推薦書,評価書の書き方,読み方

私は自分の(元)学生については当然,奨学金や賞,就職,転職,昇進のための推薦書や評価書を書く.日本では推薦書や評価書は1通のことが多く,せいぜい2通なので自分の学生以外に書くことはあまりないが,欧米では多くの推薦書,評価書が必要なので,本人,大学,学会などから頼まれて書くことが多い.海外のものはこれまで100人以上について書いたことがあるはずだ.

一番厳しく多くの評価書が求められるのはアメリカのテニュア審査だと思う.ある大学の人に聞いたところでは,その大学への就職の際に推薦書を書いた人(指導教員など3人)を除いて他の10人くらいに頼む,本人が,評価書を書いてほしい人,書いてほしくない人を何人かずつ挙げて,後者の人はその通り外して,あとは前者の中からとそれ以外の人から半々くらいで選ぶ,大学や国も偏らないようにする,ということであった.別の大学ではテニュア審査の評価書1セットを見たことがあるが,実際に世界中から10通くらい集めていた.この評価書の依頼の際には業績の詳しいまとめや論文が送られてきて,本1冊分くらいのファイルが来たことも何度かある.関係の深い人はたいていほめてくれるものだが,このように世界中の広範囲の人に頼むと,それだけの人たちから内容のあるほめ言葉をもらうことは容易ではない.ちゃんと幅広い人たちから評価されていなくてはいけないということであろう.実際私のところに来る依頼でも,本人や研究内容を知ってはいるが,分野的にとても近いというわけではないような場合もよくある.

私の個人的感想だが,ジャーナル論文のレフェリーについては著者と関係の深い人でも率直に厳しい判断を書くことが多いのに対し,人事や奨学金,賞などの推薦書,評価書は強くほめる人が多いと感じる.推薦書は本人から頼まれて推薦するために書くもので,評価書は学会や大学から頼まれて書くものだから,後者の場合は別にほめなくてもよいし,実際に悪い評価を書く人も時にはいるのだが,多くの人はできるだけほめるように書いていると思う.本当に強くほめたい場合でもそのことをきちんとアピールすることは簡単ではない.Outstanding とか truly excellent とか highly exceptional とか言っても別に客観的な基準があるわけではないので言ったもの勝ちみたいなところがあり,特にアメリカでは絶賛推薦書が横行しているので信用してもらえるように説得力のある書き方をする必要がある.

業績についてはまず,どういうことをしたのかを大づかみに伝える必要がある.何かを分類した,知られている結果を一般化した,問題や予想とされていたものを解いた,ある種の類似が成り立つ(あるいは成り立たない)ことを示した,面白い例を作った,別々に研究されていたものが実は同じであることを示した,と言ったレベルのことである.こういうことが通じていないのに,やたらと技術的な,日本で二三人しかわからないようなことを書いても仕方ないのだが,本人が書く業績概要の場合も含め,そういうことを書く人がとても多いと思う.

次に論文リストを見ただけではわからない長所をできるだけ客観的に述べられると強力である.たとえば,レフェリーレポートが特に良かったとか,投稿中の論文についてレフェリー状況に進展があるとか,引用回数が多いとか,偉い人に引用されているとか,偉い人がほめていたとか,ずっと前からある問題を解いたとか,他の人が気づいていなかった間違いを指摘したとか,重要な研究集会に招待されたとか,などである.「特に優れている」といった自分の主観的評価でもどのくらいと思っているのかできるだけ基準を述べた方がよいと思う.これまで数学者になった自分の元学生と比べてどのくらいとか,成績が何番くらいとか,このくらいの大学に就職した人と比べてどうとか,このくらいのジャーナルに載るくらいの論文とか,このくらいの賞が取れるレベルとか,これこれの研究集会に呼ばれるくらいとか,といったことである.

アメリカの大学にいる友人から次のような話を聞いたことがある.若手の採用人事の推薦書で,「この分野の歴史を根本からひっくり返すような革命的な業績」と書いてあった.これはすばらしい,ぜひこういう人を採用したいものだ,と思いつつ他の人の書類を読み進めていくと,同じ分野の別の人について別の人が書いた推薦書にも同様のことが書いてあった.これはどういうことか,と思ってさらに読み進めていくと,また同じ分野の別の人についての別の人の推薦書に同様のことが書いてあった.そんなにしょっちゅう根本からひっくり返るような分野の人たちの言うことなど信用できない,と判断するに至ったということである.こういうことをしていたら信用されなくなるだけである.

フィールズ賞受賞者の書いた推薦書も見たことがある.自分の名前の下の,普通は最後に○○大学教授などと肩書を書くところに,Fields medal **** ("****"のところは受賞年)と書いてあって,おお,すごいなと思ったものだ.別のフィールズ賞受賞者については,推薦書を書くときは "I support his/her application." と1行書いてサインするだけなのだ,と言う噂を聞いたことがあった.俺がいいと言ってるんだ,それ以上文句があるか,ということだ.これもすごいなと思ったのだが,その後だいぶたって実際にこの人が書いた推薦書を見る機会があった.見てみると1行だけなどということはなく,ちゃんと普通に書いてあったのだった.その逆にフィールズ賞受賞者についての評価書も書いたことがある.「この人はフィールズ賞を取りました」の1行だけで十分なのでは,と思ったが,受け取る側の人からちゃんと書けと言われたので詳しく書いたのだった.

アメリカの大学では教育能力も重要である.授業評価アンケートの結果を出させたり,教育能力だけにしぼった推薦書を出させたりするが,普通の推薦書でも教育能力について触れることが強く望まれる.あるアメリカの大物が自分の学生について推薦書を書いたのだが,私の友人がそれを読む側の立場だった.その推薦書には教育能力について,"He will be a very good teacher."と書いてあったのだが,私の友人によると,こんなことを書いたら一発で落ちる,実際にこの例も即座に落ちた,ということであった.その理由はというと,"He is a very good teacher." と書いていないから,ということである.これが厳しい読み方というものかと思い知らされたのであった.

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