インドとカレーと唐辛子

インドに行ったことは4回ある.インドははまってしまう人がいるので,そういう人に比べれば私のインド経験は素人レベルだが,しかたがない.行先は,チェンナイ2回,ブバネシュワル2回,コルカタ1回である.合計が5回なのは,1度の出張で2か所に行ったことがあるからだ.

最初に行ったのは1997年のチェンナイの研究所でのコンファレンスである.チェンナイは長い間マドラスと呼ばれていたが,それはイギリスがつけた名前だということで今はチェンナイと呼ばれている,南インドの海岸の大都市である.インドは初めてだったのでいろいろ驚くことがあった.まず夜中にシンガポール経由の飛行機で着いて空港から外に出た瞬間,ものすごい数の人でびっくりした.すぐそこらにごろごろ牛が寝そべっていたのにも驚いた.研究所内の宿舎に泊ったのだが,蚊がたくさん出たのも大変だった.私は日本から持って行った蚊取り線香がよく効いてまあ大丈夫だったが,現地の蚊取り薬はまったく効かず,顔中刺されて真っ赤になった参加者が何人も出ていた.(ただし最近は日本の蚊取り線香でもだめだという話を聞く.) コンファレンスのオーガナイザーは昔私が UCLA に留学していた頃に1年間客員教授として来ていた人でよく知っていた.その頃は普通にアメリカで暮らしていると思っていたが,インドに来てみてこんなところで数学の研究をしているなんてすごいものだと思った.このころ海外では日本語の読めるコンピュータ端末は珍しかったのだが,研究所にはちゃんとそれがあって,松田聖子離婚(1回目)のニュースを読むことができたのである.コンファレンス会場には天井に巨大な扇風機があるのだが,しょっちゅう停電があって全部暗くなってこれが止まるのだった.チェンナイのエリアは菜食主義が基本ということで,隅の方にちょっとだけチキンカレーもあったが,食事は野菜カレーが基本だった.毎日野菜カレーの種類が変わっているということだったが私にはどこが違うのか全然わからなかった.外に出てみると,バスがものすごい満員で人が外から車につかまったような状態で走っているのに驚いた.さらに街の電車はドアを開けたまま走っていたのだった.

2010年にはハイデラバードの ICM (国際数学者会議)のサテライトコンファレンスが再びチェンナイで開かれた.ICM は全数学をカバーする巨大学会なので,その前後により専門的なテーマに分かれたコンファレンスをインドないし近所の国で開くのだ.研究所は一部改築されており,Ramanujan Hall と名付けられた新しい部屋でコンファレンスが行われた.多くのエピソードで知られる Ramanujan はインド・マドラス管区の出身である.このコンファレンスの招待講演者として名前が出ていたのに結局は来なかった人がけっこういた.インドに行くことに不安を感じた人もいたようだ.オーガナイザー側としてはこのことに不満があったようで,最初の挨拶の時にわざわざ,最初は来ると言ったのに来なかった人達の名前を読み上げていたのだった.研究所は街の中心部から外れているが,この時はリキシャ(三輪タクシーのこと)に乗って街中のカーパーレーシュワラ寺院に行ってみた.カラフルなヒンズー教寺院であるが,ヒンズー教によくあるルールとして,中心部はヒンズー教徒しか入れないのが残念であった.コンファレンスには遠足がついていてみんなでマハーバリプラムの建造物群に行った.これは石彫寺院,石造寺院,岩壁彫刻などが複合した世界遺産であり,大変素晴らしいものだった.

2019年にはブバネシュワルの国立科学教育研究研究所で連続講演してほしいと頼まれた.ブバネシュワルはインド東部のオリッサ州の州都である.ここではチェンナイとは言葉も違っており,なんだか文字が丸っこい.東京から直行便はないのでデリー経由のインド航空で行くことにしたところ,研究所の人にはデリーからの便はしょっちゅう欠航になるとおどされたが,無事着くことができた.私の宿舎は VIP ルームという名前がついていたが別に特にすごいことはなかった.宿舎で食事が出て,ベジタリアンとノンベジタリアンが選べるようになっていたが,せっかくなのでベジタリアンにしてみた.昼は一度研究所の食堂にみんなで食べに行ったところ,みんなはカレーを手で食べていたのだが,食堂の人が私にはスプーンをくれたので,私はそれで食べた.その後,私のホストの人は研究所の敷地内で何か蜂のような虫に刺されてしばらく高熱を出したことがあるという話をしていて少し心配になった.さらに別の何とか熱という危ない病気も虫で感染するが,そんなに心配することはない,この研究所では...と言うので,誰もかかっていないと言うのかと思ったら二人しかかかっていない,と続けたのだった.週末には世界遺産のコナーラクのスーリヤ寺院に連れて行ってもらったが,大変立派なものだった.この前にあるレストランで食べた海老カレーもとてもよかった.現地でも途中の道でもそこら中,牛だらけだと思った.

2020年には日本インド合同の量子計算のコンファレンスがコルカタであった.この街も昔はカルカッタと呼ばれていたが現地の呼び方に変更になった.しかし,マドラスがチェンナイになったのに比べれば変化は小さい.学会で取ってくれた宿は,インドらしからぬ高級ホテルで,ビュッフェスタイルの食事も豪華だった.会場はインド統計研究所で,ここには知り合いの作用素環の人たちがいるので,そちらのセミナーでも講演した.この直後にブバネシュワルの国立科学教育研究研究所で作用素環のコンファレンスがあるのでそちらにも来てほしいと言われたので飛行機に乗って再びブバネシュワルに向かった.飛行機の乗客でインド人らしくない外見の人は私一人だった.今度はキャンパス内の前と違う宿舎である.食事は別の場所で出たが,巨大なバケツのようなものにカレーが入っていた.ここのカレーはちゃんと毎回違うものに見えた.

コルカタではセミナーの後ベンガル料理レストランに連れて行ってもらって,かなり高級に見える店で食事もおいしかった.ここでもインド人たちは指で食べていたが,私にはスプーンをくれたのでスプーンで食べた.ここで緑の細長い野菜があり,私はサヤインゲンだと思って一気に食べたのだが,それは唐辛子の一種だった.ものすごい辛さで10分以上涙が止まらなかった.人生でこれまで食べたものの中で2番目の辛さであった.(1番目は韓国でのことである.)

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