ローマのアパートと泥棒

ローマには32回行ったことがある.たいていはホテルに泊まっており,最近はいつも同じところに泊まるが,1か月程度の滞在の際にアパートを借りたことが3回ある.いずれも普通の住宅地にある一室を持ち主が個人的に貸しているものだった.1回目はトラステベレ地区の高くて眺めの良い部屋だった.トラステベレとはローマを南北に走るテベレ川の向こう側と言う意味であり,古代ローマの中心部から見ての話なので,西側になる.ローマ第一大学の教授の一人に,トラステベレのアパートにいると言ったところ,お前の名前はカワヒガシなのだから川の西側に住むのは間違っていると言われたのであった.そんなに日本語を知っているとは思わなかったので驚いた.

2回目のアパートはローマの中心の鉄道駅テルミニ駅の東側,ローマ第一大学のそばであった.なお私の仕事の目的地はたいていローマ第二大学であり,こちらは中心部から外れていて地下鉄とバスを乗り継いで1時間近くかかるのだが,ローマ第二大学のそばにはホテルもレストランも何もないので,私はいつもローマ中心部に滞在している.このアパートの家主と出発日の確認について簡単な話をしたのだが,この人はかなりのお年寄りで全然英語が通じなかった.向こうからフランス語に切り替えてきたので私の怪しいフランス語で何とか意思の疎通ができた.イタリア語とフランス語は発音はだいぶ違うが,単語や文法はそっくりなので,フランス語のできるイタリア人はたくさんいる.これに対し英語は若い世代はよく通じるのだがお年寄りは全然話せない人がけっこういる.1993年に初めてイタリアに行ったとき,思ったより全く英語が通じないので驚いたのだが,最近は昔よりずっとよく通じるようになっている.話が脱線するが,友人のイタリア人数学者は,自分は学校で習ったのはフランス語であり,英語は習わなかったのだ,だから英語はあまり得意ではないのだ,とよく言っていた.彼とジュネーブで会って一緒にレストランに行ったとき,彼はイタリア語で注文しようとしたのだが全然通じなかった.イタリア語はスイスの公用語の一つだというのだが,それはスイス南部にイタリア語を話すエリアがあるからであって,ジュネーブでイタリア語が通じるとは全く思えない.そこで彼に,学校でフランス語を習ったと言っていたではないか,今こそそれを使う時ではないか,と言ったところ彼は,習ったとは言ったが話せるとは言ってない,と答えたのだった.

3回目のアパートはやはりローマ中心部,サンロレンツォと呼ばれるエリアだった.便利な場所だったのだが,入居してすぐにガスがつかないという重大な問題が判明した.私はアパートで料理はしていなかったが,シャワーのお湯が出ないのだ.貸主に文句を言ったところ,至急修理を手配するが数日かかるということで料金はかなりまけてもらうことになった.9月だったのだがお湯が出ないのは困るので,携帯電熱器のようなものを買ってきた.バケツに水をためてこれで温めたお湯を使うのだ.修理の職人がやっと来たのだが,いろいろと文句をつけてすぐには直らないという.困ってローマ大学の人に相談したところ,金が欲しいのでわざと修理を引き延ばしているのではないかという驚くべき見解だった.そのため現金をこっそり渡すとよいというので修理する場所に10万リラ札(約1万円,ユーロになる前である)を入れた封筒を置いておいた.しかし見込みは外れて職人はこの封筒を受け取らず,やっぱり直らないままだった.その後彼は別の器具を持ってきてやっと修理できたのだったが,ここまで2週間近く携帯電熱器で過ごしたのだった.

さてローマは治安が悪いことでも知られる.殺人などの凶悪犯罪は多くないのだが,盗難事件がたくさん起きている.私のホストの教授は車を盗まれたことが4回あるそうで,1回は私の滞在中に起きた.ある日大学から帰りに送ってもらうため,駐車場に行って車を開けるとカーステレオがなくなっていた.泥棒が車に押し入ってカーステレオだけ盗んでいったのだ.驚いたがその日はそのまま帰ったところ,次の日には家の前で車ごと盗まれたので大学に来られないという連絡があったのだった.私は日本で車を盗まれたことはないし,盗まれたという話を直接知人から聞いたこともない.この盗難車(ベンツである)の分は保険でカバーされるから大丈夫なのだと言われたが,こんなにしょっちゅう盗まれているのなら保険料もかなり高いのだろうと思った.

私の知り合いのローマ大学教授たちは全員自宅に泥棒に入られたことがあるのだとも聞いた.ひどい話である.私はローマで犯罪の被害にあったことはないのだが,一度は赤ん坊を抱えた女性が私の胸ポケットのクレジットカードを目指して正面から突進してきたことがある.あわてて横に飛んで逃げて被害を免れた.ポケットの財布をこっそり狙おうというのならまだわかるが,こんなに正面から直接狙ってくるとは驚きだった.知り合いの教授の一人はいつも財布を背広の内側につるした袋に入れていて,住んでいる人でもこんなに厳重に警戒しているんだと思ってこちらもびっくりしたものである.

ただ私もローマでタクシーに遠回りされたことはある.当時はまだ空港から中央部への直結列車は走っていなかったため,途中まで電車に乗ってタクシーに乗った.タクシー代は1,000円程度と言われていたのにかなりあちこち回って5,000円ほど請求されたのだ.おかしい,と言って1/3しか払わなかったのだが,これでも多過ぎたようだ.さらにこの運転手は釣銭をごまかそうともしたのだ.当時はまだ通貨がリラで,1リラは0.1円くらいだったのでお札にはゼロがたくさん並ぶ.着いたばかりでお札になれていないだろうと思われて,ゼロが一つ少ない札でごまかそうとしたのだ.これはお札が違う,と抗議したら,ちぇっ,というような態度で正しいお札を投げるようにして返したのだった.上に書いたカード狙い未遂もこのタクシー遠回りも私がローマに初めて行った時のことで,その後はトラブルは何も起きていない.向こうもこいつは初めてだな,とわかってなめてくるのかもしれない.私はローマは一番好きな街の一つだがなかなか厄介な街でもある.

どうでもよい記事に戻る. 河東のホームページに戻る.