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アメリカ大学院(数学)への留学について

[情報が古くなっていた部分について,加筆・修正しました. 本質的には変わっていません.(6/9/2012)]

私は履歴書のページにもあるとおり,昔アメリカ(UCLA)の大学院に留学して博士(Ph.D.)を取っていて,うちの卒業生もこれまでに何人もアメリカの大学院に正規の大学院生として留学しているので,けっこう留学の方法について聞かれることがあります. そこで一般的な情報についてここにまとめておくことにしました. 別にアメリカがすべてにわたって一番すぐれているとか,全員こぞってアメリカに行くべきだとかまでは思いませんが,一般的に言って日本の数学の学生でアメリカに留学する人はあまりに少な過ぎで,もっとたくさん行った方が本人のためにも日本の数学のためにもいいと思います. (中国人や韓国人の留学生はものすごくたくさんいるのに日本人はごくわずかです.) いい学生がいれば奨学金はいろいろあるが誰かいないか,というようなことをアメリカ側から聞かれることもわりとあるので,これを書いてみました.誰でも行けるとはいいませんが,そんなに難しいものではないし,下に書くように経済的条件もいいので,興味のある人はどんどん行くとよいと思います. 日本で学振DC1/2を取るより,アメリカのトップ20くらいの大学で,授業料免除+奨学金+TAを取って自己負担ゼロで暮らす方が,(英語力さえあれば)ずっと簡単だと思います. これも下に書きますが,数学の場合,教えないで向こうでお金をもらってポスドクをするのは簡単ではないので,どうせ行くなら最初から学生として行った方がいろいろ便利でしょう. 一言でまとめれば,アメリカは世界中から優秀な人が集まっていて研究も優れているし,お金もたくさんあるし,みなさんどんどん行った方がいいですよ,ということです.

これは,あくまで私の経験と知識に基づく,「アメリカ」の「数学科」の大学院への留学に関する情報であり,しかも大学での研究者を目指すケースを想定しています. そのほかの国や専門分野についてはいろいろ事情が違うでしょうし,アメリカの数学科についても,私が留学したのは30年以上前ですから,無知,誤解等によって情報がゆがんでいる可能性がありますので,この内容の利用についてはご自分の責任で行われるようお願いします. (当然ですが日本の状況も私が学生だった頃から大きく変わりました.)

なお(純粋)数学のアカデミックな研究者を目指さない場合にも,下記にあるようにいろいろな奨学金もありますし,アメリカでは(純粋)数学のPh.D.で就職できる,条件の良い民間企業のポストはたくさんあるので,アメリカにずっといるつもりであれば,単純に経済的な面からもアメリカ留学は得だと思います. ただしこの場合英語力がより高いものが必要ですが.

一般的な情報

まず,その辺で売っている留学案内みたいなものは数学とはだいぶ事情が違うので,ほとんど役にたちません. (最近は理科系研究留学案内のような本もだいぶ出ていて少しは役に立つものもありますが,数学は実験がないため,ほかの理科系と違う点がたくさんあります.) アメリカの数学科大学院博士課程(修士課程の後ではなく,学部卒業後すぐ入るのが普通です)について最初に強調すべきことは,基本的に授業料はタダの上に生活費もくれるということです. 気前がよすぎると思うかもしれませんが,日本の大学院の方が世界の常識から外れてケチなのです. (この非常に重要な情報が日本で広く知られていないのはなぜでしょうか.) そのかわり,アメリカには Teaching Assistant と呼ばれる院生の仕事があって,学部の演習などの手伝いをします. これについては下にもっと詳しく書きます.

次に多くの人が気にする入学の審査(誰が合格するのか)についてです. 日本人の場合受験に慣れているために,入学審査と言うと客観的な点数で順位がつくとか,TOEFL などの試験の成績で決まるとか思いがちですが,アメリカの仕組みはまったくそういうものではありません. 日本のイメージでいえば就職活動に近いものです. 向こうは自分の学科を活性化するような優秀な学生が欲しいのです. そうであることを,成績,推薦状,これまでの研究実績等何でもいいですから納得させられればそれでいいのであって,細かい規則などはまったく問題ではありません.客観的な一律の基準と言うものはありません. たとえば,自分の先生と向こうのつきたい先生がお互いによく知っていれば断然有利で,そういう意味でのコネも有効です.自分のつきたい教授が,こいつをぜひ入れたい,と思ってくれればそれでもう大丈夫です. 絶対必要と書いてある試験(たとえば GRE)を受けなかったとか,締切りを何ヶ月も過ぎてから申し込んだとか,TOEFL の成績が大学の公式基準を下回っているからあなたは自動的に足切りで失格ですという手紙を事務からもらったとか,そういうのでちゃんと一流大学院に合格した例は何人も知っています. もちろん誰でも行けるわけではないので,数学の高度な実力を実証できる何かがほかにあった場合,ということですが. また全ての面について交渉の余地があり,「こうして欲しい」と言ってみる価値はあります. 奨学金の額でさえ交渉次第で変化します.私は昔,UCLA と Stony Brook で双方に,「あっちはもっとくれると言っている」と言ったところ,双方2回ずつ金額を吊り上げて来ました.(私はただ状況説明のつもりで手紙を書いたので,吊り上げてくるとは思っていませんでした.) さらに私は昔,まだ願書を締め切ってもいないうちに合格の通知をもらいました.

もう少しこれについて詳しく書きましょう.日本では,入学試験と言えば日程や,出題内容,受験資格などが厳重に決まっています.私が学生を連れてきて,この人は特別に優秀だから,試験は2か月前に終わっているけれど例外的に入れてくれ,とか,大学も出ていないし,飛び級その他の受験資格も満たしていないが,とにかくすごいんだから試験だけでも受けさせてくれ,とか言っても絶対に通らないことはみなさんおわかりでしょう. もし何らかの方法で,私がこういうことを強行したら,それは私の首が飛ぶようなスキャンダルです. しかし中小企業の社員募集で,締切りを過ぎていたり,「○○経験何年以上」という条件を満たしていなかったりしても,重役がどこかから優秀な(と判断した)人を連れてきて,こいつを入れろ,と言えば,入社できてもおかしくはないでしょう. アメリカの大学院入試というのは後者のようなものなのです. (もちろん,後者の例でも,何の実力もコネもない人がただ行っても門前払いされるだけですが.)

それから一般的な仕組みの話で,上に大学院(博士課程)と書きましたが,アメリカでは博士(Ph.D.)を取りたい人は学部のあとすぐに博士課程に入学し,修士は途中でついでに取ることもできるし,取らないまま博士だけをとってもいいという仕組みです. (博士号取得をあきらめた人が,修士だけもらって大学から出ていくというのもよくあります.) 修士課程というのは基本的には最初から修士だけでやめる人のためのものです. (私はアメリカの修士を持っていますが,これは博士課程の途中で書類を一枚出せばくれると言われたので,届け出だけで取ったものです.修士論文などは書いていません.) 日本では伝統的に修士論文の重みが大きいので,まず修士を取ってから留学しようと考える人がよくいて,別にそれは悪くはありませんが,アメリカの学部を出た人はすぐに博士課程に入るのが標準で,博士課程に入るためには別に論文とか研究実績とかはまったく必要ないので,さっさと行った方がずっとよいと私は思います. 博士課程の決まった年限と言うのもありませんが,5〜6年くらいかかるのが標準でしょう. ただし,これも完全に本人次第で,特にアメリカの場合世界中から経歴,実力,年齢など千差万別の人がやってくるので,日本のようにきっちり,博士課程は3年と決まっていることはありません. 何か決まった規則があったとしてもどうにでもなります. (たとえば最低2年の在学が必要と明確に規則に書いてあるのに1年で取った人も知っています. 入学前からすでに十分な業績があったケースですが.)

下にも書くように,アメリカの学部ではほとんど専門的なこと(自分は○○理論が専門だ,と言えるようなレベルのこと)はしないので,大学院出願の時点では何を研究したいかというようなことは決まっていないのが普通ですが,日本から行く場合は,学部でかなり専門的なことをやっていることが多いので,もう専門が決まっている場合が普通でしょう.ですから自分の専門の有名な人を探してつきたい人を決めて,その大学院に行くのがよいでしょう. 仮にその先生が他大学に移ってもちゃんと話がついていれば学生も一緒に移れます. 日本でその分野の人に聞けば誰がどこにいるとか,面倒見がいいかどうかの評判などはある程度わかります. 基本的なデータはネットでも簡単に見つかります. 大学のホームページもたくさんあるし,論文検索をすれば所属大学も当然書いてあります. アメリカでは,あまり日本で知られていないような大学でもノーベル賞級の有名な人がいることもけっこうあるので,ちゃんと調べたほうがよいと思います. 大物教授は特定の少数有名大学に集中しているわけではありません.また大学ごとに得意分野があって,ある分野の教授陣を固めてそろえているということもけっこうあるので,一般的なランキングが低くても自分の分野では一流の人がそろっているということもありえます.

上に少し書いたように,アメリカの学部の数学ではあまり専門性の高いことはやりません. だから逆に言えば,日本でそれほど高度なことをやっていなくても大学院で一から勉強することが可能とも言えます. 日本では一部の主要大学以外ではあまり授業も充実していない傾向があるので,その点アメリカの方が勉強しやすい面もあります.

また,一般にアメリカの大学では少数民族や女性の学生や教員を増やすことに非常な努力をしています. アジア人は人口比よりもずっとたくさん大学にいるので,たとえアメリカ国籍を取っても少数民族あつかいは受けられませんが,女性は国籍を問わず,大事にしてくれるでしょう.数学科大学院生の女性比率は今1/3くらいだったと思います. それから年齢についてもさまざまな院生がいます.アメリカでは就職の際に,「○○歳以下」というような募集の仕方は違法な差別なので,年齢が高くなってから大学院に行ってもそのために不利になることはありません. (履歴書にも生年月日は書きません.)

あと一般的なメリットですが,やはりアメリカが世界の研究の中心であることは間違いないので,英語も含めてそういう世界の一員に早くからなれるということでしょう. (数学でも分野にもよるし,何でもアメリカが一番というわけではありませんが,世界中から人を集めていることがアメリカの最大の特徴です. アメリカの大学の有名な数学者の中でアメリカで生まれ育った人の割合は驚くほど低いんですが,積極的に世界中から優れた人を呼ぶ努力をしています.) ただ,日本である程度院生をやってから留学すると,また基本的なコースの単位を取れとか試験を受けろとか言われていやだ,という話もあります. まあアメリカはかなりフレキシブルなのでそんなに問題はないはずですが.

一般的なデータへのリンクを書いておきます.

(ついでに母校を宣伝しておくと,上の US News & World Report のランキングで,私の専門である解析では UCLA は全米1位です. まあ大学ランキングというのはあまりあてになるものではありませんが.)

その他の有用な資料として,A Mathematician's Survival Guide: Graduate School and Early Career Development (Steven G. Krantz)という本がアメリカ数学会から出ており,有用な情報がたくさん載っています.

留学に必要な数学力

まず出願のときにGREというマークシートのテストがあります. 下にもっと詳しく書きますが,レベルはあきれるほど低いものです. これはアメリカの学部のレベルは日本,中国やヨーロッパに比べてだいぶ低いからです. (アメリカの大学 n 年生が学んでいる数学の平均的内容は, 日本や中国,ヨーロッパの大学 n 年生が学んでいる数学の平均的内容よりだいぶ前の段階だ,と言う意味です.) アメリカは不思議な国で,世界最高水準の研究を誇りながら学部で標準的に教えている内容のレベルは先進国中最低レベルだと思います. そのかわりに大学院生,研究者のレベルで世界中から人を集めているし,飛び級をはじめとして非常に融通が利く教育システムなどによって世界最高の研究水準を保っています. (学部生でも簡単に大学院の授業は取れますし,1,2年飛び級している人はざらにいます. 一方,働いてから大学/大学院に来るというケースはありますが,大学合格のため浪人するというケースは聞いたことがありません. したがって同じ年齢の優秀な人同士が学んでいる内容を比べれば日米間でそんなに大した違いはないとも言えます.) 具体的な授業内容についてはたとえば UC Berkeley の 学部卒業資格のまとめや Chicago 大学の大学院1年生の授業のまとめがわかりやすいと思います. 博士の基準は,世界最高レベルから全くパッとしないものまで一流大学でも大きな差があります. 数学の博士は全米で毎年1,000人くらい出しているので下の方が低いのはあたりまえですが.

ですから日本のちゃんとした大学(院)できちんと勉強していれば,知識や勉強の量の点で不利になることはまったくありません. 基礎的なことをきちんと教え込むということについてはむしろ日本(やヨーロッパ,中国)の方が伝統的にちゃんとやっていると思います. たとえば日本で学部3年生くらいで教えている,Lebesgue 積分,上級の複素関数論(留数計算とかではなく,Riemann の写像定理とか楕円関数とか),Galois 理論,多様体論 (de Rham cohomology とか),種々の (co)homology 理論などはアメリカでは,学部で必ず習う科目という位置づけではなく,たいてい大学院の科目です. (もっともアメリカは学年と言う概念はもともと希薄なので優秀なら学部学生でもいくらでもこういう科目は取れます. また学部学生用にこういった科目を選択科目として開講している大学もあります. さらに日本も大学院入試の劇的な易化によって大学院入学者の学力の最低保証ラインは相当怪しくなってしまいましたが.) 私は昔,Ahlfors の複素解析の教科書の序文に「これはアメリカの大学院の教科書だ」と書いてあるのを読んでそんなバカな, と思いましたがほんとうに多くの大学院で使っています.(主に後半部分についてそうです.)

そしてそういう基礎的な内容をちゃんとマスターしたかどうかについて,大学院に入学してから qualifying examination というものがあります. Preliminary examination ということもありますが,だいたい代数 (線形代数から Galois 理論程度),幾何 (general topology から多様体,(co)homology など),解析 (測度論,複素関数論,関数解析の初歩など) について日本の大学2〜4年生くらいの内容の試験です. (見本としてUCLA過去の試験問題にリンクを張っておきましょう.) 普通にアメリカで学部を出た場合は,大学院に入学してから1〜2年,基礎的な勉強をしてこの試験を受けることになります. 決まった期間内に合格しなければ退学にされてしまいます. 日本人の場合,たいていはこういう内容は既に勉強しているはずなので,試験だけ受けてわかっていることを実証すればそれでO.K.です. (私は昔入学直後,授業が始まる前に algebra, geometry/topology, real analysis, complex analysis の4科目を全部クリアしました.ヨーロッパから来た人もよくそうしていました.) 一部忘れたとか,日本で習ってないとかいう場合は,その部分だけ授業を取るなり自分で勉強するなりすればいいでしょう. (もっとも昔は日本の修士課程入試の方が難しいとはっきり言いきれたんですが,大学院生定員を大幅アップした現在では残念ながら全然そうは言えなくなりました. 現在の日本の有名大学院の平均的なレベルではそう簡単にはたちうちできないでしょう.) なおアメリカの大学(院)では reading assignment というのがあって大量の本を猛スピードで読まされるとか,それについてみんなで意見を述べて議論しあうとかいうようなことが,よくあちこちに書いてありますが,数学ではそんなことは不可能なので私の知っている限り世界のどこでもやっていません. (数学で重要な本の読み方は,5行を10時間かけて読むような読み方で,500ページを2日で読むようなことをしても無意味です.) 数学の授業やセミナーの形態は世界中どこでもだいたい同じようなものです. 何かアメリカの大学では日本と違った素晴らしいスタイルの授業が行われているというような話をよく聞きますが,少なくとも数学ではそのようなことはありません. アメリカの大学院に行って日本よりはるかに勉強させられたと言っている人は,単にその人が日本で怠けていただけだと思います.

あと研究して論文を書く段階になればだいたいどこの国でもやることは同じです. ただ一般的な傾向としてはアメリカの方が日本より詳しく具体的に指導することが多いと思います. 親切だともいえますが,先生のやっていることをちょっと一般化したような論文を先生の言うとおりに書いて博士を取ったけれど,それっきり自分で研究できるようにならない,という危険もありがちです. これは世界のどこでも同じですが.

日本でもアメリカでも,試験に通ったり,単位を取ったり,博士論文を書いたりして,博士号を取ること自体は別に難しいことではありません. 本当に難しいのはそのあと一生研究者として生きていくことの方で,そのためには結局真の実力を身につけるしかないでしょう.

留学に必要な英語力

アメリカの大学院なんですから,英語ができないといけないのは当たり前です. まず,入学願書提出に際し,TOEFLという英語の試験を受けないといけません. これは日本でもちょくちょく受けられます.最近はコンピュータ上で受験するものが普通で120点満点です.

私が昔何も準備しないで受けたときは昔の方式で553点でした. 今とはだいぶ形式が違ったのですが,一応今の方式に換算すると,81〜82点だそうです. 2回目も申し込んでありましたが当時はどこでも550点あれば十分と言われていたので2回目は受けませんでした. (私の頃は大学入試にリスニングもなく,ネイティブスピーカーの授業を受ける機会もなかったので,リスニングの点が悪かったのですが,数学の授業については聞き取れなくて困ったというようなことはありません.) だいたい東大数学科の普通の学生がこれまで特に準備しないで受けたところでは,65〜95点くらいのようです. 試験ですから練習をして準備すれば当然点数は上がります. TOEFL 対策の本は本屋でもたくさん売っています. 大学院留学には TOFEL は100点必要ということがあちこちの留学案内に書いてあって,大学の公式の webpage にもよくそう書いてあったりしますが,数学の場合,(数学力が十分あれば)80点くらいで何とかなることが多いと思います. しかし60点くらいではいくら数学ができても無理です. 数学力がトップクラスでない場合はやはり100点あった方がよいでしょう. 特にまだ留学まで時間のある若い人はできるだけ高い点を取れるようにしておいた方がよいと思います. また,入学当初に大学独自の英語のテストがあって,点数が不十分だと強制的に大学の英語コースを取らされるという仕組みもよく聞きます.

日本に将来帰ることにしても,数学の研究やコンファレンスのために外国に行くことはいくらでもあるわけで,その際に英語で議論することは必須です. そういうときにいちいち頭の中で日本語に翻訳していてはリアルタイムで議論できませんから,ちゃんと英語で数学の議論ができるようになるのは,非常に重要です. そういう能力をちゃんと身につけるということも留学のメリットでしょう. もっとも留学しても身につけられなければ,放り出されてしまうわけですが.

奨学金(給料)について

アメリカの場合,日米の政府がお金を出すような奨学金はありません. (昔はフルブライトというのがありましたが,今はあれは文学や歴史などに限られていて数学にはくれません.) そのかわりに各大学がたっぷりお金を持っていて,最初に書いたように博士課程であれば通常授業料は免除になり,Teaching Assistant という授業の補助をすることによって生活費も暮らせるだけの金額がもらえます. 場所にもよりますが,月額20〜30万円くらいもらえるはずです. (場所によってアパート家賃などの生活費はずいぶん違うので,表面上の金額だけではなく生活費のことも考えなくてはいけません.) アメリカの授業料はとても高いと言われていて,名目上はそのとおりですが,数学では授業料や生活費を自腹で払っている博士課程の大学院生なんて聞いたことがありません. (外部の財団や外国政府の奨学金で来ている人はもちろんいます. またお金を出すに値すると向こうが思った人だけを合格させるという意味でもあります.) メディカルスクールとかロースクールとか金になる技術を教えるところではローンで借りて自分で払ったりしているようですが,数学など研究路線のところはまったく違います.

奨学金のタイプには通常,Fellowship, Research Assistantship (RA), Teaching Assistantship (TA)の3つがあります. 最後のものが上に書いたように演習を教えることによってお金をもらうもので,前の2つはただ勉強,研究だけしていればいいものです.(数学では,これらのように教えないで研究だけでお金をもらえるケースはかなり少なめです. 数学では院生は教員の研究の手伝いをしない方が普通なので,その意味でもRAはあまりありません.) だから前の2つには実質的な違いはありませんが,Fellowship という名前の方が,条件がよかったり格が高かったりすることが多いようです. Fellowship は特に優秀と認められた場合とか,1年目(来たばかりで教えるのが大変だから)とか,最後の年(博士論文に専念するため)にもらえる場合が多いと思います. また,実際に入学の直後に上で書いた qualifying examination を受けて,成績がよければ条件のよい Fellowship をくれるというのもあります.私は2種類の fellowship を1年ずつ,RA を2/3年,TA を1+1/3年もらっていました. (これらはもらえるものであって,当然あとで返済する義務はありません. あとで返すものは student loan と呼んでまったく別の種類のものです. 日本学生支援機構のように原則としてあとで返すものを奨学金などと称しているのは世界の常識に反しています.)

Teaching Assistant ですが,アメリカでは大学教員になるための教育実習のような役割もかねているので全員必ずある程度の期間やることになっています. (やっていないとアメリカで大学教員になろうとしたときにずっと難しいことになります.) 実際の仕事の内容はさまざまですが,微積分や線形代数などの演習を毎週50分×4コマ程度教えてあと試験の監督や採点をするというのが典型的です. (宿題がたくさん出るのでそれに関連した練習問題の解き方を解説すると言うのがよくあるパターンです.) ただしこれは英語がある程度できないとさせてくれないので,英語力がちゃんとあるということを実証する必要があります. 上にも書いたように,数学の実力が認められれば,1年目は教えないで奨学金だけ丸ごともらって,慣れてきた2年目以降に教えると言うのもわりとあります. 英語があやしい場合はレポートの採点をするというのもあるし,そのほか,質問を受ける時間に待機していて学生が来たら答えると言うのもあります. (しかし最近レポート採点はかなり機械化されているので,その種のポストはなくなってきているようです.) 慣れてくると,あるいは大学によっては初めから,普通の授業を持たされることもあります. 書類上では週20時間働くことになっていることが多いですが,これは準備時間も多めにカウントしているからで,実際に教室で教えるのは通常もっとずっと少ない時間です. 私は準備時間も含めた実働で週5〜7時間くらいだったと思います. (これで授業料免除分を除いても,当時の額で時給10,000円程度になりました.) ただ慣れないと準備にもっと時間を取られます.

日本でも最近あちこちで導入されていますが,教員の教え方を学生が評価する Teaching Evaluation というのがあって, Teaching Assistant もこれを受けます. だいたい「こんな英語の下手なやつに教えさせるな」とかさんざん書かれます. Cambridge 大学出身のイギリス人が,「英語がなまっていて聞き取れない」と書かれたというのもありました. あんまり評判が悪いと教えさせてもらえなくなって,奨学金ももらえなくなるのでちゃんとやらないといけません. またアメリカで教員ポストを目指す場合は,この Teaching Evaluation の記録も重要になります.

入学願書提出等の手続きについて

手続きですが,秋の入学で1年前くらいから準備をするのがベストでしょう. もっと土壇場で申し込んでうまくいったような例もいくつも知っていますが,かなり選択の余地が狭まったりするので,早くから準備するに越したことはありません. (ただ,いろいろと融通はきくので,締切りが過ぎているとか,下の試験を受けるのが間に合わなかったとかいう場合でもすぐにあきらめることはありません. いろいろと交渉の余地はあります.その際,交渉はできればつきたい教授,少なくとも大学院入学担当の責任者の教授とするべきです. 事務は規則どおり機械的に対応しようとします.) 出願手続きに必要なのは,通常

です.このうち,TOEFLについては既に上で書きました.

GREは上にも少し書きましたがまあ,センターテストのようなマークシートの試験です. TOEFLともども日本で受けられて,受験日も何回か選択の余地がありますが,それほどたくさんあるわけではないので早めに申し込んだ方が安心です.何回も受けてよい点数の回の分を使うということも可能です.GRE は昔と仕組みが違って,Quantitative Reasoningというのが全員が受ける数学の試験です. これは想像を絶して簡単です. せいぜい中学生レベルのもので,満点以外取りようがありません. ただ,ときどき問題の英語の意味がわからなかったりしますが,適当にマークしておけば大丈夫です. 日本のように1点を争うようなものではまったくないので,ちょっとくらい勘違いで間違えても何も問題ありません. あとはVerbal Reasoningというのと, Analytical Writingというもがあります.いずれも高度の英語力が必要なので,日本人には難しいでしょう. しかし数学ではあまり重要視されていないと思います. 最初からこの二つは受けなくてよいという大学もあります.

さてそのほかに GRE の専門科目というのがあって我々の場合は当然数学です. ここに説明や見本がありますが,これまたとっても簡単です. 一応大学学部程度のレベルということになっていますが,日本の学部教育の問題よりずっとレベルの低いものです. 英語の意味が分からないという以外の理由で満点(にごく近い点)が取れないようなら問題だと思います. またしてもときどき問題の英語の意味がわからなかったりしますが適当に答えておけばO.K.です. 日本のようなトリッキーな問題はありません. (私が昔受けたときはもっと易しくて,かたつむりが1分に何インチ進んでとかいう小学生のような問題があったんですが,私は当時1フィートが何インチか知らなくてこの問題だけできませんでした. さすがに易しすぎるという批判が出てその後いくらか難しくなりました.) なぜこのようなやさしいものが試験として成立するのかとても不思議です.

大学の成績は,A, B, Cを4, 3, 2点に換算して単位数の重みをつけて平均したものを GPA (grade point average) と呼んでアメリカでは重視します. 特別なアピールポイントがほかになければ成績は重要です. できるだけオールAに近い方が望ましいでしょう. あと,取った科目の内容を書けといわれることもあってけっこうめんどうです.

推薦状はきわめて重要です.留学しようとする学生のことをよく知っていて,アメリカの基準もよくわかっている人に書いてもらう必要があります. それを3人集めるのが難しいこともあるでしょうが,なんとかするしかありません. ゼミの先生,授業で習った先生などに頼むのが普通でしょう. 「○○君は大変優秀で熱心な学生です」というような程度の一般的,無内容なものでは役立たずです. なお日本では,学生本人が推薦状を下書きするなどという話を時々聞きますが,全くの論外です.

自分でやりたいことを書く作文もたいへん重要です. 上にも書いたように日本から行く場合はだいたい既に専門が決まっているので,自分は何も知らないアメリカの学部学生なんかではなくて既に高度の専門知識があるのだということをよくアピールする必要があります. すでに論文を書いているとか,学会で発表しているとかいう場合はそういうことを強調すべきでしょう. また,留学したら誰につきたいかということをはっきりさせ,その人にはあらかじめコンタクトを取るべきです. よく,願書にコンタクトを取ったかどうか書く欄があります. コンタクトは e-mail でかまいません. ただ問い合わせの e-mail にどう返事をするかは,その先生の性格等にかなり依存します. 忙しい大物だと,ろくに返事をしないとか,とにかく普通の応募手続きをしろとしか言って来ない事もありますが,それでもコンタクトした方がよいと思います.

合格ということになれば,visa の書類が送られてきます.通常大学院生の留学はF-1というvisaのはずです.

大学への就職について

アメリカで博士を取って日本の大学に就職することももちろん可能です. その場合,アメリカに留学したこと自体は特に有利にも不利にもならないと私は思います. (「英語で授業ができること」という条件の公募には有利かもしれません.) 最近はたいていオープンに公募することになっているので,しっかりした実力があれば何も問題ありませんが,ここでは主にアメリカでの就職について書いてみましょう.

アメリカの大学には通常,終身雇用のポスト(tenured),長め(6年程度)の期間の契約でその間,ちゃんと教育,研究をしていると認められればtenuredになるポスト(tenure track),1〜3年間の期間が決まっていて切れたらほかの大学に移らなければならないポスト(temporary)の3種類があります. また位としては,上から professor, associate professor, assistant professor の3種類だけなのが普通で,ほかに大学によって,博士取りたての人のポストをなんとか lecturer とか,かんとか instructor とか呼んでいることもあります. Assistant professor であっても,"Professor 誰それ"と呼ぶのは普通で,これがさらに発展(?)すると,誰でも彼でも,院生であっても一律に Professor と呼んだりすることもよくあります. えらく若い人が Professorと呼ばれているのを見たり聞いたりして日本人はよく驚きますが,これは単なるアメリカのしきたりです.(ヨーロッパはこうではありません.) Assistant professor ではないほんとの professor と特に言いたいときは full professor と言います. 大学のポストにつくには博士はほぼ絶対に必要で,博士を取った後は temporary のポストに応募して取ってくれる大学に行くことになります. アメリカ数学会教員公募ページにいろいろな公募広告が出ていますが,100通くらい願書を出すのはまったく普通のことです.

アメリカの数学の場合は,ほぼすべてが教えるポストで,研究だけしている研究員のようなポストはほとんどありません. 博士取りたての人にとって,例外はMSRIPrincetonの高等研究所の postdoctoral fellowshipくらいです. (ヨーロッパには研究だけのポスドクもけっこうあります.) 教える量は,50分×週3コマ(または75分×週2コマ)が一つのコースで,常時2コースというのが標準的です.年間30週間授業を行うのが普通で,15週×2の semester 制と10週×3の quarter 制があります. 博士取りたてとか,研究主体の大学とか,特に研究成果が認められるとかすると,もう少し教える量をまけてもらえることもよくありますが,概して世界的に見てアメリカは授業負担は多めと言えると思います. (ただ最近は一流大学では授業負担を減らす方向にあり,常時1コースと言うのがよくあるようです.)

数学の場合教える負担というのが常について回ります.博士を取る前でも取った後でも,日本の若手の経済状況は厳しく,アメリカに行った方がチャンスが広がると思いますが,研究だけしていてお金をもらえるというのは数学の場合は例外的な状況です. 実験系統に比べて数学の研究費の規模は小さく,また教員と院生,ポスドクはバラバラに研究する方が普通であり,教員側から見た場合,自分の研究のための人手というのは必要ないからです. 一方,数学は学部の授業がたくさんあり,教えるポストの需要はたいへん大きいものがあります. ですから英語できちんと教えられれば,博士を取る前でも取った後でも世界のどこかでお金がもらえる可能性が大幅に高まるのですが,東大の大学院生を見ていると,残念ながら教えるのに十分な英語力のある人は数人に一人程度であり,これが日本の数学の若手が海外に出る際の最大の障害になっていると思います. 若い人には英語力を高めることを強く勧めます.

最初のポストを取った後,いくつか大学を渡り歩いて,しっかりした教育,研究実績をつめば,めでたく tenure track --> tenured と進んでいきます. この間に脱落してしまえば学界では生き残れません. Temporaryのポストが切れてどこにも行き場がなくなって数学研究をやめていく人はたくさんいます. アメリカにずっといたいという場合は,通常 tenure trackのポストに就けば,アメリカ永住権(green card)が取れます.その後さらに何年かすればアメリカ国籍を取ることも可能です. また教育主体の大学の場合は,研究はどうでもよいから授業をちゃんとやって欲しいということもよくあります. この場合は,研究業績についてはまったく問われませんが,授業の能力の方は英語力も含めて非常にシビアに評価されます.

アメリカの数学の教員ポストの就職状況はかなり激しく変動しており,将来の予測は困難です. 私が院生だった1980年代後半にはこれからよくなる一方だと言われていたんですが,定年廃止,数学を取る学生の減少,共産圏の崩壊による一流数学者の大量流出などによって,数学の教員ポストの競争は猛烈に厳しくなりました. (ついでですが,定年制は年齢による差別で憲法違反と言う判決が出たため廃止になりました. このため,アメリカのテニュアと言うのは文字通りの終身在職権です. アメリカの教授は任期制だなどという寝ぼけたことを言う人がいるのにはあきれます.) 一時はまったく悲惨極まりない厳しさ(アメリカ数学会の1997年の記事参照)と言われていたんですが,その後ある程度回復しました. しかし経済状況が悪くなると即座にポストがカットされるため,日本よりずっと経済状況の影響を受けます.これからのことはわからないし,最終的には世界のどこででも通用する実力を自分が身につけることしかないでしょう.

(このページを書くにあたっては,Marta Asaeda 氏より大変有益なアドバイスをいただきました. ここに記して感謝します.)


以上の記事は研究準備の整っているかなり優秀な人向けに書きました. しかしそうでない人もアメリカに留学するメリットは大きいと思うので,そのようなケースに向けた簡単な注意を追記しておきます.

・これから大学に入るのなら国内トップ10くらいの数学科を目指してください.それ以外の大学がダメなわけではありませんが,その場合は下記の点についてさらに努力が必要です.

・数学でできるだけよい成績を取ってください.東大,京大以外ならオールAを目指してください.

・英語も早くから真面目に勉強して TOEFL 100点を目指してください.

・指導教員の選択は重要です.国際的に活躍している人を探してください.学生,研究員,教員として欧米の大学に所属していた人ならばさらによいです.

・指導教員には早くから,大学院留学をしたいという意志を伝えてください.

・推薦状は3通程度必要です.指導教員以外の授業,演習,セミナーなどにも積極的に参加して,あなたのことを具体的にほめてくれる教員を確保してください.

(9/25/2022追記)

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