているために、ある国で科学 政策が失敗しても全体で補いあって悪影響が見えにくくなってい ます。

 古い時代「ご先祖」というのは重い言葉でした。DNAを持ち 出すまでもなく、「ご先祖」とは、実は未来に生きる「子孫」の ことだったのではないでしょうか? だとすれば、いまおこなわ れている「システムとしての科学」の破壊はまさに「ご先祖に申 し訳ない」所業といえるでしょう。


日本の将来の姿? (04 年 3 月 9 日)

今日の朝日新聞朝刊国際面の連載「カラシニコフ――銃・国家・ひとびと」(編 集委員・松本仁一)に「失敗した国家」の特徴が書かれています。この記事は日 本の将来と無関係に見えますが、いま日本で行われている諸政策がこれら3つの 特徴(とくに後半2つ)を萌芽させていると見るのは杞憂でしょうか?

医師で日赤九州国際看護大学教授の喜多悦子は国連などの仕事で紛争地経験が多 く、アジアやアフリカの70カ国以上を回った経歴をもつ。「失敗した国家」に ついて彼女は「二つの明確な基準があります」といった。
ひとつは「警官や兵士の給料をきちんと払えていない国」だ。(中略)
もうひとつは「教師の給料をきちんと払っていない国」である。
教育は国の将来の基礎になる。しかしすぐに成果が出る投資ではないから、国が 責任を持たなければならない。明治の貧困の中で、日本政府は津々浦々に学校を 建て、教育に懸命の投資をした。
その給料を払わないのは、国をつくる意志がないということだ。
喜多は「おまけ」を付け加えた。「閣僚の半数以上が子弟を欧米に留学させた り、家族を国外に出している国」である。
「政府幹部が教育をないがしろにし、自分の家族は外国に預ける。それで国家と いえますか」


国立大学理学部は徳川幕府の遺産である。(04 年 2 月 10 日)

市井三郎「思想から見た明治維新」講談社学術文庫, 2004, (原著 1967) pp.99-100 より。

同じ安政二年正月に、(老中阿部)正弘は幕府に洋学所を設置します。それまで 天文方に蕃書和解御用掛という部局のあったのを拡大・独立させ、開校式のとき は閣老以下をも出席させ、オランダ書の講義を聞かせたのでした。正弘が起こし ていた公議世論の慣習は、まもなくこの「洋学所」という名称への反対の声をあ げさせます。正弘は例の如く名を与えて実をとる、というかれらしい態度に出 て、「蕃書調所」と改称はしますが、ここでの教育が武士たちの意識を次第にか えてゆくのです。


断念といとおしみ

丸山真男「日本の思想」(岩波新書, 1961 年刊)p. 60 の有名なくだり。

従って、理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、他方自己の対象の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄明の中に消えてゆく現実に対するある断念と、操作の過程からこぼれ落ちてゆく素材に対するいとおしみがそこに絶えず伴っている。


数学の勉強では、なぜ話すことが大切なのか?

以下の引用は、数学の勉強において話すことが必要不可欠であることを 説明しているように思います。数学を話すことは芝居の台本の上演や 楽譜の演奏に相当する行為だからです。G. スタイナー「真の存在」(1989 年刊; 工藤政司訳, 法政大学出版局, 1995 年刊)p. 7, pp.7-8 および pp.8-9 。(ただし本書の内容は私にはよく分かりませんでした。)

芝居の台本の上演や楽譜の演奏は、言葉のもっとも重要な意味における批評である。それは意味を実体化する鋭敏な反応行為である。わけても「劇評家」は役者とともに、あるいは役者を通して劇の潜在的意味をテストし、実行する役者であり演出家なのだ。芝居の真の解釈は上演することである(声を出して台本を読むだけでさえどんな演劇批評より鋭い批評となる)。

書評家、文芸評論家、学問的解剖者、そして鑑定家といった手合いと異なり、演奏家は解釈の過程に己の存在を注ぎ込む。彼の読み、彼が選んだ意味と価値の演奏は、外面的調査の遠く及ばぬものだ。それは危険をものともせず深く立ちいることであり、根本的な意味で責任ある反応を示すことなのだ。

言語と楽譜に関しては、上演もしくは演奏された解釈は内的でもある。詩や音楽の一節をそらで覚えるときには、個々の読者や聴取者は感じられた意味の実行者となる。暗記をすることは、テクストなり音楽なりに内在的明澄性と生命力を与えることである。この意味でベン・ジョンソンの「摂取」という用語はまさに当を得ている。 そらんじたことは意識のなかで能動的な力となり、個性の成長と複雑化の「ペースメーカー」となる。言語芸術であれ音楽であれ、外からの解釈や批評では、形式的意味や意味論上の事実をこれほど直接的に我々の内部に取り込み、摂取することまでいかない。


アパイデウシス

G. スタイナー 上掲書 pp.242-243.

私が一貫して提案して来た区別立てはアリストテレスの『形而上学』に述べられ ている。「証明ないし証拠が必要なものと必要ないものの区別をしないことはア パイデウシスの問題である。」というのだが、アパイデウシスとは教育の欠如と か、基本的な教育上の障害と訳すことができよう。私としてはこの言葉に精神や 理解の不適切性という含意を込めて訳したい。


ディレッタントの寄与と学問

M. ウェーバー「宗教社会学論集 序言」 (「宗教社会学論選」みすず書房、大塚久雄、生松敬三訳) p.26 より。

今日の流行や作家熱は、専門家を無視するか、あるいは、 「直感的に捉える人びと」の下働きに格下げしたりすることが できるように考えがちである。もちろん、ほとんどすべての 学問が、なんらかの、いや、しばしばきわめて貴重な観点を ディレッタントたちに負っている。けれども、ディレッタンティズム が学問の原理となっては、もはやおしまいであろう。 「直感的に捉えること」を願う人びとは、映画館へでも行くがよい。


算術は得意じゃなかった。

M. ユルスナール 述, 聞き手 M. ガレー「目を見開いて」(岩崎力訳, 白水社, 2002 年刊)p.35 より。
教える内容を減らすことが物事の解決にはならないことの例証。

算術は得意じゃなかった。問題そのものがバカらしく思えたのです。ひとつの籠を、リンゴ四分の三、あんず八分の一、なにかほかのもの十六分の二で満たすとき、果物は全部で何個になるか?何が問題なのか、私にはわかりませんでした。どうしてそんなふうに籠をいっぱいにするんだろうと自問していました。ですから答えはありませんでした。


「状況」の奴隷

同書 p.35 より。

聞き手: 仕事も自由の一形態なのでしょうか?
ユルスナール: 素直な気持ちで引き受けられるときにはそうだと思います。私が 隷属状態のひとつと考えるのは、不幸な人のことです。部長あるいは所長として 年俸が十五万ドルであろうが、サラリーマンとして一万ドルであろうが関係なし に、自分の工場が公害で汚染されているというのに、馘になりはしまいかと思っ て震えているとか、危険な製品あるいは愚かにも全く無益なものを作っていると いうのに、自分の利益やら退職金を失うことばかり恐れているのです。それこそ まさに奴隷状態です。なぜならそういう人間は、なにが起こっても抗議する勇気 をもてないからです。彼はまた政治や社会に関する非個人的な理由で抗議するこ ともできません。「状況」の奴隷なのです。


今日における魔術の危険

同書 pp.216-217 より。

聞き手: 魔術は権力への意志のひとつの形でもあったのではないでしょうか?
ユルスナール: それはつねにひとつの誘惑でした。私はアグリッパのような非常 に偉大な魔術師たち、魔術と最高度の精神的探究のあいだの敷居を乗り越えてし まう魔術師たちのことを話しているのではありません。しかしふつうの魔術師た ちは、人間にあって非常に強い権力欲に応えると同時に、閉ざされた世界に通じ る出口を探したいという欲求にも応えていました。しかし非常に低い水準で、今 日ではさまざまなアイディア商品がそういう魔術の役割を果たしているのではな いかと私はたいへん恐れています。最高速度をますます上げていく車、コンピュ ータその他もろもろを所有することによって、自分の影響力や能力を増大させる という幻想、思い込み! それらのさまざまな物質的道具は、生産社会、搾取社 会から生まれたものであり、その社会がなければ消滅するはずのものですが、そ ういう社会が順調に機能する限り、ある程度世界への影響力をもつのは確かで す。しかしそれらの道具を使う人びとの知的・肉体的能力を徐々に失わせている ことに人びとは気づいていません、車に夢中になりすぎたドライバーは、もはや 歩くことができません。計算機を使う学生は、もう数えることもできないので す。奇妙なことにそれは、魔術の危険と平行関係にあります。魔術の危険は、魂 や精神、場合によっては意志にとってさえ偽りの支えの役を果たすものとして、 あらゆる神学者たち、あらゆる神秘思想家たちによって告発されていたのです。
しばしば有害な化学物質の有効性に素朴な信頼を寄せる現代人は、彼なりのやり 方で錬金術を信じているのです。なぜなら、魔術というものは結局きわめて外面 的なものだからです。自分を愛していない女性に恋する男性は、その女性にも恋 を感じさせるはずの媚薬を買います。問題はいつも、事物や人間にたいする権力 欲なのです。少し高尚な精神の持ち主たちがしばしば魔術を経験していながら、 最後にはほとんどつねにそれを拒んできたのはそのためです。


天来の説

宮川康子「富永仲基と懐徳堂」(ぺりかん社, 1998 年刊)第一章「反徂徠とし ての富永仲基」5「『私徴』と『公徴』」p. 48-49 より。荻生徂徠(= 物子) の「論語徴」への富永仲基による批判の文章「物子論語を解するに、、、往々に して天来の説多し。之を伝ふるに意無しと。故に種々葛藤し、拙文や成る。是れ 物子自ら成す。他人の能く知る所に非ず。」を引用したあと以下の文章が続きま す。

ここにいう「天来の説」というのも、仲基のキーワードの一つで、繰り返し用い られているが、つまりはその説の依拠する所が判然としない、天から降ってきた ような根拠不明の説という意味であるらしい。ここでの文脈でいえば、『論語』 は序を欠いた詩である、すなわちシチュエーションを欠いた孔子の発言である、 と規定する事によって、徂徠はそこに自分勝手な「天来の説」をもちこむ場を開 いたのだと仲基はいいたいのであろう。しかし、このような説は徂徠の勝手な思 いつきであって、他人に理解できるようなものではない。「是れ物子自ら成す。 他人の能く知る所に非ず」という言葉は、仲基のいう「公徴」が何を指していた かを端的に示しているだろう。つまり、徂徠一人の頭のなかで意味を為すような 説、ほかの誰も理解できないような説は、どんなに卓越したものであっても「 私」の説なのである。それが「天下の公徴」といわれるためには。誰もが理解で き、納得するようなものでなければならない。「知る」ということが、仲基にあ ってはすべての人間に開かれていなければならないのである。いいかえれば「 徴」は、客観的な証拠として目に見える「しるし」であると同時に、それが万人 に公開され受け入れられることをもってはじめて「公徴」となるのである。(引 用おわり)

個人的には、中学校で初等幾何を教わった(ワット先生こと)鈴木義博先生の 「一般大衆にわかるように証明しなさい。」という口癖を思い出しました。ただ し、ここでの「わかる」「理解できる」という言葉の指し示すものは「口当たり のよい」「耳に心地よい」という言葉の指し示すものとは別のもの、時と場合に よっては対立するものだと思います。この対立は同じ著者宮川康子による「自由 学問都市 大坂」(講談社選書メチエ, 2002 年刊)第五章「心学と懐徳堂」にお いても簡単にスケッチされているように思います。


社会秩序についての「自然科学的理論」

M. ウェーバー「国民国家と経済政策」(1895 年刊; 田中真晴訳, 未来社, 2000 年刊)p. 23 および p.25 の註より。

ところで、それよりも難かしいのはつぎの問題である。すなわち、人類学者たち は、ダーウィンやヴァイスマンのいう意味での淘汰の見地が妥当する範囲を、経 済研究の分野にもおし拡げようとしているが、このような試みには永続的な価値 がどれほどあるのか、という問題がそれである。このような試みは最近になって 始められたもので、才気に富んではいるが、方法の点でも成果の内容について も、それ相当の疑惑を招いているし、間違いであることがハッキリわかるような 行きすぎの例も多い。しかしながら、たとえばオットー・アモンの著作(「人間 における自然淘汰」「社会秩序とその自然的基礎」)などは、いずれにしても、 現に受けている以上の注意を受けるだけの値打ちがある --- 留保すべき点はす べて留保するとして。経済学の諸問題に光を与えようとして、自然科学の側から 寄せられた論考をみると、その大多数に共通したひとつの欠点があるが、それ は、なにがなんでも社会主義を論破しようという、まちがった功名心である。こ の目的を遂げることに夢中になると、社会秩序についての「自然科学的理論」と 称するしろものは、知らぬうちに、社会秩序の弁護論になってしまう。


意識的な再野蛮化

トーマス・マン「ファウストゥス博士」(円子修平訳, 新潮社, 1971 年刊)p. 375 より。

そう、確かに暴力は足下に鞏固な地盤を造り上げたのであった、この暴力は反抽 象的であった、そして、クリトヴィスの友人たちとの討論によって、この古くて 新しい世界が、あの、あるいは、この領域で生を方法的に変えるさまを表象でき たのはわたしにとってきわめて有意義なことであった。 例えば教育学者は今日すでに初等教育の中に、まず綴りと発音とを習得させるの を廃止して、表記法と事物の具象的なイメージとを結びつけて単語を憶えさせる 方法に向う傾向があることを知っていた。これはある意味で、抽象的普遍的な、 話し言葉に拘束されない表記法の消滅、ある意味で原始人の表記法への逆行を意 味するものであった。いったい単語は、綴りは、言語はなんのためにあるのか、 とわたしは密かに考えた。極端な即物性は事物に、事物だけに頼るほかないであ ろう。わたしはスウィフトの諷刺を思い出さずにいられなかった、そこでは改革 好きの学者たちが、肺を保護し贅言を言わずにすませるために、言葉を全く廃止 して、互いに事物を見せ合うことで意志の疎通をはかろうと決議するのだが、そ の結果、彼らは皆、理解し合うために、出来るだけたくさんの事物を背負って歩 きまわらねばならない羽目に陥るのである。この個所は実に滑稽なのだが、この 改革に反抗し言葉で喋ることに固執するのが、女たち、下層民たち、無識字者た ちであるために、一層おかしいのである。ところで、わたしの対話者たちはスウ ィフトの学者たちほど極端な提案をしたわけではなかった。彼らはむしろ距離を 置いた観察者のような顔をしていた、そして、時代によって課された必然的なと 感じられている単純化、意識的な再野蛮化と呼んでもよいような単純化を実現す るためにいわゆる文化の諸成果を無条件に放棄しようとする、広くかつすでに明 瞭に現われている決意を「疑いもなくきわめて重大なこと」として注目してい た。わたしはわが耳を信じられたろうか?わたしは笑い出し、驚きのあまり文字 どおり身振いせずにいられなかった、


文覚の歌

白州正子「花にもの思う春」(平凡社ライブラリー, 1997 年刊)pp. 171-174 に藤原定家の建久九年 (1198) 二月二十五日の一日の行動が「明月記」を基に書 かれている。そこに出てくる文覚坊の歌。

世のなかのなりはつるこそかなしけれひとのするのはわがするぞかし


測量に関する諸科学

鶴見俊輔「アメリカ哲学」(講談社学術文庫, 1986 年刊)p. 41 において著者鶴見は、 C. S. パースの説を paraphrase して次のように述べています。

測量に関する諸科学 ---度量衡学、測地学、計測天文学---などは、これら科学の中で最も間違いの少ないものであるが、これらの分野においては、自尊心ある人は必ず、その誤差を追記した上で結論を発表する習慣になっている。この習慣が、他の自然科学において採用されていないのは、そこでは、誤りの公算がちょっと見つもり得ないほど大きいからである。 とにかく、分野のいかんを問わず、実験を何度も何度も重ねたことのある科学者は、いずれも、自分の意見について謙虚な心持を抱く癖がついてしまう。ところが、これに反して、自分で実験をしてみずに、人の書いた本によって科学を知る人々は、科学を``真理探究の過程"として考えずに、科学すなわち知識すなわち真理として解してしまう。この人々は「生まれながらにして宣教師」の心情を持つものであって、科学によって支持されていると考えられる意見を``猛烈なる自信"をもって人に押しつけようとする。


Benjamin Peirce (1809-80)

環をその巾等元によって左イデアルの直和に分解することを Peirce 分解と言いますが(数学辞典第3版 56F, 181B)この Peirce について次のような記事がありました。鶴見俊輔「期待と回想、上」(晶文社, 1997 年刊)p. 126 より。(鶴見俊輔「アメリカ哲学」(講談社学術文庫, 1986 年刊)pp. 28-29 にも同様の記事があります。)なお、文中のパースは彼の息子の哲学者の C.S. パースのことです。

パースの父親のベンジャミン・パースはハーヴァードの数学の教授で、アメリカでもっとも評価の高い数学者だった。死んだとき、数学者の友人が「もしアメリカに生まれなかったらヨーロッパのもっとも偉大な数学者の一人になったろう」と弔辞をのべたくらい。アメリカは草創期だから研究の他にいろいろな雑用をしなければならない。これは、当時、ベンジャミン・パースよりも劣る数学者たちが、ヨーロッパで不朽の仕事を残していることへの皮肉なんですね。


北極星

丸山眞男「自己内対話」みすず書房, 1998, pp.115-116 より。

学問的真理の「無力」さは、北極星の「無力」さと似ている。北極星は個別的に道に迷った旅人に手をさしのべて、導いてはくれない。それを北極星に期待するのは、期待過剰というものである。しかし北極星は``いかなる''旅人にも、つねに基本的方角を示す``しるし''となる。(自分に敵意をもった人にも、好意をもつ人にも差別なしに。)旅人は、自らの智恵と勇気をもって、自らの決断によって、したがって自らの責任において、自己の途をえらびとるのである。北極星はそのときはじめて「指針」として彼を助けるだろう。「無力」のゆえに学問を捨て、軽蔑するものは、一日も早く盲目的な行動の世界に、感覚(手さぐり)だけにたよる旅程にとびこむがよい。


旧制高校生と現在の大学生

竹内洋「大衆モダニズムの夢の跡」新曜社, 2001, p113 より。

、、、旧制高校生は同年齢人口の0.5%前後だった。現在の東大生と京大生を合わせると同年齢(十八歳人口)の0.3%前後である。、、、


日本人のセクショナリズム

以下は入矢義高著「自己と超越」(岩波書店, 1986 年刊)pp.25-26 からの引用です。 (以下の記事とは余り関係ありませんが、私河澄は道元の突き詰めた思考を好ましく思っています。)

ところが日本では、ご承知のとおり宗派(セクト)の違いによる派閥意識はものすごいものでして、すでに禅が日本に伝わって来た当初から、そういうセクショナリズムの気風が染みついてきているようです。
一例を挙げますと、中厳円月(1300-1375)です。彼は最初は曹洞派のお師匠さんのもとについて、そして曹洞系のお寺をわたってきたのですが、二十四歳のときに元に留学しまして、約七年間、特に百丈山で重く用いられたりして、その間に臨済禅のほうに急速に傾きます。日本に帰って来てからは、今度はガラリと宗旨替えをして、関東に臨済宗の寺を開き開山になった。そうしたところが、円月はその後、曹洞宗から、まさか曹洞派の僧侶によってではあるまいと思うのですが、三べんも暗殺を計られて、矢を射かけられたり斬りつけられかけたりしました。つまり派閥抗争がこういうところまで発展するほど、日本ではセクショナリズムが異常に強かったのです。そのことが、その後の日本禅の発展に好ましからざる影を落としている面が多いと思います。ところが中国ではこういう小児病的なことはまったくありません。


Syllabus

大学の講義の概要をシラバスと言いますが、シラバスという言葉には 「謬説表」(間違った考え方のリスト)という意味もあるそうです。 人を縛り付けようという動機の上では大学のシラバスも昔のカトリックのシラバスも同じでしょうか? 以下、独和大辞典、小学館、1985年刊より引用:

Syllabus (男性名詞)複数形 Syllabi
1. 要約、摘要、概要、要旨、総括
2. (カトリック用語)謬説(びゅうせつ)表(教皇によって誤謬と宣告された異端説を収録し、 1864 年と 1907 年に出された)


Homology

私河澄の専門はコホモロジー(ホモロジーの双対)です。 ホモロジーという言葉には三位一体の一体という意味があるそうです。 何と(東)ローマ帝国のユスティニアス大帝が西暦551年に「ホモロギア」という本を書いていたそうです。これは、森安達也「キリスト教史 III」山川出版社、1978刊行 pp. 55-60 で知りました。




最初のページに戻る