「現代数学入門」,数理科学IV(文系),金曜1限,2007年冬

この講義を受講した学生のみなさんの感想です。

小林俊行

2008年3月2日


【法学に通ずる論理性や客観性を感じた】

この講義で私がもっとも衝撃だったことは、 文系の道(しかも法学)の道を選んだ私でも 数学をまだ学べると気づけたことです。

東大においては先生のように、 文科生対象に大学の数学を教授して くださる方がいらっしゃいました。

そして何より、私はこの授業で 「数学の面白さを思い出した」 という気持ちが沸きました。 私の好きな法学に通ずる論理性や 客観性(定義が多いことは嫌いですが)。

受験中に失っていたものを取り返し、 可能性を開いてくれたのが先生の授業でした。


【自分で本を読んでみました】

本レポートに当たっては主に数論の入門書に目を通しました。 素数と言うものの特殊性、 そしてその性質がいかに現実に役立っているのかが はっきりとイメージできるようになりました。 文系ではありますが、私はこういった数学への興味を 強く持っています。 先生のような方の授業を受けることができて 本当に嬉しいですし、良い経験ができたと思います。


【公開鍵暗号の原理を初めて理解できた】

情報の授業で公開鍵方式について話していても 理解できませんでしたが、 この講義で実際にその仕組みを学んで、 どうして公開鍵と秘密鍵が必要なのか、 どうして鍵の一部を知られても暗号が解読されないのかが よくわかりました。


【数学原理を正しく理解し用いることこそが教養】

RSA暗号のしくみにとても興味をもちました。 a乗して暗号化したのち、さらにb乗することで 復号化できるという美しい仕組みに感動し、 また、そのシステムを可能にしている数学の奥深さを知りました。

フェルマーの定理をはじめとして、合同式に興味を持ち、 レポートでは中国剰余定理についての考察を行いました。

これからの情報化社会で、必然的に日常化されてゆく RSA暗号の数学的原理を正しく理解し、用いる、 これこそが教養としての数学だ、と実感しました。


【哲学的なこと】

高校数学ではnを法とする世界は単に余りの計算としてしか扱われず、 nに制限がない世界のおまけのように考えていました。 それが実はどちらの世界にも同じような ロジックがあるということが新たな発見でした。

裏を返すと我々が住むこの世界も、 様々な世界の1つにすぎず、 人間の考え方も、相対化されるべきではないか? と少し哲学的なことも考えました。


【一貫した証明の流れに感動】

この授業を振り返って思うのは、 高校までの学校数学がいかにつまらないか、 ということである。

Fermat小定理1つを証明するためには 様々な前提となる定理が必要となるが、 それらの定理が結びついて一貫した証明の流れが 出来上がった時には感動を覚えた。

その感動は、ただの計算テクニックで問題をひたすら 解き続ける高校数学では味わえないだろう。


【数に振り回されてはいけない】

小林教授の話で特に興味をひかれたのは 「数の大きさやその数の持つ意味を考えず ただ抽象的な存在としての数に振り回されるのは 危険である」 ということであった。

また今回扱ったRSA暗号に関しても因数分解さえてきれば 解けるのではと直感的に思ったものの、コンピュータでの 時間などの話を聞き、次第に数の意味を理解していく うちにとんでもない誤解をしていたことに気付いた。


【高校の文系数学について】

授業中になんどか聞かれたので、現行指導要領と一つ前の 指導要領について、文系範囲(IA,IIB)だったのにそうではなくなった あるいはIIICだったのに文系範囲になったという事項について まとめました。 行列や複素数平面がその最たるものになりますので授業に関連していると思います。

またその前の指導要領などから考えるに、行列は1990年くらいまでは 文系がやりうる範囲だったみたいです。この頃は、2次曲線 (楕円や双曲線)、統計処理、分数/無理/逆/合成関数、 四則演算の範囲での導関数も文系の範囲だったみたいです。 調べて思ったのは、昔は文系でもやることが たくさんあったのだなということと、 私はそれを高校で習っていたのだな、と思いました。


【実際の生活と数学が不可分】

RSA暗号の講義では、数学が実際にどのように使われているのか が紹介され実に興味深かった。文系である私は普段は 数学から離れてしまっているが、講義を通して 実際の生活と数学が不可分であることを確認することができた。

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© Toshiyuki Kobayashi