Seminar for Mathematical Past of Asia

Seminar information archive ~03/28Next seminarFuture seminars 03/29~

Date, time & place Thursday 17:00 - 18:30 123Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)

Seminar information archive

2007/07/19

17:00-18:30   Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
李 佳女華 (東京大学大学院総合文化研究科)
幕末・明治初期の日本における西洋数学の導入と漢訳西洋数学書籍
[ Reference URL ]
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kawazumi/asia.html

2007/04/26

17:00-18:30   Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
公田 藏 (立教大学名誉教授)
明治前期の日本において学ばれたユークリッド幾何学
[ Reference URL ]
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kawazumi/asia.html

2006/12/21

17:00-18:30   Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
楠葉隆徳 (大阪経済大学人間科学部)
インド数学における証明
[ Reference URL ]
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kawazumi/asia.html

2006/11/18

16:30-18:00   Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
安 大玉 (東京大学大学院人文社会系研究科、東アジア思想文化)
17 世紀西洋実用幾何学の東伝と徐光啓の数学観
─『測量法義』『測量異同』『句股義』を中心として─
[ Abstract ]
『測量法義』『測量異同』『句股義』は、いずれも 1607 年イエズス会士宣教師マテオ・リッチ(漢名:利瑪竇)と徐光啓によって刊行された『幾何原本』に続いて刊行された測量法および句股術に関する実用数学書である。『幾何原本』が演繹論理にもとづく“度数の宗”といわれる理論書であるのに対し、これら三部作は、いずれも実用レベルの応用数学の範疇に属するものである。

(1)『測量法義』は、西洋の測量用の観測機器である象限義(geometric quadrant)による測高・測深・測遠の方法を中心に西洋の測量術を紹介した書物である。
(2)『測量異同』は、呉敬の『九章算法比類大全』から六つの類型の問題を抽出し、その解法を通じて西法と中法の異同を論じる小論である。
(3)『句股義』は、中法と西法の比較を経て、中法の欠点として「ただ解法を知るのみで、その義は知らない(第能言其法、不能言其義也)」ことを取り上げ、選別された 15 問について、その“義”を論じたものである。

今回の報告は、かかる三部作の内容分析を通じて、徐光啓の三部作構想の狙いがどこにあるかを明らかにし、また三部作のもつ意義を考えてみたい。
[ Reference URL ]
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kawazumi/asia.

2006/07/06

17:00-18:30   Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
斎藤 憲 (大阪府立大学 人間社会学部)
ユークリッドをめぐる最新の研究動向
[ Reference URL ]
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kawazumi/asia.html

2006/05/25

17:00-18:30   Room #123 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
佐藤 健一 (和算研究所)
和算の遊び
[ Abstract ]
日本には飛鳥時代から数学が伝わり、律令制の中で多少の学習はされていたのであろうが、ほとんど発達する事もなく、ソロバンが伝わるまでは一部の計算を職業とする人を除けば無いに等しかったと思われる。数学が芽を吹き出したのは江戸時代になってからで、それ以前のソロバンのマニュアルとも考えられる『算用記』の類から脱却したのが『塵劫記』からと言われている。『塵劫記』は寛永4 年(1627)が初版であるが、ここでは、生活数学の本で、ソロバンを実生活での数の処理にどのように使うのかを丁寧に書いている。遊びは入っていない。それが、『塵劫記』の海賊版の刊行に対抗して次々と生活数学ではないものを取り入れていった。遊びもいくつも入ったのである。「入れ子算」「まま子立て」「ねずみ算」「からす算」「百五減算」「油分け算」「薬師算」「目付け字」などである。その後数学は遺題の継承が流行し、数学は発達する。関孝和や建部賢弘の時代では一般の人では全く理解出来ないレベルに到達した。関や建部は江戸で活動していたが、ほとんど同じ時代に関西では別の数学を考えて、書物にして発表していた。著者たちは関や建部と較べてもそれほど劣るという人ではなく、興味が違っていただけである。
江戸でも興味が無かったというのではなく、同じようなことを書いているのだが、それ自体の本としては刊行しなかった、ということは考え方に違いがあったと、言えるであろう。
江戸時代の数学の特徴として、遊びの気持ちの現れも一つの要素であったと考え、今回は取り上げることにした。
同時代のヨーロッパでも同じような遊びが残っているが、これも和算の誕生はキリシタンと決め付ける材料になっている。

2006/04/27

17:00-18:30   Room #152 (Graduate School of Math. Sci. Bldg.)
川原 秀城 (東京大学大学院人文社会系研究科、東アジア思想文化、(兼)韓国朝鮮言語思想)
九数略──17・18世紀の朝鮮数学
[ Abstract ]
『九数略』は,当時の代表的な政治家兼経学者、崔錫鼎(1645- 1715)が著した数学書。内容自体は伝統の実用算術のレベルを超えていないけれども、形而上学的な易学思想をもって、朝鮮の計算術と実用数学の構造を理論的に位置づけている。また数学の基本的構造自体に西洋の3数法の深い影響があることも、この数学書の特徴の1つである。
今回は特に『九数略』の思想史的な意味に注目してその内容を紹介したい。